「蓮は泥より出でて泥に染まらず」の如く、
水面下は泥が覆っているのに、そこから茎を伸ばし
楚々と咲いているのは見事といったところ。
『枕草子』の66段には、「蓮葉、よろずの草よりすぐれてめでたし。妙法蓮華のたとひにも、
花は仏にたてまつり、実は数珠に貫き、念仏して往生極楽の縁とすればよ」
と出てくる。
すなわち、極楽往生へ衆生を縁づける阿弥陀のように考えるところがある。
蓮の花は他の花とは、ひときわ違うものを持っているということらしい。
この蓮の花は、清少納言や紫式部が生きざまに触れたであろう藤原道長とも縁が深い。
その当時の栄耀栄華をわが手に握った藤原道長であったが
万寿3年(1026年)に体の不調を訴え、翌年には危篤が報じられたりした。
なんとかとりとめ、身体は阿弥陀堂に移された。
この阿弥陀堂というのは、道長の子である藤原頼通によって建立された平等院鳳凰堂以上に
荘厳華麗なものだったという。
道長は、その年はすでに下痢が治らず背中に腫れ物ができたりと、
見舞いにきた中宮彰子も顔を背けるほど。
道長の最後は悲惨そのものだったようだ。
時あたかも、源信が地獄世界を描いた『往生要集』を編纂したような時代。
広く死後の世界が語られるような時代背景でもある。この道長自身も源信に帰依してはいた。
いよいよ最後にして、生き地獄である病の底から極楽往生をひたすら請い願ったとされる。
栄耀栄華を誇ったのに、見る影もないほど。
いよいよ最後となった時に北枕に、そして西向きに臥(ふ)させられ、
蓮華座と糸で結ばれて身罷ったとされる。
これは死後の世界において蓮華座上の人、すなわち仏となるために糸で結ばれたという。
この時代、いかに『往生要集』が人の関心の中心だったかがわかる。
因果応報。この世で行なった悪事があれば、地獄に行くこと必定。
そのように説かれ、焼き尽くされる人、地獄亡者の絵が描かれている『往生要集』は
比べるべくもないほどインパクトのある書であった。
同時代を生きた紫式部は彼女なりに、この『往生要集』の影響を受けたとされる。
ただ、それを全面的に受けたというより、
『往生要集』のアンチ・テーゼが『源氏物語』だったという説もある。
特に「宇治十帖」と呼ばれる最後の十帖こそ、源信に向かって投げかけた紫式部の回答。
彼女の中にあったのは『往生要集』に左右されない
「衆生としての浮かれ男と浮かれ女の一時の恋の世界」を描くこと。
すなわち、
「これこそ、偽りのない人間の営みなのだ!」と...
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<了>