2022年になった。
コロナ禍が始まり、自粛生活となったのをきっかけに、いろいろな出来事を記録しようというくらいの軽いノリで書き綴ってきた『僕の自粛日誌』も、なんと『その⑤』にまでなった。
なんにしても、依然、状況が変わっていかないので、自分の記録として気楽に書き続けて行こうと思う。

 

 

1月
昨年の年末大掃除の際に、かみさん広瀬玲子の作品整理から、部品解体、再成形が始まり、結果、最悪の年越しとなってしまった。

 

見事な発泡スチロールの雪景色だ。
僕は急に現れたこの風景に、そっと静かに、ふすまを閉めた。

一方、僕の方は年末にアップした『オンラインレッスン生徒募集動画』の宣伝効果で、新規生徒の申込みが続き、年末仕事は29日まで、年明けは3日からと、ほどよく忙しくしていられた。

 

 

そして迎えた年明けは『オミクロン株』の猛威により、いきなりの第6波から始まった。
この変異株は、感染力が高まったものの、重症化率が低いという特徴があるらしく、なんとも微妙な緊張感だった。

アメリカ、イギリス、フランスが1日で新規感染者が20万人なんて聞くと、日本の100人台なんて奇跡だったけれど、周りの浮かれ様を見るに、それも時間の問題だった。
我が家では、今年も旅行や初詣は中止だったものの、食卓にはそれなりにご馳走が並び、Amazonプライム、Netflix、Disney+などの配信サービスをローテーションさせての、心豊かな正月だった。

 

正月明け、僕はオンラインレッスン、かみさんもリモートワークと、静かな日々が過ぎていく中、問題は僕の『東京での対面型レッスン』だった。
続けるべきが休むべきか、その判断が難しい状況だったけれど、そうこう言っているうちにすぐに新規感染者が2500人とドカンとはね上がり、有楽町の僕の教室は、すぐに休講という判断をせざるをえなくなった。
 

その週末には6000人突破、翌週には倍以上の13000人、18000人、25000人、と一日で1.5倍くらいずつ跳ね上がり、さまざまなイベントが中止になって行った。
賛否両論あるだろうけれど、僕のレッスン休講の判断時期は、それなりに適正だったのかもしれない。

 

静かに暮らしていれば問題はないかというと、そうでもなかった。昨年から左の五十肩が始まり、続けて右肩にも広がり、痛みで寝ていられないほどにまでなった。
少しでも悪化をさせぬようにと、かみさんから『寝ながらスマホ』をやめるように諭されるも、スマホ依存からの脱出はダイエット以上に難しい。
そんな状況に、新しい新兵器が投入された。

 

 

名前は知らないので『スマホ・タングステン』と呼んでいる。構造が昔使っていたタングステンライトと同じだからだ。
これによりどの状態でもスマホを見ることができ、メール、映画など、肩の痛みを考える必要はなくなった。
結果、前よりスマホを見ている時間自体が増えたことは言うまでもない。

 

 

そして1月中旬、悪い状況は重なる。
トンガ王国周辺の噴火の影響で、日本にも津波警報が発表された。
海から徒歩5分の僕の地元は、夜中の0時30分くらいに町のサイレンが響き渡り、スマホがけたたましく鳴り続けた。
 

うちは2階に住んでいるが安全とは言い切れなかった。どうしていいのかわからないが、とりあえず服を着て、実際に高台に向かうかどうかを考える。

緊急テレビニュースを見たという友人からのメールが届き、緊張が高まる。
災害用のパックは用意してあるものの、肝心なのは、今、避難すべきかどうかの判断だ。
少し前、かみさんと夜中に映画でも見ようと、新作映画選びで話し合い、ようやく決め、有料ボタンを押し、映画が始まるやいなやの警報だった。
「全く間が悪いっ!!」。
まぁ、そんなことも言ってられないのだけれど。

 

あまりにもけたたましく続くスマホの警報と、緊張感を高め続ける町内放送。
僕らは愛知にいた頃、床下浸水で車をダメにしかけた経験から、夜中2時頃に避難グッズを積み込み、車で内陸まで避難することに決めた。
行き場もないので、高速のパーキングエリアに停め、満潮の朝5時まで時間を潰した。

土曜の夜なのでそこそこ人もいて、なんとなく旅行気分だった。

 

数日後、この避難の疲れが取れる頃には、新規感染者は3万人、週末には5万人を超え、もうはや何がなんだかよくわからない状況になった。
やれやれ、これでまだ1月の中旬とは、先が思いやられる。

