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いつも感謝で

アトランタ在住のうぃどう、ぽーの日記



ケン兄ちゃんは、
現在大学受験期間真っただ中。

とは言え、
私はアメリカの大学へどうやったら入れるとか、
今何が起きているのか、
さっぱり分かっていない。

娘も大学は自分で捜して、
自分で入った。
彼女の親権は夫が持っていて、
私は持っていない。
夫が亡くなった時、
彼女は既に18歳だったから、
私が親権を申請する必要はなかった。
だから彼女は孤児扱いとなり、
大学へ行くお金は、
すべて国から出ている。


ケン兄ちゃんの場合は、
そうはいかない。
だから彼は奨学金ねらい。

彼はずっと前から、
テニス奨学金を取ろうとしてたが、
去年9月に12年生(高3)になった時点で、
なぜか学力で取る奨学金に変えている。

テニスセンターのオーナーが、
「どこの大学へでも入れてやる」
と言っていたはずなのに、
一体どうしてこうなったのか、
母は何も聞いていない。
母としては有言実行してほしかったんだけど。
オーナーに・・・。(`ヘ´)


大学を決める場合、
最初の学期で早期決断
(Early Decision、9月~11月)
というものがあるらしい。
行きたい大学を一校決め、
そこにテストと願書を出す。
そしてそこから合格通知が、
12月中に送られてくる。

私はケン兄ちゃんも出していると思い、
12月にな~んも来なかったから、
すごく心配していた。
周りの知り合いは、
大学合格の通知がやってきて、
気分的に落ち込んでいるんじゃないかと、
母は大学の事は話さないようにしていた。

だか彼の場合、
申し込んだ奨学金制度が、
早期決断をできないものだったらしく、
でも大学には願書は提出しているらしい。

この前もマサチューセッツ工科大学から、
面接をする人がやってきて、
スタバで面接を受けていた。
(面白いよね。)^^
今日はアイビーリーグのブラウン大学から、
留守電が入っていて、
今月末に面接をすると言っていた。

なかなか良い大学から、
連絡が来てるなと母は感心。
でも本当に行きたいのは南カリフォルニア大学。
そこからはまだ何にもないけど。



とにかく、
早いとこ大学が決まって、
落ち着いてほしいものだ。

でも私としては、
大学は重要視していない。
夫が生きていたら、
我が家の子ども達は、
みんな軍隊へ入っていたかもしれないし。

アメリカは学歴社会だから、
大学へ行って博士号を取れば、
給料の良い仕事を見つけやすい。
でも大学へ入ったとしても、
最後まで卒業できない人も多いし、
卒業しても仕事に就けない人もいる。
希望していた仕事をできない人もいるし、
反対に大学を出ていなくても、
素晴らしい功績を残した人も多い。

ケン兄ちゃんには、
周りの人のために、
苦労を惜しまず、
どんな仕事でも一生懸命働き、
若い人の良き見本となってほしいと願っている。


そして、
まー君のためにも、
道を築いてほしい・・・、
と、母は密かに思っている。

すまないねぇ。
すべてが子ども任せで。
母は楽に生きさせてもらっております。^^;












今日は、
夫の命日。

いつもと同じように、
何も変わらず過ぎていく時間。
もう4年目になった。

辛いとか、
悲しいとか、
寂しいとか、
あまり思わない。

ただ胸に、
ぽっかり穴が開いた感じ。

年を増すごとに、
夫が恋しくなる。
会いたくて、
会いたくて・・・。

良い思い出よりも、
辛い思い出が多いはずなのに、
時間はそれをかき消していく。

会いたい。
会いたい。

夫を想えば想うほど、
愛しくなる。

また会えるその日まで、
この静かな想いは降り積もり、
開いた穴を埋めてくれるのだろうか。






I miss you.











いつも感謝で-q


あけましておめでとうございます。


去年はこのつたない私のブログを、
読んでいただきありがとうございました。
去年の9月から、
「息子のテニスな日々」というブログも始め、
最近はこちらが留守になりがちになりました。

でも今年も引き続き韓ドラファンですし、
ユン・サンヒョンssiのファンとして、
このブログに書き込んでいくつもりです。

そして家族の話も、
日本にいる家族や友達に近況を知らせたり、
日々思う事も綴っていくつもりです。
どうぞ今年も宜しくお願いします。












久々に一人で長距離運転をした。
約260マイル(約420キロ)4時間半。
最初は本当に不安だった。
私の車にはスペアタイヤがないし、
もし事故したらとかパンクしたらとか・・・。
最悪の場合はAAA(トリブルA)というロードサービスに入っているから、
何とかなるとは思うけど、
それでも不安だった。

