今回は特定のブログについてではなく
いろいろなアメブロを見ていて思ったことについてです。
不倫、モラハラ、嫁姑の関係、精神疾患、婚活、妊活、
発達障害、不登校、アレルギー・・・
たくさんの「困った」ブログが見られますが、
その一方で、幸せな人生を送る人たちがいることも事実。
ただ、ブログ上では「困った」人が目立つ気がします。
それはなぜか?
それは、幸せな人は不満がないのでブログに書かないから、
だと思います。
いわゆるサイレント・マジョリティです。
私自身は日々の生活の中で不平不満がないわけではないけれど
それをブログという形で不特定多数の人に晒すと
私のブログを見た誰かが不快な思いをする可能性もあり、
申し訳ないし、面倒なことになる可能性もあるので、
あまり「困った」ブログは書きません。
こういう考えのサイレント・マジョリティもいますし、
実はそういう人がいちばん多いのではないかと思います。
かといって、不満をブログに綴る人が
ラウド・マイノリティというわけではありません。
辛い思いを文章に表すことで心の中を整理をしたり、
誰かに共感してもらうことで安心したり、
ブログに書くことはその人にとって必要なことだと思います。
マイノリティが黙って我慢する時代ではなくなってきました。思ったことを自由に発信できる良い時代だと思います。
そればかりか、不平、不満、不安をブログに記すことで
その声が大きく取り上げられ社会が動くことだってあります。
(いわゆるポリティカル・コネクトレス←クリックで別窓)
ただここで注意しなければいけないのは、
「困った」ブログが多いからといって
現実の社会でも「困った」人の割合が多いとは限らない
ということです。
メディアは様々な思惑によって、
こうした「困った」ブログ・人を取り上げて
さも社会全体が「困って」いるような錯覚を起こさせる記事
を発信することがあります。
その「操作」にまんまと乗せられてはいけません。
また、マイノリティに心を寄せる優しさは大切ですが
一部のラウド・マイノリティの言葉を聞いて
それが全てだと思い込んではいけないと思います。
数的な問題もそうですが、その人個人についても、
片方の言い分だけを聞くだけでは
公平・公正な判断はできないからです。
たくさんのブログ、メディア、現実の人たちを見て、
全体を俯瞰し冷静に判断した上で、
それに対して自分はどう行動していくべきか
考えていきたいと思います。