BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館 -12ページ目

BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館

ありふれた日常を考察する
<芦屋・三宮>

日本人が食事をする前に「いただきます」というのは、
他の存在の命を頂戴しそれを供養する意味で使っている言葉だと説く人がいる。
いくらベジタリアンだと言っても、我々は他者の命を「いただき」つつ生きている。

昨今は何かとジビエが話題となっている。
ちょっと小粋なレストランに入ると、エゾシカやイノシシなどの
ジビエ料理の黒板メニューが出ていたりする。
さて、どんなに野生味を感じる動物の肉でも、盛りつけられて出てきた時には、
特製ソースで彩られ、野性味がすっ飛んでしまって、
品の良い料理として供されることになる。
画像:日本ジビエ振興協会

元ソニーの社長であった出井伸之氏のエッセイに「ジビエ」について書いたエッセイがあった。
それによると、彼の現役時代、厳しい冬のフランスの片田舎に飛んで、
そこで、地元の猟師が獲ってきたジビエを食するのが好きだったと表現していた。
ちょっと焦がしただけの血の滴るような肉を、口に血を付いたことも気にせず貪るように食べる。
そうすると身体の中に何とも言えぬ力が漲ってきたとある。
ジビエの効用は野生を頂くことかも知れない。
「私たちジビエです」と言って収まりよく皿に盛られているようでは、
家畜から取られた食肉と何ら変わらず、本来持っている野性の効用というものが出ない。
大脳生理学者のセルジュ・ドゥブロフスキーは
「食するとは殺戮の一種。味覚が成り立つには破壊が伴う」などという物騒な表現がある。
だけども、現実はその如くとも言える。
すなわち、他の命を頂戴しつつ生きている。
やはり、「いただきます」なのである。

食は一種の原罪のようなところがある。
高級レストランなどに行くと、そのレストランの長たる料理人の手によって、
肉が切り分けられ、一人一人のお皿に盛りつけられる。
このような様子は、まるで司祭が捧げものの獣の肉を切り分けている姿のようでもある。
高級レストラン所作は「司祭によって聖化されたもの」を食する体(てい)をとっているとも言える。

そんな考えからすると、ジビエは、野性的に食すのが良い。
出井氏が語った如く、口の周りに血をつけながら血の滴るような肉にむしゃぶりつく。
これこそ強い力や活力になるとも言える。

大切なのは、「いただきます」の気持ち。
これは、忘れないでおきたい。

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<了>

今年最初の満月は1月3日。いわゆるスーパームーンだった。
これは、通常よりも大きく見える満月のこと。
この名が冠される月は、通常の1.4倍。
今宵の月は満月から数日経った居待ち月だが、ゆっくりと昇る様子は、ひたすら重そうに見えた。
まるで、昇るのに窮しているかのようにも見える。
1月の満月の呼び名はウルフ・ムーン。これはネイティヴ・アメリカンの呼び方。
1月は、しきりとオオカミが吠えるところからこの呼称が生まれたようだ。
マドリッドの高層ビルの横に昇る月(By CNN)

「いつも見る ものとは違ふ 冬の月」こんな句が思い浮かんでくる。
これは、江戸中期の俳人・上島鬼貫の句。
このようなスーパームーンを見ながら詠んだのだろうか。
今夜の月も異様に赤く大きい、いつものとは違う冬の月だった。

月といえば、宮沢賢治は『銀河鉄道の夜』などで知られる作家。
彼の生前、彼が書いた小説などの作品は、ほとんど世に出ていなかった。
これらの小説は、農作業をしつつ書いた作品がほとんど。
彼の代表作の一つ『注文の多い料理店』の”序”には、読者に語りかけるように書いた文がある。
その文を抜粋すると、
「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、
虹や月あかりからもらってきたのです。」
とある。
彼の作品は、児童文学の枠組みに入れられる場合が多いが、
それらの物語は、彼の周りにある森羅万象が彼に語りかけたお話しだということらしい。

さあ、今夜の重そうな「冬の月あかり」は、宮沢賢治に語りかけたように、
多くの人たちにも語りかけている。

耳を澄ましてみるとしよう。

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<了>

先日、このブログで「掌編小説」を取り上げ、その時に、
この命名者が誰だったのかを調べていると中河与一という作家に行き当たった。
「手のひら=掌」に収まるほどの小さい小説という意味でつけられたであろう呼称。
何とも味がある。
彼の代表作は、『天の夕顔』という昭和13年に出版された短編小説。
もはや忘れられた作家名ではあるが、この本は今も立派に書店に並んでいる。


その当時に珍しく6カ国語に翻訳され、日本では荷風や晶子に絶賛され、
かのアルベール・カミュからも賛辞が送られたという。

当方は、しばらく正月休みでもあり、薄い冊子でもある関係から一気に読んでしまった。
この本を端的に言えば、主人公が 7歳年上の人妻に思いを寄せるストーリーということになるが、
小説として、引き込まれるものを持っている。
その理由を探ってみると、一つは手紙文を読んでいるようでもあり、風景の描写力も優れている。
ゲーテの『若きウェルテルの悩み』と、この小説を重ね合わせて語る書評もあるが、
たしかに18世紀の小説を彷彿とさせるような純粋さに溢れているようにも思える。
ただ現代人が読むと、
千夜千冊の松岡正剛氏の書評にあるように「もどかしさ」を感じるに違いない。
一字一句を味わいながらストーリーを追っていく、
そんな古き良き時代の読書を思い出したというべきかもしれない。

先日、暮れに紅白歌合戦を見た。
普段テレビを見ることも少なく、今のヒット曲を知ることも少ない。
久しぶりに見て驚いたのは今のヒット曲と呼ばれる歌の歌詞が歌詞として耳に入ってこないこと。
歌詞は、メロディを構成している音声のようにしか聞こえない。
かつては、歌詞を聞いて、歌詞に感動してその曲が好きになるという思考回路があったが、
それは遠い過去のことらしい。
ああ、昔とは違うんだということを今回、再認識した。

この『天の夕顔』を読みつつ、古い時代の小説は、一字一句を噛み締めながら読むものだった。
そして、そこに埋められた文字から感動が生まれるということが蘇ってきた。

これは、一種のタイムスリップもかもしれない。

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