中東のニュースといえばシリアの話ばかりが話題ですが。イスラエルとパレスチナも燻り続けています。そんなイスラエルからニュース。
シモン・ペレスが中東に遺した「楽観主義」
2016年9月30日(金)17時40分
デブラ・カミン Newsweek日本版
1990年代に、イスラエルとパレスチナには和平の空気が漂った。少なくとも遠い日本ではそう感じられた。記事に書いてあるが、「当時のイスラエルのイツハク・ラビン首相とヤセル・アラファトPLO議長」は「ともにノーベル平和賞を受賞」した。しかし、ラビン首相はパレスチナの過激派に暗殺され、不死鳥と呼ばれたアラファト議長も寄る年波に勝てず亡くなった。私は不勉強で、この時に三人目の立役者がいたことを認識していなかった。その三人目が当記事のタイトルにあるシモン・ペレスであり、この2016年9月28日、亡くなったそうだ。
個人的には、中東の混乱と、そこに渦巻く怒りというものは、なかなか想像がつかないと感じる。やはり世界が遠すぎる。日本は豊かで平和だ。私の周囲は分けても平和だ。
もう一本、以前見かけたままウォッチリストに入っていたニュースを紹介したく思います。1982年に中東のレバノンで起きた虐殺事件について書いた記事。
1982年「サブラ・シャティーラの虐殺」、今も国際社会の無策を問い続ける
2016年09月22日(木)07時37分
川上泰徳(中東ジャーナリスト)Newsweek日本版
ここには恐るべき虐殺の光景が描かれている。普通に暮らしていた家族の、家の外で銃撃戦が始まり、目の前で家族が殺された。インタビューに答えて当時の状況を物語る女性は、生まれたばかりの子供を抱えたまま、目の前で夫を殺された。道にあふれた遺体の中には「腹を切り裂かれた女性の遺体もあったという」はっきり書いていないが、妊婦だったのだろう。
私はつい最近、妻が一人目の子供を産んだ。妻の様子をずっと見ていたので、女性が自分の中に宿った命をどんな風に楽しみに感じているか、知っている。胎動を感じるたびに、痛がりつつも、本当に幸せそうにしている。この虐殺事件に加担した人間たちは、本当に人間の感情を持っているのだろうかと疑う。子供が生まれてくるというのは、ただ事では無いのだ。
家族というのは、このようにして育つものだし、命はすべて、このようにして育つ。それを或る日突然暴力的に奪うことは、月並みなことだが、許されることではない。
虐殺を行ったのは「キリスト教右派民兵」であり、虐殺が行われた場所は「レバノンの首都ベイルート南郊のシャティーラにあるパレスチナ難民キャンプ」このキャンプは当時「イスラエル軍が包囲」していた。だから武装集団がキャンプを襲撃するには、イスラエル軍の包囲を、イスラエル軍の許可を得て、通過しなければならない。当然、何が起きるか知っていてイスラエル軍のある程度以上の責任者が黙認したのだ。「国連総会で「ジェノサイド」とする決議が採択され」「イスラエルが設立した…(中略)…カハン委員会…(中略)…は、イスラエル軍に「虐殺の間接的な責任」があるとした」が、「直接的な責任」は問われないまま、責任は曖昧になった。「当時の国防相アリエル・シャロン」は「国防相辞任に追い込まれた」が、そのシャロンがのちに首相に返り咲く。
怒りは沸々と煮えたぎっているし、平和は遠いだろう。
しかし、現実から遊離することなく和平という理想を信じ続けた人の追悼記事は、幾許か勇気を与えてくれる。
シモン・ペレスが中東に遺した「楽観主義」
2016年9月30日(金)17時40分
デブラ・カミン Newsweek日本版
1990年代に、イスラエルとパレスチナには和平の空気が漂った。少なくとも遠い日本ではそう感じられた。記事に書いてあるが、「当時のイスラエルのイツハク・ラビン首相とヤセル・アラファトPLO議長」は「ともにノーベル平和賞を受賞」した。しかし、ラビン首相はパレスチナの過激派に暗殺され、不死鳥と呼ばれたアラファト議長も寄る年波に勝てず亡くなった。私は不勉強で、この時に三人目の立役者がいたことを認識していなかった。その三人目が当記事のタイトルにあるシモン・ペレスであり、この2016年9月28日、亡くなったそうだ。
個人的には、中東の混乱と、そこに渦巻く怒りというものは、なかなか想像がつかないと感じる。やはり世界が遠すぎる。日本は豊かで平和だ。私の周囲は分けても平和だ。
もう一本、以前見かけたままウォッチリストに入っていたニュースを紹介したく思います。1982年に中東のレバノンで起きた虐殺事件について書いた記事。
1982年「サブラ・シャティーラの虐殺」、今も国際社会の無策を問い続ける
2016年09月22日(木)07時37分
川上泰徳(中東ジャーナリスト)Newsweek日本版
ここには恐るべき虐殺の光景が描かれている。普通に暮らしていた家族の、家の外で銃撃戦が始まり、目の前で家族が殺された。インタビューに答えて当時の状況を物語る女性は、生まれたばかりの子供を抱えたまま、目の前で夫を殺された。道にあふれた遺体の中には「腹を切り裂かれた女性の遺体もあったという」はっきり書いていないが、妊婦だったのだろう。
私はつい最近、妻が一人目の子供を産んだ。妻の様子をずっと見ていたので、女性が自分の中に宿った命をどんな風に楽しみに感じているか、知っている。胎動を感じるたびに、痛がりつつも、本当に幸せそうにしている。この虐殺事件に加担した人間たちは、本当に人間の感情を持っているのだろうかと疑う。子供が生まれてくるというのは、ただ事では無いのだ。
家族というのは、このようにして育つものだし、命はすべて、このようにして育つ。それを或る日突然暴力的に奪うことは、月並みなことだが、許されることではない。
虐殺を行ったのは「キリスト教右派民兵」であり、虐殺が行われた場所は「レバノンの首都ベイルート南郊のシャティーラにあるパレスチナ難民キャンプ」このキャンプは当時「イスラエル軍が包囲」していた。だから武装集団がキャンプを襲撃するには、イスラエル軍の包囲を、イスラエル軍の許可を得て、通過しなければならない。当然、何が起きるか知っていてイスラエル軍のある程度以上の責任者が黙認したのだ。「国連総会で「ジェノサイド」とする決議が採択され」「イスラエルが設立した…(中略)…カハン委員会…(中略)…は、イスラエル軍に「虐殺の間接的な責任」があるとした」が、「直接的な責任」は問われないまま、責任は曖昧になった。「当時の国防相アリエル・シャロン」は「国防相辞任に追い込まれた」が、そのシャロンがのちに首相に返り咲く。
怒りは沸々と煮えたぎっているし、平和は遠いだろう。
しかし、現実から遊離することなく和平という理想を信じ続けた人の追悼記事は、幾許か勇気を与えてくれる。