 

 

そして2月
さらに『オミクロン株』の影響は止まらず、1日の新規感染者8万人超えから月が始まり、その週の終わりには10万人を軽く突破した。
新記録更新というニュースばかりで、流石に感覚が麻痺してしまってはいたけれど、結局、僕らの自粛生活には特に大きな変化はなかった。

五十肩は相変わらずひどく、一晩に3回以上は痛みで飛び起きた。
先月の津波避難から『寝袋』が防寒に優れたエコな寝具として定着したのだけれど、実はこれが意外な五十肩対策となった。
肩が固定されるため、無意識の回転から来る激痛の心配がないのだ。
せまい寝室の中に、僕とかみさん、二尾のエビフライが並ぶ様は、なかなかに笑える絵面だった。

 

しばらくは、1日に、ほぼ10万人くらいの新規感染者の増加が続いた。
ある程度減る時があっても、検査が出来ないのがその理由という、まことに恐ろしい状況の中、僕の頓服薬が切れ始めた。
少し前に行った健康診断の結果などから、新たに診察が必要になっていた僕は、思い切って『オンライン診療』に申し込んでみた。
自分自身がオンラインを軸に生活している訳なので、ここはいち早く経験したいところでもあった。

 

事前に必要な資料をデータで送り、費用もオンラインで決済。
時間になると医療版のSkypeみたいな専用ページとつながり、画面越しでの診察が始まる。
担当の先生も多忙につき、予約時間には間に合わなかったが、僕の初めてのオンライン診察は滞りなく終わり、数日後には郵送で頓服薬の処方箋が届く。
これこそ未来という感じだ。
感染対策として病院の方々にもこの申込みの方が助かるというのも素晴らしい。

 

 

日々は穏やかに過ぎていき、2月24日。
午前の雪が急に晴れ始め、輝くような青い空が広がっていた。
僕らは予定していた近所の買い物から一転、新しいハーモニカ番組のための野外映像を撮るべく、外でのロケを行うことにした。

 

 

楽器と食べ物の撮影のため、昼食はモチーフとなるサンドイッチになった。当然、撮影が済むまで食べられない。おまけに日が陰るたび撮影が中断するので、そのサンドイッチを食べる頃にはパンも具もパッサパサになってしまっていた。

そんな呑気な日、ロシアがウクライナに侵攻し、突然戦争が始まった。
僕らは撮影の合間にスマホのニュースでそれを知った。
数日前から、そんな心配なニュースが出ていたが、このパンデミックのコロナ禍で「まさか」という感じだった。

 

一方的な侵略戦争に、世界中がロシアを非難した。
しかし相手は大国、たとえ全世界が敵になったところで、簡単に揺らぐわけではない。
日本もロシアからの資源の輸入に頼る部分もあり、これからも続くコロナ禍、最近の顕著な異常気象に続き、原油高騰から始まる世界的な恐慌までを心配しなければいけなくなってしまった。

 

 

3月になる
気がつけば、なんの盛り上がりもないまま、中国のオリンピックは終わっていたらしい。
うちはスポーツ音痴なので仕方がないものの、今回はそれも当たり前のことだった。ロシアのウクライナ侵攻により、世界が目まぐるしく動いていたからだ。

日本は、西側諸国と足並みを揃える形で、ロシアに経済制裁をかけ、僕らはネットにかじりつくように、朝晩とその動向をネットのニュースで観続けていた。
 

戦争のインパクトで、すでにコロナのことが意識からやや離れかけてはいたが、新規感染者の下がり方が5万人~6万人という高止まりで、状況は依然として改善傾向とは言えなかった。 

僕の対面型の教室も変わらず休講のままだったし、今までならコロナによる観光業や飲食業の圧迫からの日本の衰退を、うっすらと心配しているくらいだったけれど、ロシアのプーチン大統領が、侵略戦争に『核』をちらつかせ始め、先行き不安どころの話ではなくなってしまった。

 

そんな中でも、僕のオンラインレッスンの方は、ほぼ変わらず安定していて「急ぎで数回のレッスンを!!」というような新規の申し込みなどもあり、やや春らしい賑わいもあった。
けれども、定期の生徒のみなさんはそれぞれに落ちつかない様子で、それが画面越しで伝わって来る。この状況なので、それが自然なのだけれど。

 

