この意味を端的に表現すれば
「この世に存在するあるがままの運命を受け入れ、それを愛するということ」。
この「運命」というものの中には自身が好ましく思うものもあれば、
人が望まない邪悪で不気味なものも存在する。
それらから生み出される苦痛といったものも存在する。
その苦痛に耐えることも必要であり、さらには全てを受け入れ苦痛をも愛する。
そんな境地を言い表す言葉のようだ。
また、「運命」を愛すべきでないという感情があれば、
否定的な心情であるニヒリズムを生み出すことになる。
それが、何をしても面白くないといった虚無思想に埋没してしまうことになる。
このニヒリズムを乗り越えるには、すべてを受け容れること。
否定的なものすら愛する。
これこそが、すべてを克服する「運命愛」であると説く。
わが最近の境地はこれに近い。
過去を振り返ると様々な不本意もあった。思わぬ結果に至ったこともあった。
そんなこんなもあったが、自ら歩んだ道に対して、すべてをヨシとして、
「これで良かったんじゃないか?」と結論づけることが多くなった。
日常生活で、ちょっとした不本意なことがあっても「目をつぶってやるよ」
などの気持ちが湧いてきて、やたら、寛大な対処をしている自分に気づくことがある。
これこそ「運命愛?」と思うことがある。
最近、アルベール・カミュの著書を読んでいると、彼の言葉に
「人間は、あるがままの『運命愛』を否定する唯一の存在である」
とあった。
すなわち、人間こそ『運命愛』に「反抗」を行うことができる唯一の存在なのだ、と。
ニーチェが語る『運命愛』という「老成」の発想ではなく、
「反抗」こそ人間の証である。そんな風に読み解くことができる。
まさに、これは「運命愛」 VS 「反抗」ということ。
ただ、今は、カミュに軍配をあげたい気持ちになっている...
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<了>