娘が乗ったオケの演奏会を聴きに行ったついでに
(@国立オリンピック記念青少年センターカルチャー棟大ホール)
山種美術館の奥村土牛展を観てきました。
私の大好きな「醍醐」もあり
〈また会えた〉喜びを感じながらじっくり眺めました。
他にも
絶妙のぼかしと空間で枇杷の実の存在感が際立つ
「枇杷と少女」
ピンポイントの金使いが楽しい「餌」
描線の緊迫感が伝わってくる「聖牛」
画面の多くを占める緑と白の中にほんのりさす
薄桃色の美しさと花弁のリズム感が心地よい「蓮」
木、漆喰、紙、それぞれの質感と
構図の妙に唸らされる「茶室」
などなど素晴らしい作品に見入りました。
ただ、とても気に入った作品の中の一つ「雨趣」
について疑問に思うことがありました。
様々な濃淡をつけながら
画面全体を覆うように雨脚が描かれ、
ふわりと霞んだ家並みが
しっとりとした空気感を漂わせていて
雨の降る静かな音まで聞こえてきそうです。
どのモチーフもきっちりとていねいに描かれていて
土牛の繊細さが伺える作品なのですが・・
中央と左端に描かれた白い電柱だけが
なぜかなぐりがきのように無骨なのです。
最後に慌てて付け加えたようにも見えます。
他の作品を見てもそうなのですが、
土牛は構図や配色に神経を使い
綿密な計画のもと作画しているように見えるのに、
そしてこの作品でも電柱以外はそう見えるのに、
なぜ2本の電柱だけ筆跡がわかるほど
ラフに描いたのでしょうか?
どなたか奥村土牛について研究されている方、
2本の電柱だけ異質である理由をご存知の方、
いらっしゃったら教えていただけると嬉しいです。
コロナも少し落ち着いて
また都会の美術館に足を運べるようになり
嬉しい限りです。
演奏会も感染防止対策をしながら
ぼちぼち開催できるようになって
娘も張り切っているでしょうし
私もやはり生演奏の良さを改めて感じました。
音の波が体を包み込む感覚や残響まで楽しむには生!
やはり動画では無理ですね〜。
アンコールの「4分33秒」は沈黙さえ
その場にいる演奏者&聴衆全員で楽しむのです。
指揮者が構えているのに演奏が始まらないので
最初は怪訝に思いつつ演奏開始を待っていたのですが
途中で「これはもしや!」と気づきまして
楽章間の身じろぎ・咳払いも半ば「演じる」ように
私も「演奏」に参加して楽しんできました。