日に日にウクライナでの戦火は広がり、ロシア侵攻へ抗議する制裁やデモ運動は、世界中へ広がっていった。
『世界がつながって初めての戦争』というキーワードが出ていたが、ネット社会になったせいで、当事国の大統領や高官が、Twitterなどを通し、直接相手に呼びかけるような事態になっていた。
在日のロシア人、ウクライナ人のYouTuberたちも連日話題となっていた。
僕はニュースの合間にそれらの個人発信の動画を見ることで、なるべくマスメディアに先導さえないようにしようと気をつけていた。

 

僕らもできることをということで、在日ウクライナ大使館あてで寄付をしてみた。
戦争なだけに、寄付の是非にも様々な意見が飛び交っていたが、僕らは誰かと話し合いたいわけではないので、自分たちの価値観だけで動くことができた。

 

このような日々の中で、コロナへの関心は急激に下がり続けてしまったように感じる。
新規感染者数は変わらず5万人~6万人という高止まりで異常な数字な上、『BA-2』なるオミクロンの変異株が発見され、再び上昇傾向に転じるかもしれないというのに、外では全員がマスクを付けている以外は、普通の春先の浮かれ具合に見える。
このまま春休みの観光シーズンに突入して、本当に大丈夫なのだろうか。

そんな中、僕は両肩の激痛が痛み止め薬である程度効いているうちに、思い切って、少しずつ進めて来た新番組の本撮影に踏み切ることにした。

いつまでも撮影を伸ばして来たものの、結局、僕の晴れない表情だけはどうしようもなかった。とにかく、始終痛く、眉間のシワが取れることがないのだから。
かと言ってこれ以上先伸ばしにして、戦火が広がったことで本当に世界恐慌にでもなり「全てが消え失せたら・・」なんて妄想していると、やはり落ち着いてもいられなかった。

 

けれども、なかなか勢いはつかなかった。
3月16日、宮城県を震源とする震度6強というかなり大きな地震が起きたからだ。
死傷者も出て、3.11までではないまでも、新幹線が脱線するなど大きな被害が出た。
数日後にも岩手で大きな地震があり、コロナと戦争で憂鬱だった気分にさらに追い打ちを掛けた。

 

このままではいつ何時、何があるか分からない。
僕は撮影したばかりの動画を急ぎ編集し、なんとか完成をさせた。
久しぶりの撮影ということもあり、今までのようにスムーズに運ぶことは何ひとつなかった。

 

とは言うものの、終わってみれば、ハーモニカを『これから吹こうという人に向けた番組』という今回のコンセプトが、結果としてさまざまな不可能を可能にする結果をもたらしてくれた。

 

目玉コーナーのひとつが『僕のハーモニカ失敗談の4コマ漫画』に決まっていたものの、かつては仕事にまでしていた僕の画力は、肩の痛みのせいで、本当にひどいレベルになってしまっていた。
腕だけではなく指先すら痺れるのだから仕方がないのだけれど、これにはさすがにうなだれてしまった。

 

 

何度書いても不調で、落ち込んではいたものの、かみさんに見せると、「今回はヘタっぽい方が、逆に効果的」ということで、まさかの結果オーライとなった。
ハーモニカが上手く吹けない頃の情けない感じが、絵からよく出ているらしい。

 

続いてアテレコ(セリフ録音)。
これもひどいものだった。
声優ではないので上手くはないものの、とにかく落ち込んだのは、効果音に使う『ハーモニカの音色』が、想像以上にひどいことだった。

とはいえ、これもまた「ハーモニカが上手く吹けなかった頃の、なんとも言えないもどかしい感じがよく出ている」という訳だ。
まさに怪我の功名。このセリフ入り4コマ漫画部分のコンテンツ制作は、この絶望的な状況にうってつけの作業だったわけだ。

 

たどたどしさは演じるのが難しく、必ず白々しさが出る。
少女漫画の名作『ガラスの仮面』の月影千草先生なら「あなたは、まだハーモニカが吹けない人になれていない」とお怒りになるところ。
でも、今回は北島マヤも真っ青、姫川亜弓ですらひれ伏す完璧さだ。なにせ全力投球の結果が、自然にたどたどしいのだから。
我ながら仕上がりには満足出来たが、「このままだったら悲惨だな」と、先行きが憂鬱になった。

 

