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英語学習者と世界を繋ぐキューピッド

Globalish講師の高橋 アキです。

 

オンラインで大学生から70代まで

幅広い年齢の方に英語を教えたり

日本語-英語の翻訳・通訳を提供中。

 

英語を教えることを通じて

日本に英語とグローバルマインドが浸透する

「日本の北欧化」を目指しています。

 

 

 

先日、非常に興味深い

“ディスカッション”

聞く機会がありました。

 

正確に言うと、

「ディスカッション」ではなかったのですが

ある音声配信でリスナーからの質問に

配信者がご自身のお考えを発信し

それに対して様々なリスナーが

それぞれの考えや学びをアウトプットしていて

客観的に聞いていくと「ディスカッション」の

ようになっていました。

 

英語で『~のようだ』ということを伝える時に

口語だとジェスチャーで“”をつけて

文語だと“”の記号をつけて表現するので

このブログでは“ディスカッション”

表現させていただきました。

 

 

 

ディスカッションのトリガーとなった

質問はこんな質問でした。

 

「批判的な意見をどう捉えるか?」

 

この質問に関連して興味深いと思ったのは

次のような点です。

 

✓「批判」をネガティブに捉えている人が多い

✓「批判」と「誹謗」を混同している傾向が見れる

 

両方のポイントにおいて

「批判」とはなにか?という定義が

大切だと思うのでまずは

「批判」の意味を調べてみました。

 

「批判」とは

 物事に検討を加えて、判定・評価すること。

 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。

 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。

参照:Weblio辞書

1つ1つ見ていきましょう!

 

評価には、

自分にとって望ましくない評価も

あるかもしれませんが

好ましい評価も含まれます。

 

ですので、「批判」の意味は

悪い評価を下すことだけではないと

しっかり認識することが

大切だと改めて感じました。

 

 

言動・仕事の誤りや欠点を指摘するには

いい面を褒めることは含まれていないので

耳の痛い話を聞かされることになりそうです。

 

相手に悪意が無くても誤りや欠点を

指摘されるのは嫌ですよね。

私の場合、

誤りや欠点を指摘されるのが嫌ではなく

誤りや欠点に気づくと発生する

「修正作業がめんどくさい…」

だから、気づきたくないという心理が

働いてることが多いです。

 

しかし、誤りや欠点は修正することで

サービスや製品が良くなりますよね。

 

業種によっては

お客様の命にかかわるような事故を起こす

誤りや欠点もありますから

事前にめんどくさくても修正するべきですし

誤りや欠点の指摘は建設的な意見として

非常に重要だとも言えます。

 

 

 

最後に、

認識・学説の正当性を確立するために

様々な角度から分析するのは必須です。

 

先日、英語の先生の会にて

理事のミツイ直子さんが出版された

新刊の出版に関するお話を聞く機会がありました。

 

▼直子さんの新刊です!

 

 

 

この新刊を出版するにあたり

かなり校正を行ったそうなのですが

直子さんはアメリカの大学や大学院で

Writingを学ぶ過程で「校正」の重要性や

なんどもバツを入れて書き直す過程を

行っていたことが役に立ったとお話されていました。

 

「言動・仕事の誤りや欠点を指摘する」にも

通じるかもしれませんが、

アカデミックの分野でも

いいものを提供しようと思ったら

真摯な指摘は必要で

多角性を得るために多くの人に観てもらい

そういう人々の意見をまとめて

さらに良くなるように修正していくという

プロセスが大切だということを感じました。

 

 

このように、「批判」というのは

より良いものや正しいものを

創造したり、生み出すうえで

必要な健全なフィードバックであり

決してネガティブなものではないことを

認識することが大切ではないでしょうか。

 

 

 

しかし、「批判」をネガティブに

捉える人が多いのは、

目上の人に意見を言ってはいけない

日本独特な風潮に属するものなのかな?

