おはようございます、安藤ひさこです。
昨日は購入した車の納車でした。
前の車は娘がお腹にいるときに購入したので、思いでもたくさん。
ディーラーで最後に手放すときに、娘と車を撫でて「ありがとう」をしました。
さて、一昨日の夜のこと、夜寝る部屋に行くときに娘に
「先に行ってて。お母さん、お皿を洗ってから行くね」
そういうと
「ダメ。ママがいないと死んじゃう!」
「ママがいなくなったら、ひーちゃん、死んじゃうもん」
そんな答えが返ってきました。
「あらら、それは困るな~。」って伝えると
「もしママが死んじゃったら、ひーちゃん、ご飯を食べるのもやめる。」
娘の言葉に一瞬びっくりしました。
ご飯、食べるのもやめるって・・・一瞬返す言葉に詰まりました。
ちょっと心配になった。
大丈夫かな、どうしてそんなことを言うんだろう?
でもね、7才なので深いことは思って言っているのではないかもな。
「そっか~、ママは食べてほしいな。
さっ、一緒にねよか?」
さらっと返しました。
「そんなこと、言っちゃダメ」とか「縁起でもないことを言わないの」とか言いたくなったけど。
でも言わなくてもいいのかな。
ただ「聞く」。
彼女が何を感じてもいい。
何を思ってもいい。
彼女と私の関係はかなり蜜なほうだと思います。
一緒にいる時間は短いのですが、関係は濃いのかもな~と思います。
私自身の思いも強いのは確かです。
高齢で産んでいるので、長い目で見たらどう考えても息子たちほど一緒に過ごせない。
もう52歳の私にとって、7才のこの子がいくつになるまで元気でいられるのかな?ってことは考えるのです。
だからいつも悔いなく接しておきたいって思って接しています。
その私の「重た~~い思いを娘は感じちゃっているのかもしれません。
子どもの言葉って、びっくりしますね。
そんな風に思っていたんだな~ってこともよくあります。
最近思うのは、私が精一杯良かれと関わっていても、娘が成長して何を感じるのかまではコントロールできないってこと。
私の存在が重たかったと感じるかもしれない、
寂しかったと感じるかもしれない。
つらかったと感じるかもしれない。
仲良くいられたと思うかもしれない。
応援してくれたと思うかもしれない。
何もわかりません。
彼女が何を感じ、どう生きていくかはこれから彼女が選んでいくと思うのです。
そのときに私がいなくてくじかれたとしても、きっと立ち直り生きていく。
それを信じるしかないのですね。
だから彼女のびっくりするような言葉を聞いても、「そうか、そうか」ってただ聞く。
それでいいのだな。
二十歳を過ぎた3人の息子たちを見ていると、結局自分で考え、決めて行動している。
親との関係で何かしらあっても、子どもって自分で生きていく力がある。
私たちもそうであるように。
ただね、やはり関係がいいに越したことはない。
親子も人間関係だからね。
だから学んでみて知って、できることもあるんですね。
