「デラシネ(déraciné)」から生まれるもの | BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館

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ありふれた日常を考察する
<芦屋・三宮>

「懇(ねんご)ろ」という言葉には、「懇ろに弔う」「懇ろにもてなす」
「懇ろな関係」などの用法がある。
「懇ろ」は手厚くもてなすなどの意味があるが、「懇ろな関係」といった場合、
男女間の仲睦まじきことや深い関係を意味する言葉。
語感から「念」とか「気持ち」などと結びつきそうな言葉ではあるが、
「根ころ」すなわち「根」を語源とする言葉のようだ。
フランス語で「デラシネ(déraciné)」と言えば、根無し草のこと。
そんなところから故郷を喪失した人や何の根拠もなく
短絡的に行動する人をそのような言葉で呼ぶ。
ちょっと斜に構えたスタンスの人間を表す言葉のようでもある。

新型コロナをめぐる惨状がヨーロッパや世界津々浦々に至るまで
熾火のように広がってゆく様を毎日見ている。
そんな今、世界的に天下を2分するような風潮を見る。
若い世代の感染が広がっていたり目に余る行動から、
「もう少し、配慮してはどうか?」という若者に対する危険視がある。
他と協調しない若者像が浮かび上がってくるが、
我らとて、いつかきた道。
このような状況下、若者の抑圧状態の精神性が生み出す歪さ、
それが利己主義のように見えてしまうといったところでもあるようだ。

わが敬愛するウィリアム・フォークナーが、
ノーベル文学賞受賞後に日本にやってきて語った言葉がある。
「南北戦争の抑圧が新しい時代のアメリカ文学を作った。
戦争で敗れた日本ゆえに必ずや戦後に新しい文学が生まれる。
逆境に生き、耐え忍んだ者にその恩恵は必ずある」
という言葉を残して日本を発った。
懇ろさがないように見える、すなわち「根」がなく、
デラシネのように見える若者だが、フォークナーが語ったように
耐えて忍べばその恩恵は計り知れない、といったところだろう。
今は、不本意ながらも耐えるときかもしれない。

幾分、老域に入ってきた我が身だが、心は、いまだに若者側!
若者には拒否されそうだが...


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<了>