娘の誕生日 | いつも感謝で

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アトランタ在住のうぃどう、ぽーの日記





今日は娘の22歳の誕生日。
いつも息子達の事ばかり書いているから、
今日は娘の事を書こうかなと。



私が彼女と出会ったのは、
彼女がまだ3歳の時だった。
3歳なのに6歳くらいに見える、
大きな女の子だった。
すでに何でも出来て、
よく言う事を聞く子。
でも甘え方を知らない子どもだった。

もともと子ども好きの私は、
自分の子どもではなくても、
充分育てられるだろうと思っていた。
娘に出会った時は、
本当に可愛いと思ったし、
自分の物より娘の服やおもちゃを買いたくなる。
出かける時はいつも一緒だった。

ある日、
夫の友達夫婦が我が家に遊びに来た。
夫と彼の友達は、
妻たちを残して何処かへ出かけた。
友達の妻は私とほとんど会話をしない。
只一言だけ。
「あなたにはその子は育てられないわ。」
この言葉の意味は人種が違うからということ。
この言葉は、
私の心に未だに残っている。


結婚して1年半後にケンが生まれる。
海外で初めての出産だったからか、
妊娠中も産後も悩みは尽きなかった。
でも生まれた子どもの可愛さ愛おしさで、
その辛さは和らいだ。

しかしそれで知ってしまったのだ。
自分の子どもがどれほど愛おしいかを。
たとえば、
娘が怪我をして血を流していると、
かわいそうですぐ駆け寄って治療するが、
自分の子どもだと自分まで涙が出てしまう。
「ああ、違うんだ。」
と知った時にはショックだった。

それから何でも娘の事を先に考え、
行動してきたつもりだったが、
やはり少しずつ二人の間に壁ができた。

特に夫婦間で問題が起こった時は、
彼女の事を考える余裕もなかった。

娘の反抗期は12歳から5年間。
その間彼女は笑顔を見せなかった。
カメラを向けても、
写真を撮らせてはくれなかった。


彼女が17歳の時(高2)、
これまでで一番大きな問題が起こる。
その時二人で涙を流し、
その壁が崩れたのがわかった。

夫が亡くなった時は娘は18歳。
彼女は家でも学校でも泣き崩れていたが、
でもその分すぐに立ち直った。

それからは、
自分から私をいろいろ助けようとしてくれる。
ケンが反抗期のピークに達したころ、
私への口応えがあまりにも醜かったから、
娘は自分の部屋から駆けり下りてきて、
「お母さんに、そんな口のきき方をするなんて!」
といきなりケンの頬を平手で叩いた。
叩かれたケンもだが私も驚いた。
その後つかみ合いになりそうになったが、
小さな母が大きな子ども達の間に入り、
何とか治まる。

今は二人の弟達とも仲良く、
特に12歳も違うまー君とは、
いつもじゃれ合っている。


娘は私と何度も日本へ行っている。
「おじいちゃん」と「○○ちゃん(私の妹)」とも仲がいい。
特に彼女と年の近い私の一番下の妹と仲良し。
(私と下の妹は9歳違い)
自分の近況は私よりも彼女にするので、
たまに妹から聞き出すこともある。

日本語も自分ではわからないと言ってる割には、
何でもよく理解している。

彼女が5歳の頃、
私の友達の夫(アメリカ人)に、
電話を切る時は日本語でなんて言うのと聞かれ、
彼は「さようなら」と言う言葉を期待していたが、
娘が言った言葉は「失礼します」。
耳がいい証拠だ。
二人の弟達よりも、
彼女の発音が一番いい。
お箸も一番上手に使う。
日本人の知り合いの誰からも、
優しい女の子だと言われる。

大学では日本語を専攻したかったが、
入った学校には日本語が無く、
他の大学へ転入することもできなかった。
今年卒業予定だが、
無事卒業できる事を母は祈る。


娘は本当に綺麗な子。
身長も180cm近くあり、
日本の繁華街を歩くととても目立つほど。
そしてこの先、
仕事、結婚、子育てと、
まだまだ課題は連なっているが、
私が少しでも彼女の人生の助けになればと思っている。