ここ数日、自分の気持ちとは裏腹に非常にダラダラと生活してる。
自分と色々向き合ったつもりだけど、やっぱり行動に表せれない。
このままで本当に日本に帰るまでに答えを見つけられるのか、正直わからん。
でも少なくとも今を楽しまないといけないし、色んな経験はしておきたい。
あとはそうだな、チャレンジだな。
まだチャレンジ精神が全然足りないや。
2月はフィンランドに行くつもりです。
オーロラがどうしても観たくて、留学をしていて欧州へのアクセスが容易な今の時期に行ってやろうと思い立ちました。
でもまだ一切航空券、ホテル、旅行のプランが立ってなくて、焦っている。
2月の2週目の週末から3週目丸々使って行こうと思います。
1月中には決めたい、いや決める。
決まったら学校に正確な休暇の日取りも伝えられるし、そこから手当たり次第B&Bを攻めればいい。
1週間使って行くほど大したものも無いらしいのですが、ロヴァニエミで色々アクティビティでもしようか、と思ってます。
トナカイやシベリアンハスキーと戯れたり、スノボでも借りて滑ったりしたいな。
ロヴァニエミからヘルシンキまでが陸路だと半日かかるので飛行機になるのだけど、ロヴァニエミとヘルシンキだけで1週間以上は多分暇しそうだから他の町にも行きたいような。。。
あとヘルシンキの滞在日程がどうしても少なくなっちゃう。
安い飛行機で複数路取ろうとすると日程が制限されてしまうのが難点だな。
フィンランドの航空事情はフィンランド航空が独占しているので、他の航空会社が参入できなくて、フィンランド航空価格、適正もクソもなくて非常に割高である。
スウェーデンからの陸路での入国も考えるけど、結局そんな変わんないかな。
サンタクロースにも会いに行こうと思ってる。
物心つくころには「サンタクロースなんていない」と教えられ、今思うと少し寂しい幼少期でした。
だから今信じたいです。
サンタクロースでも信じる気持ちは、何か自分が思い描いてる壮大な未来を信じることに似ている気がして。
何か自分の中にある色んなしがらみを否定する旅になると思うのだ。
もうほぼ1ヶ月が過ぎますが、
新年あけましておめでとうございます。(苦笑)
誰が見てるのかもよくわかりませんが、とにかくチラリと覗いて下さったそこのあなたに。
僕はいつも高望みをしがちで、途方も無く話が壮大になってしまう。
中ニ病だと言われてもなんら反論はない。実際そういう話も好き。
壮大なものに夢追いがちになる。
ただ、今まさになう、自分は思い描いてる壮大な夢をまるで実現できそうにない。
成功者のメソッドとも言われる
まあごくありきたりな
「失敗を恐れずチャレンジし続ける」
だとか
「失敗しても下を向かない」
だとか
「目標設定は小さく刻んで到達地点へのルートを明確にし、コツコツ目標をクリアしていく」
だとか。
そういう類のものは私は一切続かない。
その行為そのものに酔って「俺やってる」感にすぐ陥るからだ。
まあ努力なんてしていない。
こういう自己啓発は自分がやり易いものを取り入れればいい。
でも上記にあげた
・ポジティブアクティブ思考
たとえ素がネガティブであろうが切り替えて、即行動を起こす。
・たゆまぬ努力の積み重ね
小さな目標をコツコツと
これらはマストなんだろう。どうしたってマスト。
結局そういうことが出来ず、折れていくから夢は簡単には叶わない。
努力したって叶えられるかどうかもわからないのに。
私はみんなと同じ方向を向いて生きていたくない。
言葉のままの意味で捉えると、ただの馬鹿ですが、スレていたいとかそういう意味じゃなくて、そうだと面白くないんじゃないのかな、と思うから。
なんというか、鮭の産卵期じゃないんだから、みんなが必死に川の逆流を必死に泳いで好きかどうかもわからない相手と焦ってとりあえず交配する。
言い方は雑で失礼過ぎるかも知れませんが、そう写るのです。
とりあえず、今胸ときめくものに向かっていたいのです。
鮭は鮭でも鮭児になりたい。いや鮭なのに本マグロになりたい。
私が恐ろしいほど人生に恵まれ、ラッキーで裕福な家庭に生まれ育って来れたから、簡単にこう言う事が言えるのだと思うし、今こうして留学もさせてもらっている。(この言葉を簡単な前置詞みたいに、決まり文句みたく文中に置くのは好きではないが)
実際私は、日頃周囲の動きにいつも一喜一憂し、流され、みんなが良いと言えば良い、悪いと言えば悪い、いつも周囲の反応を気にして生きている、そんな人間です。
自意識過剰、人前に出ることが怖くて、でも大きく喝采を浴びる喜びに心奮わせ、夢見ている。
だから誰が見ているかも分からないこの状況で何かを表現して、インターネットという海に垂れ流すこと自体、私にとってはすごくチャレンジなわけで。
多分普通に就職すれば、まあ!なんと楽だろう。
決められた時間に出社し、決められた事をする。
失敗しても、怒られても、安定した収入がある。
素晴らしい事です。
