藤森神社 火焚祭 | 花万朶

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藤森神社の秋季大祭並火焚祭(しゅうきたいさいならびひたきさい)は平安時代の延歴年間(782年~806年)には既に行われていたといわれ、家内安全・無病息災を祈願する式典です

秋季大祭ではまず本殿内で祝詞奏上などの神事が行われ、その後舞殿で舞楽が奉納されます

火焚祭では本殿前に設けられた護摩壇で、氏子などの願い事が書かれた護摩木を本殿から移された御神火で焚き上げ、祈願成就を願います


秋晴れの青い空がきれいでした
(11月5日)

11月に入ると京都の各神社から煙が立ち昇ります
「お火焚き」と呼ばれ江戸時代から京都で多く行われている神事ですが、藤森神社では平安時代から行われているとのこと
気が遠くなるような時間ですね
千年以上も前からこうして願いの書かれた護摩木が焚き上げられ、その白い煙が秋の青い空に立ち昇る様を人々は眺めていたのでしょうか

火焚祭は秋の収穫に感謝しつつ、厄除などを願い護摩木に書かれた諸々の願いを祈願する行事ですが、現代の私たちはスーパーに行けばいつでも充分な食材を得ることができます
秋の収穫を意識したり感謝する気持ちは薄れてしまいましたが、「家内安全」や「無病息災」など、人の願いは案外千年前と変わっていないのかもしれません
今後、医学が発展し、どんな病気も治り人間が不老不死にでもなれば「無病息災」など願う人もいなくなるかもしれませんが…
しかしながらどんな権力者もお金持ちも病気になったり、老いたり、死んでゆくことは今のところ抗うことができない
私は「寿命」という言葉より「定命」という言葉のほうがしっくりきます
「定命」という言葉の持つ前世の因縁によって今世の寿命が定まっているという意味は別に興味ないです
決められたものであってもなくても命には限りがあるということに変わりはなく、人が生きる10年も100年も悠久の歴史の中では大した違いもないような気がします

自分がこの世からいなくなっても100年後、200年後、ここで同じようなことを願いながら立ち昇る煙を眺める人々がいるのでしょう
そんなことを思いながら眺めていました