とりあえず1話、2話のエピソードを完成させたところで、1年半という期間を空けた、実に久しぶりの続編公開となる。
思い切って2話同時公開をすることに決めた。
また、撮影スタジオが変わったこともあり『新番組のお知らせ』として、短めの宣伝動画も公開してみた。

 

 

YouTubeだけでなく、自分のHP、Facebook、Twitter、Instagram、ブログ等々、久しく触れていなかった全てのSNSを、それぞれ更新してみた。
公開するやいなや多くの方々からご連絡をいただいた。
今までマメに更新していた僕がプツリとやめたわけなので「もしかしてコロナに、、、」とご心配を掛けてしまっていたようだ。

 

そして、とりあえず完成した番組が、この動画だ。
お時間のある方はぜひご覧頂きたい。

 

 

番組記事の詳細はこちらをご覧ください

 

今回の番組は、様々なパーツを別々に制作していたので、なんとか全体が上手くまとまってホッとした。

画面が変わる時に出てくるハーモニカの風景動画は、スマホで撮影するのだけれど、やってみるとこれがなかなか面白い。
自分の楽器を『イケメン』に撮影する、いわゆる映える(ばえる)というのを目指すわけだ。
結果、景色の良い場所を探して出掛けるのは、精神衛生上も良かったし、最高の息抜きにもなった。
誰でも簡単にできることなので、意外と流行るかもしれない。

 

 

かみさんの提案で、急遽、新番組全体をかなり早いペースで撮影・公開していくことになった。
その理由は、今のコロナ禍、ウクライナ侵攻、異常気象や天変地異等々への不安だけではなかった。
新番組を、全10話と銘打ったことが裏目に出て「完結するまで観ない人がいるかも」との不安がよぎったためだった。
僕自身、AmazonプライムやNetflixなどでも、全話揃わないと観ないようにしているので、この不安はなかなか拭えない。
かといって、そんなハイペースで、あと8本も撮れるのだろうか?

 

 

3月末頃、僕らは3度目のワクチンを打った。
すでに注射の流れ作業は完璧で、1分と無駄がなかった。翌日には軽く発熱し、オンラインレッスンでも「顔が赤いけれど大丈夫でしょうか?」と心配されてしまった。軽く、腕が痛くはなったものの、五十肩の痛みがあるため気にはならなかった。

などと、油断したのも束の間、深夜になり突然39度の発熱。かなりきつい。
まるで冷凍庫の中にいるような寒さに身体中が震え、いつもの寝袋に飛び込んだ。霜のはったアイス枕をキンキンのまま直でも顔にのせることができたほどだった。今までにない発熱で、正直とても怖かった。
かみさんは「脇が痛い」というのみで、なんとかなったらしい。まぁ、僕の世話の方が大変だったろうけれど。

 

発熱は4~5時間くらいで一段落したものの、その間に久しぶりの持病の腸のけいれんがあった。
さんざんもんどりを打った後は、もうぐったりとしているしかなかった。
接種3回目にして、初めてのきつい副反応だった。4回目の話が出ているけど、本当にもううんざりだ。

 

 

続いて4月
新規感染者の増加は日に5万人前後と、状況は高止まりのままだった。
僕は4月も対面型の教室の休校を続けたまま、相変わらず、仕事はオンラインレッスン頼りという日々が続いていた。

ロシアのウクライナ侵攻は止まらず、連日、僕はニュースにかじりついていた。流れる映像はすざまじく、夢にまで出てきたほどだった。
友好国に合わせる形でロシアに積極的な制裁をかけた日本に対し、ロシアはまさかの「北海道を狙う」可能性までほのめかしてきた。

これには日本中がびっくり仰天だった。どこまで行っても日本が戦争に巻き込まれることだけはないと、心底思いこんでいるからだ。
「いやまさか、そんなことはないだろう」と。
けろども、ウクライナの人たちだって、おそらくはそう思っていたのだろう。

 

 

そんな不安だらけの陰鬱な状況を打破するべく、ゴールデンウィークを目前に控えた月末、以前よく行っていた温泉に一泊旅行に行くことにした。
宿側に『この日のみ食事が出せない』という特殊な事情があるということと、平日ということもあり「この日はガラガラに違いないだろう」との判断だった。

 

あいにくの曇り空の出発、途中にパラつき始める雨。おかげでどこも空いていて、そこはかとなくさびれた情緒が実に心地良かった。
僕には久しぶりの長距離運転で、悪化した両方の五十肩がうっすらと鈍い悲鳴をあげ続けた。

 