今週27日から、
まー君のテニストーナメントだった。
(トーナメントの様子はここ→
試合が27日早朝に予定されていたため、
26日の昼過ぎに出発。
行く時は友達の車について行った。

まー君が早く負けてしまったため、
先に帰らなければいけなくなる。
明るいうちに運転したくて、
午後12時にホテルを出た。

初めてのこの街に来た時は、
友達に車の後ろについてきたから、
帰り道はまったく見当がつかなかった。
iPhoneのナビでチェックしながら、
ゆっくり走る。

後ろで寝転がってゲームをしていたまー君は、
いつの間にか寝てしまってる。
話をする相手もなく、
ただ音楽を聞きながら歌いながら、
黙々と運転する。

$いつも感謝で-q

殆ど雲のない晴天。
車も少ないまっすぐの道は、
運転をめちゃくちゃ退屈にする。
すごい田舎だから、
周りを見ても木と草原。

制限時速は70マイル(約113キロ)。
それを守っている車はほとんどいない。
私は早く帰りたかったため、
列になった車の間にはいり、
80マイル(約129キロ)で走った。

$いつも感謝で-w

やはり4時間半は長い・・・。
2時間半過ぎて道が片道4車線になる。
やっとアトランタの街に近付いてきた気がして、
心も少し安心を取り戻す。

$いつも感謝で-え

あと家まで45分だ!と安心した矢先、
ひどい渋滞に巻き込まれる。
それでも5分は我慢して、
渋滞の中で少しずつ進む。
もう5分我慢した後、
その辺りは抜け道も分かっていたので、
高速道路を出た。

だがその抜け道を走ると、
道路が工事中で、
迂回ばかりさせられた。
抜け道をした方が早いだろうと思っていたが、
結局遠回りをしたことになった。
高速道路を見ると、
既に渋滞は緩和されていた。



人生ってこんなもんなのよね。
困難にぶつかると、
ついあれこれと、
自分で解決できるんじゃないかと思って、
廻り道をしてしまう。
そして目的地まで余計に時間がかかる。
もう少し我慢さえすれば、
先が見えていたのに・・・。

困難にぶつかった時は、
なにも焦らず、
そのまま体を楽にして、
海でおぼれて助けられる人のように、
身を任せた方が、
助けられやすい。

私の短い人生で、
これを何度も経験した。
渋滞は長く続かないと分かっていたのに、
高速道路を出てしまった。
また、やってしまったね。



なーんて、
この長距離運転の旅をしながら、
一人でごちゃごちゃ考えた。
まー君は家に着くまで、
一度も起きずに爆睡だった。


年を取り、
特にケン兄ちゃんが運転しだしてからは、
少しの運転も億劫になった。
今日はまー君を友達の家へ送るのに、
最初は面倒だったけど、
「友達の家まで15分。
昨日の4時間半に比べると、
全然大したことないじゃん。」
と思うと、
往復30分の道のりも、
まったく苦ではなかった。

たかが4時間半一人で運転しただけで、
すごーく自信がついてしまった。
また行って来いと言われても、
もう不安感はない。

どちらにしても、
まー君のテニストーナメントは、
これから遠征も増えてくるだろう。
何にしても、
自信がつくのっていいよね。



さぁ、
次は何処へいこうかなぁ。^^














我が家では夫の方針から、
祝い事を一切しないということが、
結婚後17年以上続いていた。
だから子ども達は、
誕生日もクリスマスも、
プレゼントを貰う事は殆どなし。

でも私はこのクリスマスに、
とうとうその夫の方針を破ってしまった。
(天国の夫よ、許してね。)

最近良い事があったから、
子どもたちにも何かしてやりたくて、
ついついクリスマスカードを買い、
何を買っていいか分からないから、
あるお店で何でも買えるように、
そこのギフトカードをクリスマスカードに添えた。
(そのお店には何でもある。)



クリスマスの朝に、
まー君にハグしながら、
クリスマスカードを渡す。
子どもの喜んだ顔を見るのは、
親にとっての至福の時。
私は「これが嬉しんだよね~^^」と、
幸せを噛みしめた。

まー君は喜んで階下へ行った。

そして数分して私の部屋へ戻って来て、
紙で作った折り紙らしきものをくれる。

$いつも感謝で-m

「ママは、コインをぜんぜん持っていないから。」

その折り紙の中には、
ごっそりコインが入っていた。
小銭すら財布に入っていない母のため、
自分の持っている全てのコインをくれたのだ。
何とも優しい息子ではないか。。゚(T^T)゚。ウルウル

