姫神を訪ねる旅〜番外編  夢のこと、呉のこと | かんながら

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旅の記録です

 
今日は不思議な夢で目が覚めた。
 
赤い鳥居と石の鳥居があって、
昔は(鳥居の向こうに)自然を祀ってた
って教えられる夢。
 
鳥居の向こうが自然ってなんなんだろう。
 
鳥居の向こうが山や森で原生林がみえたので、今朝は明治神宮をいつもよりゆっくり歩いた。
 
 
 
引越してから、どうしても距離と時間との関係で、森をゆっくり歩けていなかった。
 
私はあの森を守る人たちをとても愛おしく思っており、私もそうありたいと強く思っている。
 
とくに毎朝の参拝に来られるご近所の方々、衛士さん、警備の方々、落ち葉を集めて土に戻す掃き屋さん、ゴミを集めて運びだす人、あの森は目立たない仕事で関わる人たちの清らかな思いによってつくられていると強く感じるからである。
 
 

 
でも、引越してから余裕がなくなってて、うっかり森と自分との一体感が薄らいでいて、そこで腰の骨を折るという。
私もまたこの森に守られていたんだな。
 
 
 
今日はオオタカ鳴いていて、顔見知りのカメラマンさんが、場所を教えてくれて姿を確認。
鳥もきた。
 
鳥居だけに。しかも鷹。
 

明治神宮は、今年が鎮座100周年の節目に当たり、鎮座時との比較の写真が設営されている。
左の荒地が、右の緑の森へと、100年前の人たちが、未来に生きる私たちのことを考えて計画してくれた。
そしてその計画を黙々と形にするために、日々働いていてくださっている方がいてこうなった。
 
素晴らしい計画があっても、それを実行するものがいないとダメなのだ。
そのメンバーには虫もミミズも微生物もはいっている。
 
巫女さんや、宮司さんや、表の人たちだけでなくて、
掃き屋さんや、地元の人の思い、微生物、めだたないものも共に働いて、明治神宮は成り立っている。
だから、パワーがあるのだとわたしは思っている。
 
 
帰りがけ、牛乳と卵を買いにコンビニに寄ったら、呉がきていた。
 
しかも日経一面!
 
 
先日の広島の旅の目的は詳しくは書いていないが、実は呉であった。
呉のある場所に行って欲しいと頼まれて、いくことになった。
 
そしてその場所に関わる場所を調べていたら、大分の「姫島」がかかわっていて、宇佐神宮の元宮である「御許山」につながっており、石清水八幡宮ともつながっている神社があった。
 
そして元の地名は「亀山」だったのである。
 
その神社は、呉市の「亀山神社」、そしてその御祭神が宇佐から最初に降りられた場所が、「甲手山八幡宮」である。
 
なぜこのことは書かずにおいたかというと、あまりにも壮大すぎてわからなかったからである。
 
 
でも、今日日経の一面に「呉」がでて、しかも「鉄」の減産というニュースであれば、なにか重要なサインでありそうである。
 
鉄といえばタタラ、赤(あか)、物部、と関連しているからだ。
 
 
そういえば、宮島で弥山に登ったとき、「多々良」という場所に繋がる道があった。
 
もちろんわたしは日没が近かったので多々良方面には降りなかったが、ということは、ここにはなにかあったはず、とは思った。
出雲や熊野とつながるなにか。
 
宮島では興味深い話をいくつか聞いた。
その中のひとつが
 
「宮島では稲荷信仰が禁止されていた」というものである。
 
こちらもまだウラを取っていないので記事にしなかったのだが、観光協会の方に
 
「遊郭があったみたいですが、稲荷はないのですか」と聞いたら、
「稲荷信仰禁止」という宮島ルールを教わったのである。
 
昔宮島は、島自体がご神体で、神官すら泊まることはなかったのだそうだ。
そんな神の島なので、土を耕すのに鍬を入れることは許されず、田畑は作らなかったというのである。
だから農耕を司る稲荷神は拝まない、ということなのだそうだ。
 
 
ちょっと強引にも聞こえる「稲荷信仰禁止」。
もし本当ならもっとなにか深い意味がありそうだと感じた次第である。
 
 
そうそう、亀山神社の御祭神は、腹帯に石を抱いて、出産をのばして三韓征伐に向かった神功皇后なのだが、今わたしは腹帯(コルセット)を巻いている。腰の骨を骨折したからである。
 
「神功皇后といえば腹巻やで」、と知人に指摘されてはっとした。
 
比売神が動き始めている、そうかんじている。