とも思いました。

 

親(年長者)に意見をいうな

親(年長者)が間違っていても正すな

 

私はこういわれて育ってきた世代ですが

逆を言うと年長者が

「批判」を受け入れられない

「批判」に馴れていない

国民性なのかなと推測します。

 

「批判」は健全なフィードバックなのに

最初からネガティブなものと決めつけてしまう

文化があるのではないかと思います。

 

間違いを認識せずに、指摘されずに進めると

結局は様々な歪みやひずみが生じてしまいます。

それこそ、「はだかの王様」ではないですが

上手くいっていないのに「上手くいっている」と

思い込んでしまうちぐはぐな社会になってしまいます。

 

 

 

欧米では、古代ローマの時代から

元老院の人たちは会議の場で意見が違っても

会議が終わると肩を組んで歩いて帰る

というように「仕事」と「プライベート」を

しっかり区別していたようです。

(参照:塩野七海著「ローマ人の物語」新潮文庫)

 

今のアメリカでも会議で議論していても

会議が終わるとケロッと仲良くなるという話は

書籍を通じて読んだりもします。

 

欧米の教育は「生徒中心」にシフトし

生徒たちが自分の意見を出し合って

一緒に学んでいくことをしています。

 

その過程で必然的に、

自分と違う意見の話を聞く姿勢を培い

「意見」と「事実」を切り分けて

情報を処理する訓練がされているのだと思います。

 

 

 

また、演劇関連でも興味深い話を

聞きました。

 

日本の役者さんは監督に言われたことを

忠実に演じようとするそうなのですが、

アメリカの役者さんは監督が言ったことよりも

「この方がいい!」と思う演出があったら

監督に提案をするそうです。

 

私が聞いたのは、

トム・クルーズの例だと記憶しておりますが

(間違っていたらごめんなさい!)

口頭で監督にアイデアを言っても伝わらなかったら

サンプルの動画を撮って説明し

動画を見た監督が案の良さに納得して

演出が変わったということもあったそうです。

 

このように「監督」だから「役者」に

演出の指示をされたくないという風潮ではなく

「役者」の意見も「監督」の采配でいいものは

採用する!という文化の方がより良いものが

生み出されるのは明確ではないでしょうか?

 

 

先日、神田昌典が主催されている

リードフォーアクションという活動の

書籍アウトプットで

「多様性の科学」という本のまとめを

お聞きしました。

 

このまとめのなかで非常に興味深かったのは

「友達だけのチーム」と「多様性のあるチーム」とで

問題に取り組む課題を与えたところ

「多様性のあるチーム」の方が

コミュニケーションが困難だったけれども

正解率が高かったという結果が出たという話です。

 

異なる意見の中には「批判的」な意見も

きっとあるのだと思います。

異なる意見の人たちとコミュニケーションを

とるのはアメリカ人にとっても難しいこと。

しかし、その方が正しい回答にたどり着く

確立が高くなる、ということは

もし今自分にとって心地よい

コミュニケーションしかしていなかったら

ちょっと注意が必要だと考えた方がよいのかもしれません。

 

最後に、「批判」と「誹謗」を混同している

傾向が見られたということですが、「誹謗」は

「他人を悪く言うこと」で悪意がある行動です。

 

「批判」は悪意はなく健全なフィードバックですから

「誹謗」とは全く違います。

 

まずは、「批判」と「誹謗」は違うということを

しっかり認識することが大切です。

混同してしまうと、論点がずれてしまいますし

そもそも「誹謗」はしてはいけないことです。

 

それでも「誹謗」してしまう方が多いのは

「批判」を封じ込めてしまう文化の影響で

健全な「批判」をする機会が少なく

健全な「批判」の仕方を学び、練習する機会が

少ないというのも要因ではないかと思います。

 

健全な「批判」をする

健全に「批判」を受け入れる方法をぜひ学び

日本にも健全に「批判」し合える国に

していきたいですね!

 

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