(ちなみに私の財布にはカードだけ入っている。
アメリカでは現金を持たなくても生活可能。)



イブの日から友人宅へお泊りに行っているケン兄ちゃんが、
クリスマスの日に電話しろと置き手紙をしていた。

ケン兄ちゃんには、
イブの日に私が出かける前、
彼のベッドの上にクリスマスカードを
こっそり置いて出かけた。
彼はそれを見た後に、
私にこの置き手紙を書いたのだろう。

クリスマスの朝、
彼に電話すると、
私の引き出しを開けてみろと言う。
開けるとその奥に、
バラとユリで装飾された、
折り紙で織られた封筒が入っていた。

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折り紙が大好きな、
ケン兄ちゃんらしい。

その封筒を開けると、
なんと現金が入っているではないか。
それも私があげた金額より多い金額。^^;
そして友達から貰ったという電気店のギフトカード。

いつも感謝で-k2

更に折り紙の封筒を全部開いてみると、
そこにはメッセージが書いてあった。
いつもは彼の口からは絶対出てこない言葉が、
短いメッセージとなっていた。
母は胸キュンする。♡

ちなみに、
電気店のギフトカードを入れていた封筒には、
「これで韓ドラのDVDを買ってください。」と書いてある。
いつもは韓ドラに狂っている母を非難しているのに、
私があげたクリスマスカード効果か。



娘は仕事から帰ってきてカードを発見。
とても喜んで、
外に出かけていた私に、
感謝のメールを送ってくれた。♡



やっぱり、
クリスマスプレゼントっていい。
我が家の子供たちにとっては初めてだった。
でも来年はどうなるかわからない。
なんだか夫に悪いような気がするし。^^;



それにしても、
ギフトカードをあげる私も私だけど、
なんでうちの息子たちって、
親に現金をプレゼントするんだろう。
私が一番必要としているモノだと思っているのだろうか。
・・・私って、
子どもの目から見ても、
お金を持っていなさそうに見えるってことか・・・。

そして彼ら二人ともなぜに折り紙・・・?
それぞれが知らないところで同じことをするって、
やはり兄弟だから思考回路が同じなんだねぇ、
と妙に感心してしまった。^^;

ちなみに貰った現金は、
それぞれの貯金口座に入れておいた。
もちろん内緒。
お金ないけど彼らのために、
少しずつでも蓄えておかなきゃね。





とにかく、
私にとっては、
幸せをたくさん感じた日となった。
感謝だねぇ・・・。


















いつも感謝で-c



Merry Christmas!



我が家から車で約15分の、
田舎道沿いにある普通の住宅が、
感謝祭が終わった後に、
この近所の人気スポットになる。

15年ほど前、
友人の家からの帰り道に、
真っ暗な田舎道で、
道から離れた奥の方に、
くるくる回る光る物を発見。
良く見ると観覧車らしきもの。
あれはいったい何なんだろう?
と私は不思議に思ったのだった。

現在では、
毎年新しいものが増え続け、
広い表の庭に、
所狭しとライト達が並んでいる。

今日のような、
クリスマス間近の日は、
田舎の片道一車線ずつの道が、
両方とも渋滞になる。
それはみんなが、
その庭に入ろうとするため。

庭に入るための「入口」があり、
車で一方通行の道をゆっくり運転しながら、
クリスマス・ライトを鑑賞。
「出口」から出ると、
渋滞を少しでも緩和するために、
右折しかできないようになっている。

田舎道だから、
迂回も大廻り。
毎年この付近に住む人は、
どうやって家に帰るのだろうと思いつつ、
渋滞の列の後ろにつく。

毎年見るものだが、
たくさんのライトを見ると、
なぜか童心に帰る。
そして見ているだけで楽しくなる。
子どもを楽しませたいと思いながら、
楽しんでいる親もたくさんいるはず。



iPhoneで撮影したから、
ライトの輝きが半減しているが、
雰囲気だけでも、
楽しめればと思い、
映像を載せた。

ケン兄ちゃんが横でうるさいが、
聞き流してほしい。^^;










良いクリスマスを。♡>>













もう夜中の2時過ぎ。
日本は夕方の4時過ぎ。
たった今、
父との電話を切った。
今日は久々に長話。
1時間27分。^^;

