昭和20(1945)8月11日から12日にかけて
久留米が空襲を受けました。
久留米空襲について総務省の記事がありました。
210人以上が犠牲となった久留米空襲から79年となった11日、福岡県久留米市で慰霊式が行われました。 慰霊式には、久留米空襲の犠牲者の遺族15人を含む74人が参列し、空襲が始まった時刻とされる午前10時半に合わせて黙とうをささげました。 久留米市は、終戦間際の1945年8月11日、アメリカ軍による爆撃を受け、市街地の7割が焼失。214人が死亡しました。 参列者は慰霊碑に手を合わせ、平和への誓いを新たにしていました。
太平洋戦争中の久留米空襲から79年となった11日、市内で慰霊式が開かれ、参列者が200人を超える犠牲者をしのびました。 久留米市では空襲があった時刻の午前10時半にあわせて「戦災死者慰霊式」が開かれました。 久留米空襲は終戦直前の1945年8月11日、久留米市上空に150機の米軍機が来襲し、爆撃を行ったものです。 市街地の4分の1が焼かれ、約4500戸の住宅が焼失、214人が犠牲となりました。 特に被害が大きかった小頭町に慰霊碑が建てられていて、式では遺族や市の関係者らが焼香し、故人をしのぶとともに平和への祈りを捧げていました。
久留米市公式ホームページPDF/平和への顔い・又留米の戦争遺跡 (3) 一空襲遺跡編
西日本新聞/1945年8月の久留米空襲で焼け野原になった市街地
ちょうどブログ更新している日が久留米空襲の日でした。
そこでちょこちょこと検索
戦争から79年
来年にはちょうど80年の節目を迎えます。
何かしらイベントのようなものがありそうですし
戦争特番が組まれることでしょう。
終戦の年に生まれた人でさえ80歳になるんですよね
本当に戦争を知らない日本人になっていきますね。
この終戦の頃には、
自宅床下に作っていた防空壕は使用禁止になっていたそうで、
別の場所に防空壕を作るよう通知があったと聞きます。
ウェキペディアのホームページには
久留米市にも飛行機からまかれたビラの1つが乗っていました。
過去に見たことのある本では、
撒かれたビラは数種類あったようで、まかれた時期などで空襲標的の地域数/地域名が違っていたようです。
現在も、世界では戦争が行われていて
ロシアによるウクライナ侵攻は2022年2月24日から。
2023年パレスチナ・イスラエル戦争は、
2023年10月7日から。
日本から戦争(人災)が終わったかと思えば、
今は、台風、地震、豪雨…の自然災害
穏やかな日が少しでも増えますように…。
過去はもう過ぎた
未来はまだ来ていない
今、ここで、この瞬間。
思考を止めて、何も起きていないこの1秒を感じられるように
そういう一瞬を少しでも感じたいなと最近思っています。
参考/引用
- 総務省
- FBS
- TNC
- 久留米市
- ウェキペディア
- youtube など