困ってしまって、ワンワン、ワワ〜ン ♪ | BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館

BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館

ありふれた日常を考察する
<芦屋・三宮>

「あれっ、今日はブログのメンテナンス?」
アメブロ画面には、深夜午前1時から朝10時までメンテナンスと出ている。
こんなにも大規模で長時間にわたるアメブロのメンテナンスに驚き。
たいてい、未明に投稿している我がブログには、全くの直撃弾。
個人ホーム画面以外は、全く開かない。すなわち、投稿画面が開かない。
こんな風に、1日のルーティーンがこなせない状態というのは、
非常な「不便」さを感じるものだと、今知った。
かつては、月に一度の新聞休刊日に「不便」さや空虚さを感じたものだったが、
インターネットなど、新聞に取って代わる媒体がいっぱいあるせいで、
むしろ、「今日は新聞休刊日だったのか?」という程度で、たいして驚きも感じなくなった。

今日は、この際、この場で感じた「不便」のことについて書いてみようと思う。
まず、今、感じている「不便」さとは、いつも行なっているアメブロが投稿できない、
他のブログも読めない。
これは、我が生活の中でも最高度に「不便」。
最高度にと書いたが、最高となると、他にもっとある。
まず、思い浮かべてみると、現代生活で「不便」を感じるであろう筆頭は、おそらく「電気」。
水の供給も重要だが、飲み水なら、コンビニさえあれば、
ペットボトルなどでなんとかなる。
ところが電気がないとなると、頼みの綱のコンビニも維持できない。
まず、ケータイが使えない不便さから始まる。
全ての情報源はそこにあり、連絡先などもそこに収まっている。
外部に意識を向けると、交通機関は全て止まってしまう。
電気こそ、現代生活の全てを支えている存在。
これは間違いない。
電気供給が止まれば、完全に「万事休す」というところだが、意外に助っ人は居る。
会社ならば、自家発電。
個人にも、最近は太陽光発電シートやポータブル電源などが盛んに販売されている。
クルマから、電気を引き出すことも可能でもある。
かつて、当方は大震災を経験した。
その時、社会インフラが全て止まった。
電気の供給が復旧した時の安堵感は忘れられない。
今、電気が止まったとしても、個人で電気を生み出したり使いこなすこともできる時代。
電気供給がないところに居るとしても、個人でなんでもできる。
個人が力を持つ時代とも言える。

とは言え、こんな風に供給元がストップすると、、、

やっぱり「万事休す」

*無断転載を禁止します。
*严禁复制粘贴**本"Boots strap"博文禁止复制粘贴。如有发现,本人将采取法律措施。

*2カ所のブログランキングに参加しています。
↓↓下のアイコンにポチッとお願いします。押すとランキングのページに行きます。お手間ですが戻ってきて、もう一つ下のアイコン(にほんブログ村)にもポチッとして頂ければ、、。

エッセイ・随筆ランキング
↓↓ にほんブログ村は、こちら。  
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

フレンドリーでリーズナブルな外国語スクール
*外国語リニア
芦屋市大原町12-1 プティビル 201

<了>