父はすごい。
70も半ばなのに、
まだ夢に向かって突き進んでいる。
まだまだやりたいことが、
頭の中にたくさん入っている。

父は10歳の時に被爆し、
家はなくなり、
祖父は視力を失った。

そんな状態でも、
彼は我武者羅に勉強し、
運動もし、
そして働いて、
自分の父親を養った。

20代後半で会社を起こし、
40年かけてそれを大きくし、
60代でそれを失った。

それでもまだ彼は、
戦いに挑もうとしている。

そんな父に、
私は息子達を会わせたい。
だから無理をしてでも、
夫が亡くなってから、
毎年父に会うため里帰りをする。


毎日ラジオ体操を欠かさない、
ゴルフとカラオケが大好きな父。
もっともっと長生きしてね。













今朝は37度(摂氏2.8度)と寒いはずなのに、
外へ出ても寒くない。
天気予報では雨となっているのに、
外は雲ひとつない快晴。
なんだか変な感じ。



息子を朝学校へ連れて行く道、
朝焼けの中に白銀に光る月をみた。

きれいだな・・・・

きれいな朝やけの中なのに、
こんなに綺麗に輝いている。
太陽ってすごい。

あのグレーの世界の月が、
遠い地球からでもこんなに綺麗なんだから、
月からみる青と緑の地球は、
どんなに綺麗に見えるのだろう。



そんな事を思いながら、
車を運転する。

こんな師走の忙しい時、
こんな事を考えれるって、
幸せなんだろうと思う。

今日も感謝だね。




$いつも感謝で-月



今日からサンクスギビングホリデーの休日が始まる。
子ども達も学校がお休み。
日曜日までの5日間、
どのように過ごそうか。

一週間を通して、
私は朝ゆっくり寝れる日が無い。
平日は子どもの学校だし、
土曜日は仕事だし、
日曜日は教会だし。

でもでも、
今朝はな~~~んも無いっ!
・・・のに、
早くから目が覚めてしまうんだよな。
もったいな~い。
もっとゆっくり寝ようと、
目覚めてしまった自分に言い聞かせるが、
結局ムクッと起きてしまった。--;
ああ、
早起きしちゃう歳に近付いてるのね。


大食らいのサンクスギビングがやってくる。
日本の正月に似ている。
夫の家族は姉妹たちが集まり、
前日から作り始める。
メインの七面鳥の丸焼きに、
スタッフィング+クランベリーソース。
皆が好きなサイドのマカロニチーズに、
ヤム芋の甘露煮。
その他の家庭はどうだか知らないが、
以下はサザンソウルフードの世界。
サザンスタイルポテトサラダに、
コールスロー、
私のだ~い好きなカラードグリーンの煮物。
コーンブレッドに、
私のだ~い嫌いなチットリング(豚の腸の煮物)。
デザートはスィートポテトパイ。

うちの夫の大好物だったチットリング。
チットリングが入っているバケツの蓋を開けた瞬間から、
家中がちょ~~~臭くなる。
洗うのに時間がかかるし、
煮込むのにも時間がかかる。
だから家中にこの匂いがしみ込んでいく。
でも他の料理もあるから、
いろいろな匂いと混ざり、
最終的にはあまり感じなくなるけどね。
でも好きな人にはたまらない、
このチットリングなのである。

この中で私が自信を持って作れるのは、
カラードグリーンの煮物とスィートボテトパイ。
料理が超上手い、
夫のとーちゃんより伝授。

Collard Greens
$いつも感謝で-c

まな板よりもシンクよりも大きい葉。
洗うだけで時間がかかる。
肉厚だからガシガシ洗ってもちぎれない。
これを数枚ずつまな板に載せ、
ざんざんと切っていく。

数年前これを切っていた時、
自分の指まで切ってしまったよなぁ。
左人差し指の先っぽだったけど、
結構切ってしまった(想像に任せる)。^^;
すぐにくっつけたから、
何とか上手く再生できた。^^

義父伝授の味付けは、
市販のポークスモークドネックボーン。
既に塩味たっぷりだからこれだけ。
これに隠し味の酢と砂糖を少々。
5時間くらい煮込むと出来上がり。
超でっかいお鍋で煮込んでも、
出来上がりはその半分くらいの量。

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これって高菜の煮物のようだから、
ご飯にめちゃめちゃ合うんだよね。
私の周りの日本人友達も大好き。
皆で集まる時などによく注文をいただく。

