粟津ケ原「義仲寺」 | 花万朶

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美味しいもの…ときどき

大河ドラマ観てますか?

「鎌倉殿の13人」

戦国時代や明治維新の前は割と時代物の題材になりますが、鎌倉時代の前となるとあまり詳しく知らないので毎週楽しみに観ています

そう言いつつ、その行く末…特に悲劇まっしぐらの有名人が出てくるとちょっとつらい(悲劇だらけに)


ちょうど木曾義仲が登場しましたが、大津に義仲公の墓所のある寺があるとのことで訪問しました(たまたまこの近くに用事があったので)

JR膳所駅ですが、さっそく駅で木曾義仲と巴御前がお出迎え!カッコいいですねキラキラ


駅から徒歩5分ほどにある義仲寺

「よしなかでら」ではなく「ぎちゅうじ」読むそう

拝観料300円を払い、御朱印(書き置きに日付記入)をお願いしてパンフレット片手にいざ!


お寺の入り口から近いところから紹介します

巴塚

巴御前の供養塔です

武勇に優れた髪の長い色白の美女といわれ、最後の戦いの前に義仲公に説得され戦線離脱

落ち延びたあと鎌倉幕府に捕らえられ、和田義盛の妻となり、義盛の死後尼僧となってこの近くで庵を編み義仲公を弔っていたとか

こちらがお墓とも言われていますが、90年の生涯はこの地を去り信濃で閉じたそうです


朝日将軍木曾義仲公の御墓所

このお墓は首から下の胴塚(首塚は京都の八坂神社近くの法観寺)


芭蕉翁墓

芭蕉は大阪で逝去しましたが、「骸は木曽塚に送るべし」という遺言でこちらの寺に墓を建てたそうです

大津に来た時は必ずここに泊まったとか…芭蕉は近江が好きだったのか、義仲公のファンだったのか?多分確実にファンですね

時代的にはずいぶん(500年くらい)差があるし、芭蕉が木曾義仲を好きだった理由って何だったのでしょう?頼朝に討伐されたので、鎌倉幕府としてはその正当性を後世に伝えるために歴史的に残る資料では人物像は粗野で田舎者みたいなキャラ設定になってます

今回の大河ドラマでも情に厚い男気あるタイプに描かれてますが三種の神器すら知らない無知にされてます

庇護した一族は朝廷ともつながりがあるのでそんなはずはないと思うのですが、同行した地方武士や途中参加の烏合の衆の粗相をすべて義仲に被せたのかも…


木曽八幡社

義仲寺の鎮守

巴塚から木曽八幡社の奥に「無名庵」があります


奥右手に茅葺きの「翁堂」

天台宗のお寺ですが開梆(かいぱん)がある…


基本的に黄檗宗、曹洞宗のお寺にあるのですがなぜでしょう??義仲が禅宗の信徒だったから?


正面祭壇には芭蕉翁坐像、左右に丈艸居士、去来先生の木像、側面に蝶夢法師陶像を安置

正面壁上に正風宗師の額、左右には三十六俳人の画像


天井は伊藤若冲の四季花卉図ブーケ2あじさい黄色い花


入り口側から

シャクヤク、シュウカイドウ、キク

ヤエヤマブキ、アジサイ、フヨウ

カキツバタ、ボタン、シデコブシ

ハス、アサガオ、カキツバタ

シャクヤク、キク、ニワウメ

(現在はデジタル技術で精巧に再現された複製で現物は大津市歴史博物館で保管)


ここには二十の句碑があります

ひときわ大きな句碑ががこちら⤵︎

旅に病で夢は枯野をかけ廻る 芭蕉翁


朝日堂

義仲寺の本堂です

御本尊は木彫聖観世音菩薩

木曾義仲公、義高公父子の木像を厨子に納めています

義仲が平家討伐の兵を挙げて都に入った際、朝日が昇るような勢いだったことから朝日将軍と呼ばれたことにちなんで朝日堂と名付けられたとのこと



資料館


芭蕉の常宿だったので数々の遺留品があり、右下の短冊は芭蕉の実際の字で芭蕉直筆の短冊を元に彫師が版木を作り紙に刷ったもの

お寺の情報


小さい境内ですが、手入れの行き届いたいいお寺でした

大河ドラマで義仲公が討たれる回でこちらのお寺が「鎌倉殿の13人紀行」で紹介されるみたいですね(ロケ済みだとか)

時間があったらもっと滞在したかったぁ〜汗