BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館 -13ページ目

BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館

ありふれた日常を考察する
<芦屋・三宮>

『ナポレオン大いに語る』という本がある。
日本語版では「大いに語る」という言葉が付けられたタイトルになっているが、
原題は "Napoleon" のみ。
ドイツ人のフリードリヒ・ジーブルク(Friedrich Sieburg)が、1956年に発表したもの。
これは、ナポレオンの対話形式の本で、文豪・ゲーテやプロイセン王妃、オーストリア宰相など、
当時の著名人たちと語り合った内容が収められている。


ナポレオンといえば、コルシカ島の一地方貴族の生まれで、
コルシカ訛りのフランス語を話す小柄な男が地方の一兵卒から、
才覚一つで皇帝へとその道を歩んで行った奇跡的な歩みを残している。
フランス人にとって、ナポレオンは今でも英雄である。
彼のたぐい稀な才覚は数々あるが、中でも人を見抜く力、これが優れていた。
それを感じさせるのは医師に対する目利き。
その箇所を抜粋すると、
「私は一度も診断を誤らなかった医師を一人だけ知っている。その名はデュボワ。
彼は病気の全てを把握していた。ところが処方箋を一度も書かなかった。
とは言え、治療を曖昧な偶然に任せなかった」とある。
どんな名医かというところだが、そのデュボワ博士が病について語った言葉に、
「ペシミストは、胃の悪い人間だ。
人は自分の哲学を変えたいと思ったなら胃を治さなければならないのではなく、
胃を治したいのなら哲学を変えなければならない。」
なんとも人を食ったような言い回しだが、要は心と身体が密接な関係にあり、
ほとんどの病は、その心を変えることによって変わることができるという説を掲げていた。
ナポレオンは、デュボワ博士から学んだこととして、
「もし敵の強さを知ったなら、不必要な兵力を使うのではなく、すぐさま退却する。」
実際は、その退却が遅く、ナポレオンが敗退することになる。

このデュボワ博士の言葉を借りるならば、
「身体に悪いところがあるならば、まず、哲学を変えよ。
それが無理なら身体が良くなることは、さっさと諦めろ」

すなわち、
「身体を良くしたいなら哲学を変えよ」
ということか。

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<了>

世界各紙の2026年の展望ニュースは、たいていAi がらみの記事。
Ai を使ったハッキングツールが人間に近づいてきたこと。
通常の音声を拾って瞬時に翻訳した言葉に変換することができるツール。
癒しの応答をするツールなどAi の進化に関連した展望で満ち溢れていた。
ただ、Ai の発展は、明るい未来をつくるのか、恐怖をもたらすのか?

そこで思い起こしたのが、
スピルバーグ監督の2001年の映画作品『A.I (Artificial Intelligence)』
これは、感情を持つアンドロイドを描いたSF映画。


舞台は近未来。
アンドロイドとおぼしきロボットたちが、日常的な生活の中に入り込んでいる。
人間と同じような「心」を持った少年のロボットであるデイビッドが、
子供の代わりとして普通の家庭にもらわれ、普通の少年のような生活を送っている。
ところが、そこに本当の子供が帰って来ると状況が一変し、
両親とデイビッドに齟齬が生じ、結局は、あい容(い)れなくなり廃棄される方向へと進む。
デイビッドは人間になりたいと逃げ出し、殺伐としたロボット廃棄場所で
ジュード・ロウが演じるジゴロ・ロボットと出会うといった冒険ストーリー。
人間によって作られ、捨てられるアンドロイドの悲哀があらわれている。

これは、いわばアンドロイドの悲劇。
現実の傾向はアンドロイド不要というより、人間は不要に向かっている。
見渡せば、人間が行なっていたことをロボットがこなしている分野も多い。
次第に人間が疎外されていく傾向にあるとも言える。
人間危し!である。

この種の映画が再び撮られるとするならば、
全く逆で、隅に追いやられるのは、アンドロイドではなく人間のようでもある。

がんばれ、人間!

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<了>

お正月の風習が現在のような形で確立したのは江戸時代だという。
その原形になるのは平安時代。
『枕草子』には、そんなお正月の様子が描かれている。
第一段は「春はあけぼの」から始まるが、
第二段は「ころは正月」から始まり、当時の正月風景を描いている。
そこを抜粋すると、
「正月。一日はまいて。空のけしきもうらうらと、めづらしう霞こめたるに、
世にありとある人はみな姿かたち心ことにつくろひ、君をも我をも祝ひなどしたる、さまことにをかし」
簡単に訳せば、「正月一日は、空も一段と改まった感じにうららかで一面が澄み渡っている。
街をゆく人々は着飾って主君を末長くと祝っているのは普段と違って趣がある」
まさに、お正月風景である。


ただ、1月1日は、人間が勝手にこの日を一年の出発にしましょうと決めただけ。
天文学的に見ると、なんの特殊性もない1日。
陰暦ならば新月の日が元旦だったので、月を仰げば、新しい出発の日を感じさせるが、
陽暦の正月は天文学的には意味のある1日でも何でもない。

ところが人の想念がそうさせるのか心理的なものか、この日のお日様は違って見えるものらしい。
「初日の出」や「ご来光」として、これを参拝する。
これを見るフライト・ツアーもある。
そうなるとありがたく感じてくる。
まさに、『枕草子』の表現のように、「改まった感じに澄み渡っている」となる。

ただ、そう感じる人ばかりではない。
江戸の俳人・高桑闌更(らんこう)の句に「元旦と 思いのままの 朝寝かな」というのがある。
思いのままにゆっくり朝寝をして、これこそ正月だ、という句。

世の中、段々と正月らしさがなくなってきたとは言われるが、それも人の感じ方。
ラグビーやサッカー、駅伝を見て正月を感じる人もいる。

それも正月らしさ。

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<了>