4~5時間で到着。
旅館に食事がないため、近くで見掛けた古びたとんかつ屋へ。

初老の店主から、
「ねぇ、お父ちゃん、どこから来たの?初めての人ならミックスフライ定食にしてもらえる?おススメだから」
自分にこんな老いた息子がいたのは驚きだったけれど、ここは素直に従った。

すぐに味噌汁と、頼んでもいない冷めたカレーをかけたどんぶりライスが出て来た。
ノーマスクの店主から大声で話しかけられるのもだけど、一口食べるごとに「おかわりいる?」は、かなりの気まずさだった。
カウンターにオードブルっぽくならんでいる揚げ物の山が気になった。
しばらくして、男性用、女性用と銘打ったふたつのオードブルが、僕らのテーブルにも届いた。
メニューに書いてあるミックスフライの内容とも大幅に違うが、とりあえずサービス満点といったところだった。

山崩しゲームのように重なる揚げ物の山には、ごはんにかけられたカレーを全否定するかのように、ドミグラスソースがじゃぶじゃぶとかけられていた。横には、オマケとは思えないような山盛りのスパゲッティが、はみ出んばかりにドカっと乗っている。文章で書くと、九州のトルコライスのようだが、もちろん、かなり印象は違う。

「ごめんね、ちょっと間に合わなかったからさ、クリームコロッケ、あとで出すからね」
と言われ、食後にまさかのメンチカツが届いた。
僕らは夫婦仲むつまじく、お互いの皿に揚げ物を移し合ったが、目は笑うことがなかった。
これ以上食べると戻してしまうかもという頃、店主が、
「お母ちゃんはもっと食えそうだね」
と、かみさんのオードブルの方にスパゲッティを一人前分足していった。

おかずが余った僕らの皿を見た店主からの
「あ~、まずかったんだろう?残りをパックにしてやろうか?」
と申し出るも「旅の途中だから」と断り、僕とかみさんは予期しなかった飽食地獄から脱出した。


僕らの残りの旅は、おそらくこの食事の消化につかうことになるだろう。
なんにしても、こんなに食べたのは若い頃以来だ。
この店に関しては他にもツッコミどころが山とあったが、とにかく旅は楽しいものだと、改めて教えてくれる存在だった。

 

本来の旅の目的である温泉の方は、少数の入湯客ながら「お互い、さすがに風呂ではマスクいらないですよね?」的なアイコンタクトが行き交い、プールのようにだだっ広い温泉の四隅に、各人が無言でくつろぐことが出来た。

そこへ、混浴用のタオルを巻いたかみさんが、しずしずと現れた。

まさかのマスクをつけて。


一瞬、「え?やっぱり、いるの?マスク」と、混浴風呂の全員の空気が凍りついた。
単純に、マスクに慣れ過ぎて、はずすのを忘れていたらしい。
他の入湯客の方々には、大変に申し訳ないことをしてしまった。

 

夜にはかなり雨脚が強まったけれど、古びた旅館に響く雨音が心地よい。

まるで『つげ義春』の世界だ。
などと呑気に構えていると、明け方には大雨警報と竜巻警報、避難警報まで出て、思い掛けず、なかなかスリリングな旅となった。

 

翌日は大雨後の突き抜けるような快晴の中、のんびりと帰路に着く。
夜にはオンラインレッスンが始まり、またいつもの日常に戻る。
僕らの旅は思い付きから出発までが短いので、日常に戻るのが異常に早い。

溜まりに溜まっていたストレスは、驚くほど綺麗さっぱりと消えていた。
やはり旅は素晴らしい。
自粛が長い分、強くそう感じた。

 

 

そして、この4月末。
結局、まだ1日で4万人以上という感染者は減らず、対面型のレッスンは再開の判断は、やはり出来なかった。
ゴールデンウィークで感染者が増加したら、それこそ半年間の休講になってしまいそうだ。

新番組の撮影と編集はサクサク進み、すでに6話まで配信し、いよいよ後半戦だ。
評判もなかなか良いので、最後までしっかりと仕上げていくつもりだ。

と、ここまで書いてはみたけれど、さすがに今回は書き過ぎだろうということで、僕の自粛日誌2022年春編として一区切りのアップをしようと思う。


なんとかこの『その⑤』で、僕の自粛日誌シリーズを終わらせたいところだったけれど、それは『その⑥』の展開に期待したいと思う。

 

2022年 4月27日 広瀬哲哉