佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美 ~京都国立博物館~ | あべしんのブログ

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京都・奈良・滋賀。寺社、古墳、花……、史跡をぶらぶら散策するおじさんの日記です。
京都市内は、ランニングしながら、ぶらぶらしていることもあります。

皆さま、こんにちは。
「食欲の秋」「行楽の秋」「読書の秋」「芸術の秋」です。
残念ながら、あまり時間が取れなくて、また正直、ギリギリの状態で日々過ごしていると言った方がいい状態でして──。
そんな中ですが、前売り券を買っていました関係で・・。
「芸術の秋」実行!

行って参りました、京都国立博物館に。
『佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』を見に。

NHKの番組(『歴史秘話ヒストリア』&特集『響きあう美 佐竹本三十六歌仙絵』)とか、テレビ大阪(東京)の『美の巨人たち』とか・・。
世間では、いろいろ取り上げられていますので、100年前の《絵巻切断の経緯》は、皆さま、ご存じの通りです。

私のような素人は、天神さん(北野天満宮)の絵馬所に掲げられている「三十六歌仙絵」で十分なんですけど・・。
──と思いつつ、いざ展覧会の会場に足を踏み入れたら、、、
「来て良かった❗」と感激してしまいました。

国宝・「三十六歌仙集」の綺麗な料紙が視界に入って!──何でも、白河法皇六十賀のために作られたものだとか・・。だとすると、平安時代、900年位前のもの!!

凄い保存状態にビックリしましたが、、、この期間の展示が「素性集」だったので、ちょっとだけニッコリ!!
今回の絵巻切断の主人公、益田鈍翁(どんおう)が、籤引きで引き当てたのが、「素性法師」。“坊さん”が当たったのが不満だったと言うか、本当は“お姫さま”の「斎宮女御」が欲しかったらしく、まわりが《慌てた》と言うエピソードを思い出したからです。
私も、子どもの頃、よくやった「坊主めくり」で、“坊さん”が当たっら《ショック》で、“お姫さま”を引き当てたら《歓喜》でしたけど・・。

でもねえ──。
今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな
の歌は、誰もが知っている(『百人一首』で)有名な歌ですし、素性法師さんは、桓武天皇の曾孫。もと殿上人で《れっきとした貴公子》ですからねえ。
などと感激しながら次の展示を見ると、さらに歓喜!!!
『古今和歌集』最古の写本と言われる、重要文化財・「高野切 貞観御時に」や、、、
同じく、『古今和歌集』書写本の、国宝・「本阿弥切 古今和歌集巻第十二残」など、、、
その他にも、たくさんの古文書を見ることができて!!

話は逸れますが、つい最近も『源氏物語』の「若紫」の写本、しかも藤原定家筆のものが見つかって、ニュースになっていました。
700~900年も文字前の、文字の書かれた紙が、残っているなんて、凄いことなんです。


またまた話は逸れますが──。
本題と関係なく、すみません。

「本阿弥切」は、戦後、若狭小浜藩主であった酒井家に伝わったものから発見されたとか・・。

私、ちょっと前、‘某’プレゼンで──。
『伴大納言絵詞』『吉備大臣入唐絵巻』の「場面」が、ちょっと‘要りよう’になって、近くの図書館で、写本を閲覧、一部複写させていただいたりしたことがあるのです。
さて、この2つの『絵巻』、これらも、もと若狭小浜藩主であった酒井家に伝来したものです。そして、現在、『伴大納言絵詞』の方は、出光美術館の所蔵ですが、『吉備大臣入唐絵巻』の方は、海を渡って、ボストン美術館に行ってしまってます!!
※時々、里帰りすることもありますが・・。

そんなことを思い出しながら・・。

皆さま、ご存じの通り──。
明治時代以後、わが国の“美術品”がたくさん海外に流出してしまったんですね。
おそらく、残っていれば「国宝」に指定されていただろうと思われるものが数々と!

