長期フォローが必要という回答には
ちょっとショックを受けました。
でも私もすでに50歳を過ぎ平均余命であと約30年、
残り時間が大して長いわけではないことに変わりはなく、
そのうち元気で動けるのはあと何年?と考えると
見えない先のことにクヨクヨしている暇なんてない、
やりたくもないことに時間を割くのももったいない、
やりたいことをどんどんやって人生楽しまなくちゃ!
そんなふうに改めて思いました。
まぁ、思うのと実際にそうするのとはだいぶ違うのですが・・
元気で楽しく過ごせる時間をできるだけ長く持てるように
気を遣ったり考えたりしっかり行動したりすることは
自分のために必要だけど、
周囲からの目とか社会人・妻・母としての責任とか経済的不安とか
そういった外的な要因で我慢・無理を続けることは?
円滑な生活のためにはある程度必要かもしれない。
でも、それが行動規範のメインになったら?
ただただ状況に合わせて動いているだけで
自分の意志がない空っぽの人間ということなのでは?
でもそれ(外的要因が行動の基盤にある)って
まさしく今の私かも・・と思えてきたのです。
外的要因を一切取り払って本当の自分の望みだけを考えてみたら
今の自分とはなんだか全然違うような気がしてきて、
純粋な自分の気持ちだけに従って
自由奔放に残りの時間を生きていけたら
どれだけ楽かなと思ってしまいました。
ただ、そうやって重荷をすっぱりと捨て去って生きたときに
心が軽くなる代わりにどんな(悪い)副産物があるのかを想像すると
よくわからないだけに恐ろしく
これまでのスタイルを変えることがなかなかできなくなります。
今ふと思いついたのですけれど、
死期を間近に控えた人が急にわがままになるって
こういうことかなと思いました。
最期くらい自分本位で生きたい!と。
そう思う人の気持ち、すごくよくわかる気がしました。
ただ、それによって周囲の人、家族が傷つく様子も
実際に見て知っています。
どうしようもないことだけれど辛いです。閑話休題。
私の場合は死期が目前に迫っているわけではないので
(少なくとも今は余命宣告もなければ体もまぁ元気ですので)
上記のような切羽詰まった状態ではないのですが、
それでもいつまでも若くはないこの体、
がんに関係なく、体力・気力の衰えはすでに確実にきていて
どのみち今まで通りの生活はそう長くは続かない。
終末を見据えて少しずつ心構えをしていくときなのかなとは思います。
これからの日々をどんなふうに生きたいのか、
自分の本当の望みは何なのか、
人生の締めくくりをどう迎えたいのか、
そのために今どうすべきなのか、
自問自答の毎日です。
かあさ〜ん、ご飯おかわりちょうだいにゃ!(もらえるまでしつこい)