滋賀に纏わる小説、登場人物を描くことが多い。別に滋賀に住んでいるからというつもりはないのだが、その気にさせられる何かがあるのかもしれない。
前回も述べたが近著である『塞王の楯(さいおうのたて)』は、舞台の9割が滋賀県。登場人物の中には大津城主の「京極高次(きょうごくたかつぐ)」が出てくる。妻の「お初(おはつ)」もまた近江出身だ。
『八本目の槍(はちほんめのやり)』の主人公は「石田三成」である。他に近江出身者として「片桐且元(かたぎりかつもと)」「脇坂安治(わきさかやすはる)」などが出る。
そしてつい最近、週刊新潮で連載が始まった『五葉(ごよう)のまつり』の主人公もまた石田三成。ほかに「長束正家(なつかまさいえ)」や「大谷吉継(おおたによしつぐ)」などの近江出身者(諸説あり)が出る。
まず単純に戦国期、織豊期(しょくほうき)において、近江出身者の活躍が多いことも理由だろう。
だか私は何故か近江の大名として有名な「浅井長政(あざいながまさ)」はほとんど書いたことがない。
前述の『八本目の槍』や、2022春刊行予定の『幸村を討て』で、ほんの端役として出るくらいである。
別に浅井長政が嫌いな訳ではない。
今ひとつ彼の行動原理、思考が理解出来ないのだ。厳密にいえば、他の武将のことが解っている訳ではない。ただ何となくこうではないかという仮説は立てられる。
これすら彼の武将には未だに出来ないでいる。何故、信長を裏切ったのか。裏切ったならその機を逃さずに討ち果たすべきなのに、どこか迷いのようなものが感じられるのだ。
かなり複雑な精神状態にあったように思われ、なかなか輪郭がはっきりしない。よく浅井長政を書いてくれと言われるが、そのためにはもう少し私自身が成長し、彼の思考を推測出来るようになる必要があるだろう。