それで《絵巻切断の経緯》は、皆さま、ご存じの通り──。
『三十六歌仙絵』、旧秋田藩主・佐竹侯爵家に伝わった通称「佐竹本」は、大正6年に売りに出されましたが、ついた値段は、現在の貨幣価値で数十億円とも・・。
1人の買い手では高価すぎて購入が難しいので、経済界の重鎮で茶人の益田鈍翁が呼びかけ、絵巻が分割され共同購入されることになったんでしたね。
そして、絵巻の断簡を手にしたのは、経済界の大物たち。

当時、武家階級の没落や廃仏毀釈で、多くの“美術品”が海外市場に流出する中でした。富豪たちが《切断し分割して持つ》ことで、文化財が海外流出することを免れたのんですね。


今回の見所は2点。
1点目は「佐竹本三十六歌仙絵」自体の美しさ。
2点目は、「掛け軸」にされ、「茶掛け」として生まれ変わった「三十六歌仙絵」の新たな美しさ。

それで、1点目。
私が、何故、今日(11月6日)に行ったかと言うと──。
パンフレットやパネルを飾る「小大君」が、今日から展示だからです。
岩橋の夜の契りも絶えぬべし明くるわびしき葛城の神

この「小大君」の十二単衣の裾の部分には、金泥が使われているとか!

そんなこともあり~の──。
『佐竹本三十六歌仙絵』の料紙は、「打ち紙」の「雲母(きら)引き」と言“特別の和紙”で、そこに《絵師の中絶技法》で描かれています。是非、絵巻の美しさを、堪能すべきです。


でも、面白いのは、2点目の方。
「表具スタイリングの競演」です。

「坂上是則」
み吉野の山の白雪つもるらしふる里寒くなりまさりゆく

吉野山の雪を詠んだ歌に合わせて、雪山を描いた絵を切り取って表具にしているとか。
また、同じく絵が、隣りの「平兼盛」にも表具として、使われていましたが・・。
このバッサリ切り取って表具にされたものも「室町時代の絵画」だとか!──貧乏人の私には考えられない贅沢感。

ても、それで季節感が大幅に増しているですからねえ。

他にも──。
「紀貫之」
桜散る木の下風は寒からで空に知られぬ雪ぞふりける

本願寺の能装束だった唐織を使っているそうで、とても可愛いデザインにビックリ。

または、「藤原仲文」
有明の月のひかりを待つほとに わが夜のいたく更にけるかな

この断簡を入手した実業家で茶人の北村謹次郎(北村美術館ゆかり)が、自身の還暦記念の茶事で用いた際に取り合わせたという、景徳鎮窯の「青花高砂花入」(重要文化財)もセットで展示されていましたが・・。
やはり、表具には「特別の裂(きれ)」が用いられているそうです!

すみません。話が長くなるといけません。
だいたい素人の私が、この展覧会の展示作品について、細かくコメントすることは間違ってますね!


でも、おまけに──。
実は、最後の最後に、鈴木其一「三十六歌仙屏風」が展示されていました。
前にも書いたかも知れませんが、私は、琳派、特に酒井抱一鈴木其一のファンなんです。
江戸時代後半のものと、鎌倉時代の「三十六歌仙絵」を比べることはできません。でも、マニア的には、こっちの方がおいしかったかも・・。

“マニア的”と言えば──。
ブログの方では、明らかにしてなかったかも知れませんが、私『ちはやふる』の大ファンなんです。
それで、博物館2階の階段踊り場で、『ちはやふる』複製原画が、展示されていました。
これも、おいしいかも・・。
ブログで紹介しないと思いますので!
現在、京都国際マンガミュージアムでは、「『ちはやふる』の原画展」開催中です。

いろんな意味で、、、
「行って良かった❗」展覧会。
あっ、今日(11月6日)は、三十六歌仙中、27歌仙プラス住吉大明神の集合でした!──これって、「超スゴい❗」ことらしいです。