2015/4/18(土
1971年の夏休み、高校2年の時、川根町笹間上の同級生Aの
家に一泊した。同級生Bの家にはちょい寄り。
笹間から志太平野の学校に通うのは困難なので、AもBも下宿して
いた。世間知らずの私には刺激的だった。そんな山奥に暮らしてい
るんだ、と。
ここ数年、A&Bの家を再訪したくなり、2度ほどサイクリングを兼ねて
探し回ったが、結果はイマイチだった。ヒトの記憶は曖昧だ。
今回は、当時のPTA会員名簿の住所からピンポイントで位置決めし
地図をプリントしてサイクリングに向かった。
ルートの概要
自宅~東海道線沿い~入江橋~朝比奈川沿い~西又峠~久能尾~
清笹峠~笹間上(日掛まで往復)~笹間渡~村の味(昼食)~
県道64(+旧道)~赤松から大井川リバティ~自宅
116km。
村良のキジ。
久能尾の尾崎商店。藤枝市の古い建築物と少し違う。
チョコレートを調達。
清笹峠。冬季のサボりと体重アップで辛かった。
粟原下のバス停。この近くにAの実家があるはず。
地図と記憶を頼りに目星をつけるが、家はそれらしいのがある。
でも、家の周囲がちょと記憶とずれる。とりあえずBの実家を目指す。
日掛のバス停。この近くにBの実家があるはず。
あった。解体されていた。ネットの航空写真では家が写っているので
ここ数年内に解体されたと推定できる。
日掛でUターンして戻る。
途中にある和風の建物。生垣も和風そのもの。
再び、粟原下のバス停に戻ってきて、元タバコ店を撮影。
店舗の下の部分がタイルだが、これは昔のタバコ店のお約束だそうな。
44年前は各家庭に電話がないので、近所の電話を借りていた。
呼び出し、というやつだ。推測だが、Aの家はこのタバコ店の電話を
借りていたと思う。名簿に(呼)とある。Bの家も同様だった。そういう
時代だった。
Aの家を確認したかったが、昼食時で出歩いている人がいない。
諦めて帰路につこうとしたときに、道路から50mほど奥まった
ところに老人が腰掛けているのをみつけ、挨拶の後、AやBの家の
ことを聞いてみた。
要約すると
①Aの家はすぐ近くにある。家は他人に渡っている。
Aの兄は藤枝に出て行った。
②老人はAのフルネームを知っていた。
③B家は下(志太平野)に出て行った。
(家は解体されていたことを老人に伝えた)
④昔も通学はバスだった。
⑤中学校・小学校も廃校になった今は家山にバスで通っている。
⑥日掛から静岡の峰山に行くことはできるが、大雨の後は道が
あれている。
など。
時刻が1時近くなったので辞して帰路についた。
昼飯は2時近くになっていた。
場所はここ。
久しぶりの100km越えで疲れた。
長年の懸案を解決したが、すっきりとはいかなかった。