私が作るスィートポテトパイも、
サザンアメリカンの人々からお褒めをいただだく。
ソウルフードエクスパートの義父に感謝だね。



明日はサンクスギビング。
家族で友達の家に行く事になっている。
サンクスギビングを我が家でしないから、
今年もどこかでお呼びがかかってよかった。

子ども達は何も言わないが、
すごく好きなわけでもないのに、
何故かこのサンクスギビングディナーを食べたがる。
やはりアメリカ人だからだろうか・・・。

いつものように、
私はガンガンに食べまくるんだろうな。
ダイエットなど程遠い私の食事情なのである。


















今日は娘の22歳の誕生日。
いつも息子達の事ばかり書いているから、
今日は娘の事を書こうかなと。



私が彼女と出会ったのは、
彼女がまだ3歳の時だった。
3歳なのに6歳くらいに見える、
大きな女の子だった。
すでに何でも出来て、
よく言う事を聞く子。
でも甘え方を知らない子どもだった。

もともと子ども好きの私は、
自分の子どもではなくても、
充分育てられるだろうと思っていた。
娘に出会った時は、
本当に可愛いと思ったし、
自分の物より娘の服やおもちゃを買いたくなる。
出かける時はいつも一緒だった。

ある日、
夫の友達夫婦が我が家に遊びに来た。
夫と彼の友達は、
妻たちを残して何処かへ出かけた。
友達の妻は私とほとんど会話をしない。
只一言だけ。
「あなたにはその子は育てられないわ。」
この言葉の意味は人種が違うからということ。
この言葉は、
私の心に未だに残っている。


結婚して1年半後にケンが生まれる。
海外で初めての出産だったからか、
妊娠中も産後も悩みは尽きなかった。
でも生まれた子どもの可愛さ愛おしさで、
その辛さは和らいだ。

しかしそれで知ってしまったのだ。
自分の子どもがどれほど愛おしいかを。
たとえば、
娘が怪我をして血を流していると、
かわいそうですぐ駆け寄って治療するが、
自分の子どもだと自分まで涙が出てしまう。
「ああ、違うんだ。」
と知った時にはショックだった。

それから何でも娘の事を先に考え、
行動してきたつもりだったが、
やはり少しずつ二人の間に壁ができた。

特に夫婦間で問題が起こった時は、
彼女の事を考える余裕もなかった。

娘の反抗期は12歳から5年間。
その間彼女は笑顔を見せなかった。
カメラを向けても、
写真を撮らせてはくれなかった。


彼女が17歳の時(高2)、
これまでで一番大きな問題が起こる。
その時二人で涙を流し、
その壁が崩れたのがわかった。

夫が亡くなった時は娘は18歳。
彼女は家でも学校でも泣き崩れていたが、
でもその分すぐに立ち直った。

それからは、
自分から私をいろいろ助けようとしてくれる。
ケンが反抗期のピークに達したころ、
私への口応えがあまりにも醜かったから、
娘は自分の部屋から駆けり下りてきて、
「お母さんに、そんな口のきき方をするなんて!」
といきなりケンの頬を平手で叩いた。
叩かれたケンもだが私も驚いた。
その後つかみ合いになりそうになったが、
小さな母が大きな子ども達の間に入り、
何とか治まる。

今は二人の弟達とも仲良く、
特に12歳も違うまー君とは、
いつもじゃれ合っている。


娘は私と何度も日本へ行っている。
「おじいちゃん」と「○○ちゃん(私の妹)」とも仲がいい。
特に彼女と年の近い私の一番下の妹と仲良し。
(私と下の妹は9歳違い)
自分の近況は私よりも彼女にするので、
たまに妹から聞き出すこともある。

日本語も自分ではわからないと言ってる割には、
何でもよく理解している。

彼女が5歳の頃、
私の友達の夫(アメリカ人)に、
電話を切る時は日本語でなんて言うのと聞かれ、
彼は「さようなら」と言う言葉を期待していたが、
娘が言った言葉は「失礼します」。
耳がいい証拠だ。
二人の弟達よりも、
彼女の発音が一番いい。
お箸も一番上手に使う。
日本人の知り合いの誰からも、
優しい女の子だと言われる。

大学では日本語を専攻したかったが、
入った学校には日本語が無く、
他の大学へ転入することもできなかった。
今年卒業予定だが、
無事卒業できる事を母は祈る。


娘は本当に綺麗な子。
身長も180cm近くあり、
日本の繁華街を歩くととても目立つほど。
そしてこの先、
仕事、結婚、子育てと、
まだまだ課題は連なっているが、
私が少しでも彼女の人生の助けになればと思っている。