甥っ子の子供誕生と私の育ての親の話 | 平田真実のブログ

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南米パラグアイから昭和レシピチャンネルを発信する平田真実の個人的ブログ。
昔の思い出話、グルメ、格闘技、ペット、家族、教会、会社、放射能被曝問題のことまで徒然なるままに・・・何のブログだろう?と雑多過ぎる内容ですが、これが私です(笑)

昨日の昭和レシピチャンネル、牛の頬肉を使った特製カレーの試食会も無事に終了

レストランの場所を提供してくれた甥っ子に初子が生まれたばかり、自宅へ行って抱っこさせてもらいました。

 

 

久しぶりの赤ちゃん、恐る恐る、壊しそうで緊張しました(*^^)

 

でもなんとかわいいことでしょう!

 

私たち兄弟も4人揃い、昔話に花が咲きました。

 

実は、私が幼い頃は、両親が料理研究家として共働きでほとんど家にいなかったため、家政婦さんに育てられたのですが、豊島さんという四国の方でした。

私の家に住み込みで、ばあばあと呼び、私にとってはそれこそ育ての母でした。

しかし、私が小学校2年の時に、引退、四国へ戻ってしまわれ私にとっては急に母を失うようなショッキングな出来事でした。

 

いなくなってからもずっと会いたいと思い続けました。

そんな中、昨日兄から聞いた話。

 

引退されてからしばらくして一度、豊島さんが私の家に突然来たことがあるそうなのです。

もうすでに認知症で何もわからない状態だったらしいのですが、四国から船に乗り鳴尾の駅まで辿り着き、家まで歩く道は覚えていたということです。

そして来た理由はなんと私に会い来たのだということでした。

 

四国では失踪したということで大騒ぎ。

覚えていないのですぐに連れ戻されたのでしょう。

私は会うことはできなかったのだと思いますが、ばあばあが来てたんだよと後で聞いて、なんで会ってくれなかったんだろうと悲しく思った覚えがなんとなく記憶の片隅にあります。

いや、それさえも聞かされてなかったのかも知れない。

 

 

昨日、私に会いに来ようとしていたということを初めて知りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パクーという南米の魚の炭火焼き