またしても国立劇場小ホール。「邦楽の友」のメールマガジンを見て行く気になった。お目当てはまだ一度も聴いたことがない人間国宝 宮田哲男氏の唄。
 メルマガでは3000円とあったが行ってみたらタダで入れた。ラッキー。しかし3時間ほどのリサイタルだと思っていたのが、これは氏を中心に東音会の諸先生方のお弟子さんによる発表会のようだった。しかも45周年記念ということで驚いたことに長唄40番を朝10時45分から夜の9時までかかってやるという長大な会だった(うち「勧進帳」3回にも驚いた)。これは体力の許す限り見て帰ろうと腹をくくって席についた。
 結局夕方5時頃に体力が尽きて帰ってきた。本当に疲れた。
 宮田哲男氏と、以前より聴いてみたいと思っていた私とTAKAの字が同じの村冶崇光氏の唄が聴けたのは良かったが、正直なところ発表会なのでお師匠方の唄はあまり聴けなかった。声の感じが分かったくらい。いつかリサイタルか何かでもう一度聴いてみたい。今日はどちらかと言うと三味線方とお囃子を見ている時間のほうが多かった。三味線の人間国宝杵屋五三郎氏や、藤舎流の家元先生も出ておられた。
 一番印象に残ったのは、7歳の男の子の独吟「鞍馬山」。この子は何も見ないで空で唄ってしまったのがすごい。そして宮田哲男氏のお孫、奈々ちゃん3歳の「お月さまわらいます」という唄。本当にかわいかった。普段は怖い顔(失礼!)の氏も孫をいつくしむお爺ちゃんの顔になっていた。
 「七場所連続優勝」+「年間全場所優勝」の偉大な記録がかかる朝青龍。今場所の第一の注目はこれしかありません。モンゴル人であったり、態度がいささか横柄であったり、目つきが邪悪であったりすることはもはや全くこの偉業の前にはどうもこうもありません。何しろ前人未到の大記録なのですから。
 じゃあんたは朝青龍を応援しているのかと問われれば、非常に複雑な気持ちではありながらもちょっと応援しちゃってるかも、という感じです。「非国民!」との非難が聞こえてきそうですが、これと言うのも朝青龍の独走を許す情けない日本人力士がいけないのです。魁皇、大海、栃東の大関三人衆、大関になりそうでならない若の里、琴光喜。優勝しろとは言わない、誰でもいいから朝青龍を負かして見せてくれと言いたい。分かった、朝青龍には負けてもいい。でも誰かは千秋楽まで優勝争いに絡んで欲しい。ヨーロッパ人ではなく、日本人にそうして欲しいのである。
 記事を紹介するまでもありませんね。痛ましいですね。もう何とも言いようが無い。この娘の心理はまったく想像の域をはるかに超えている。劇薬を飲ませて入院した母親を見舞いに行って、その変わり果てた姿を写真に撮ったうえに、飲み物をあげると言ってさらに劇薬飲ませたって言うんですよ。その飲み物を娘からもらって飲むときの母親の気持ちを想像するだけで何と言うかもうやってられない気分になります。
 親子の仲が悪いなんていうレベルの問題じゃないですね。仲が悪けりゃ喧嘩すりゃあいいんだから。一体どういうきっかけや環境がこの娘をそう走らせちゃったのか、それが知りたい。なんでそうなっちゃうんだろう。
 坂東三津五郎丈が家元の坂東流日本舞踊「つぼみ会」を見に行った。場所は国立劇場小ホール。日舞を見に行くのは前回の花柳流に続いて二回目。今回の長唄は16番。お師匠がタテ唄だった。

 今回改めて思ったが、日舞の舞台というのはプロの長唄を生でたくさん聴けて良い。CDばかりをずーっと聴いていると、自分にとってのその曲のスタンダードがそのCDになってしまうよう気がするので、こうやっていろいろな方々の演奏・唄を生で聴く機会は大切だと感じる。また長唄を聴きつつ舞踊の舞台を目で見ておけば、いつかその曲を練習するときに曲の雰囲気とか情景を思い浮かべるのに役に立ちそうな気がする。

 ところで三味線への熱はまったく冷めていないのだが、実はここ最近唄への興味もかなり沸いてきた。特に今日は唄方それぞれの声色や唄い方に注目して聞いていた。お師匠も言うが、唄には向き不向きがある。一曲やってみて自分が唄に向いているのか無いのかそれをちょっと知ってみたくなってきた。もしかしたら今の「末広狩」が上がったら一曲を唄を習うことにするかも知れない。

 銀座にある「岐阜」という居酒屋に行ってみた。もちろん私が岐阜出身だからである。果たしてここはどんな岐阜でもって私を楽しませてくれるのだろうと少なからぬ期待をしてお店に行った。
 入ってみるととてもこじんまりとしたお店で、雰囲気は普通の居酒屋と同じ。しかしちゃんとしたメニューというものが無かった。お店の方は「お任せくださればお一人7000円からでいろいろお料理をお出ししますが」と言う。さすがは非庶民の街銀座である。動揺したが「では適当に三品ほど出してください」と頼み、ビールを貰う。
 あまりに面食らってこの店に来た目的を忘れかけたが、ここは岐阜なのだ。しかし店内に岐阜っぽいものを探すが全く目に付かない。棚の日本酒のラベルにも地元で見たようなものはない。おかしい。ふと店の名前を見ると「季節料理 ふぐ料理 岐阜」とある。・・・ふぐ!?ふぐと岐阜ほど釣り合わない組み合わせもない。何しろ岐阜には海など無いのである。鮎料理なら判る。何だか面倒になりお店の方に「どうして店の名前が岐阜なのか」と聞いてみた。
 「先代の板前が岐阜にゆかりのある人でそう名付けたからです。今の板前は岐阜ではないが、お店の名前をそのまま引き継いだのです」といった具合。自分が岐阜出身だと告げると「それは申し訳ないです。うちは岐阜の料理を出すお店じゃないんです」と謝られたうえに「岐阜は何が有名なんですかねぇ?」などと聞いてくる。もうあべこべである。「和牛です」と教えてあげると店員は「なるほど。だからたまにお客さんが“あれ、肉は出ないの?”なんて言うんですねぇ」とコロコロと笑っていた。
 結論は、このお店のほうに悪気は全くないようだが、地元を離れて東京に来ている岐阜県人が「岐阜」という看板に期待するものがそこには何一つないということです。それでも店員の態度はとてもやさしく申し分無いし、料理の味は本当においしかったので、オススメしなくもありません。ただし値段は非庶民的です。

長良川・金華山・岐阜城
長良川・金華山・岐阜城/岐阜市