3.11 | Polaris(ぽらりす)

Polaris(ぽらりす)

風の赴くままに

東日本大震災が起きたのが

2011年3月11日(金)14時46分ごろ。

三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近

深さ約24kmを震源とする地震

日本国内観測史上最大規模でした。

 

今年は2024年。

13年経ったようです。

 

私は13年前何をしていただろうか?

確か…最初にこの地震を知った映像が、

コンビナート火災だった気がします。

 

見た映像は、

既に空が暗くなり始めている中で、

コンビナートから火の手が上がっていたので、

これはどうしてこんな火事が起きているんだろう?

という感じでした。

 

映像では、特に説明もなく、ただただ映像が流れているという記憶です。

 

それから数時間して、

どうやら大きな地震が起きたようだということを知ったものの、

翌日になっても大した情報が出てくることがなく、

現実感というのは薄かったです。

 

以前にも書いたことはあるんですが

私がHSP気質なもので、

全く当事者でないのに、

東日本大震災の映像や記事を見ていると

段々と具合が悪くなってきます。

 

目を背けたい現実。

被災者の方々はそれさえも出来ない、現実が突き付けられる状態だと思うと、私って甘えている…って思っちゃうんですが。。。

 

久々に震災の写真を見たのですが、

やはり1分以上は見ることが出来なかったです。

 

全てが壊れてしまった土地を見ていると

今度はウクライナのようにも思えてきました。

 

戦争という人災も 地震などの自然災害も…

見た目は同じようなものです。

 

今もなお東日本大震災の頃から継続支援してる団体様がいらっしゃいます。

 

今年の1月1日は石川県で能登半島地震も起き、

 

形あるものが次々に失われていく、

まるで手のひらの指の間からすり抜けるように

懸命に握っても握れない

その手のひらの中に何が残るのか。

 

比較は全く出来ないのですが、

私も大切な人を幾度も失ったことがあります。

 

大切な人やモノがあると、

同時に失うということが怖いという気持ちも湧いてしまいます。

 

最近は、極力形を残さないようになってきました。

形あるものはいつか失われていく、

形ないものを大切にしたい。

 

こうやって理不尽に失われていくのに

何が争いだ、何が競争だ、

虐めだ、虐待だ、ハラスメントだ…。

 

そんなものどうでもいい。

そんなことするくらいなら関わらなければいい。

そんな風に敵視しているのであれば、

わざわざこっちを見なくていいし、

わざわざ悪口言わなくていいし、

あなたはあなたの人生を、私は私の人生を

分かり合えない人同士、無理に分かり合う必要もなく

同じコミュニティに居なければならないのであれば、

互いに線引きして、互いに踏み込まず、

目的の時だけ、目的のために行動する

それでいいではないか?と思うのです。

 

気を引きたくて攻撃してきているのであれば

そういう行動では分かり合えないということを

早々に学んでほしい。

 

もっと自分の人生を

もっと自分のために、もっと大切な人のために、

もっと大切なことのために

いつ突然失われるか分からないこの瞬間を、

一瞬一瞬を大切に

 

菜の花が風に揺れるその瞬間、

梅の花や 桜の花が

風に乗って踊る瞬間、

この瞬間は二度とない

 

二度とないこの一瞬を

しっかり脳裏に焼き付けたい

美しいもの、温かい温度、さわやかな風、軽やかなリズム

ふとした時に思い出せるように

自分にしっかり覚えさせたい

 

そのうち記憶は消えていくけど、

忘れたくないものを忘れなくて済むように

覚えたくないものに関わる時間は極力減らしたい

 

春になってイベントも多いかもしれないけれど

どんな境遇だったとしても、

必ずその季節に、心地よく1人で過ごした思い出を作る

これが自分を救う

認知症になって、皆がいない…と不安ばかりになるよりも

あら気持ちいい日差し、あら綺麗なお花

そうやって一瞬自分の心を和やかにさせるもの

それを作っておく。

私はそうやってここ数年は思い出のレパートリーを増やしてます。

 

思い出すと涙が出て来る季節でもあるんですが、

今年も少し暖かい日差しに身を委ねたいなと感じてます。

 

参考

  • 内閣府 防災情報