難を避ける祈りは恐れからうまれる | かんながら

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旅の記録です

 

能登の地震。

 

地震鎮めの祈りが各地で行われているようだけど、

みんな気づいている?

 

恐怖から発せられたの祈りは恐怖をもたらすだけだということに。

 

そして、それが違う形(=願望の実現)で成就するためには、生贄を必要とするってことを。

それが、この国の「神の仕組み」。イナリコードだ。
 

 

自然界は人間の恐怖を越えたところにあり、完全なる法則に基づいてそのバランスをとっている。

人間への配慮など存在しない。

 

もちろん、人の思いと自然界がつながって実現した美しい神の世界はある。

たとえば里山。

 

 


それは、自然の意思に人が寄り添ったときに起こせる奇跡であって、人間の願望が主で、自然がそれに従うのではない。
神の意思の実現に臣民が一体となって働いてきたからつくられた日本という奇跡。
我欲に神の力を使おうとした結果が、こうなったのは、当たり前。
 

 

祈りたいなら祈れ。

あなた方の大事な娘や息子、愛するパートナーを差し出す覚悟があるのなら。

 

 

 

そんな覚悟もないまま、「難を避けたい」と祈るなど、都合がいいにもほどがある。

難を避けたいなら、難をつくるな。

 

 

お祓い?

ふざけるな!

 

 

コロナの間、何度もわたしは書いた。

アマビエが伝えてきたように、もう海は汚れて流れてくる罪穢れを引き受けられなくなっているのだ。

 

 

あなた方の行動をあらためることなく、あとはお願いねと言ってももう自然界には人間のエゴを浄化できる余力はないのである。

 

 

 

能登には志賀原発がある。

しが=シカ=海人族の場所である。

シカの犠牲を必要としている

 

 

原発が安全ならば、東京湾につくるべき、とわたしはずっと主張してきた。

 

 

東京の責任はもちろんある。

でも、それがそうならなかったのは、地方に原発を置きたい人たちと、それを黙っていた人がいたからだ。

 

 

 

 

わたしは社会においてきた人質のために、自分の人生をささげてきた。

 

 

 

宇治の橋姫神社でわたしはみた。

各地の原発からの距離。

そしてそことの結びつき。

 

 

龍が目覚めたら、原発も動くだろう。

 

 

そうしなかったのは、人の子への思いがあったから。

 

 

あなたたちの手で、あなたたちの理想を創りなさい。

 

 

自分の蒔いた種は、自分で刈り取る。

 

 

あとはお願いね、のご都合主義はもう終わり。

本土を騙した狐は、黄泉の国に帰ることになる。

人の魂を願望の実現と引き換えに食らうという眷属神。

 

 

ダキニ天が悪いんじゃない。

彼らにそれを望んだ人間の問題なのだとわたしは思う。