でも、なんだか刺激が無い。
みんなが出来ない事をできる環境にある、そのメリットを活かした世界で活きていきたい。
ですが、自分はそういうのに実際向いてないであろう性格であるのはわかっています。
だから少しずつでいい、変わる必要があって。
「変わる必要なんてない、無理する必要は無い」と言って下さる方もいます。
でもそれは変われずに悩み苦しんで結局一歩も踏み出せない人に向けた免罪符のような言葉だと私は受け取っていて、それに甘んじてはいけないと思うのです。(思うだけなのが何とも息苦しい)
夢を叶えるためには少しずつ今の180度背を向けている自分を軌道修正していかないといけない。
真っ当な自論を真っ当に、自信を持って言えなければならない。
薄っぺらくなってテンプレートみたいになってしまった夢を自信をもって語らなければならない。
それがどうしても無理だというなら、
「無理をしなくていい」
あなたはあなたのままで、みんなと同じ道を行けばいいし、それはそれでとてつもなく楽しいはず。
いつか(人生に不可欠ではない)刺激のある道を妥協した事すら忘れて、日々必死に生きるだろう。
そして新しい刺激を見つけるだろう。
それはそれでいいんじゃないのかな。
「変われない、無理だ」などとのたまっている様ではもちろん一切変われない。
変わろうと思い行動に移す人間だけが変わる事ができる、何か成す事ができる。
当たり前のことだろう。
芸術は爆発だ!という岡本太郎の言葉があるように
何か刺々しいニュアンスをもって芸術は成り立つんだろう。
私は挑戦してみたい。
音楽だったりアートだったりメディアだったり
なあなあに成ってダラダラとした今の娯楽の、刺激を変えたい、もう一度盛り上げたい。
再興したい。
だから今までどんな意見も「そういう意見もあっていいと思う」と受け入れてきたものを、
勇気を出して
「そういう意見もあるだろう、だが私はこうだ」
そう言える、NOと言える人格をまずは目指したい。
20代は投資だ。投資させていただく。
色んなものを見て、感じて、考えを止める事無く、
そして今一切出来ていないが、歩みを進め、それを考え以上に止める事無く
やるしかないんじゃないのかな。
イギリスにきて、もう4ヶ月が過ぎてしまった。
焦る。
ただ焦らず自分との対話を続ける。
ここだけは焦っちゃいけない。
選択をする。
新年あけましておめでとうございます。(苦笑)
誰が見てるのかもよくわかりませんが、とにかくチラリと覗いて下さったそこのあなたに。
僕はいつも高望みをしがちで、途方も無く話が壮大になってしまう。
中ニ病だと言われてもなんら反論はない。実際そういう話も好き。
壮大なものに夢追いがちになる。
ただ、今まさになう、自分は思い描いてる壮大な夢をまるで実現できそうにない。
成功者のメソッドとも言われる
まあごくありきたりな
「失敗を恐れずチャレンジし続ける」
だとか
「失敗しても下を向かない」
だとか
「目標設定は小さく刻んで到達地点へのルートを明確にし、コツコツ目標をクリアしていく」
だとか。
そういう類のものは私は一切続かない。
その行為そのものに酔って「俺やってる」感にすぐ陥るからだ。
まあ努力なんてしていない。
こういう自己啓発は自分がやり易いものを取り入れればいい。
でも上記にあげた
・ポジティブアクティブ思考
たとえ素がネガティブであろうが切り替えて、即行動を起こす。
・たゆまぬ努力の積み重ね
小さな目標をコツコツと
これらはマストなんだろう。どうしたってマスト。
結局そういうことが出来ず、折れていくから夢は簡単には叶わない。
努力したって叶えられるかどうかもわからないのに。
私はみんなと同じ方向を向いて生きていたくない。
言葉のままの意味で捉えると、ただの馬鹿ですが、スレていたいとかそういう意味じゃなくて、そうだと面白くないんじゃないのかな、と思うから。
なんというか、鮭の産卵期じゃないんだから、みんなが必死に川の逆流を必死に泳いで好きかどうかもわからない相手と焦ってとりあえず交配する。
言い方は雑で失礼過ぎるかも知れませんが、そう写るのです。
とりあえず、今胸ときめくものに向かっていたいのです。
鮭は鮭でも鮭児になりたい。いや鮭なのに本マグロになりたい。
私が恐ろしいほど人生に恵まれ、ラッキーで裕福な家庭に生まれ育って来れたから、簡単にこう言う事が言えるのだと思うし、今こうして留学もさせてもらっている。(この言葉を簡単な前置詞みたいに、決まり文句みたく文中に置くのは好きではないが)
実際私は、日頃周囲の動きにいつも一喜一憂し、流され、みんなが良いと言えば良い、悪いと言えば悪い、いつも周囲の反応を気にして生きている、そんな人間です。
自意識過剰、人前に出ることが怖くて、でも大きく喝采を浴びる喜びに心奮わせ、夢見ている。
だから誰が見ているかも分からないこの状況で何かを表現して、インターネットという海に垂れ流すこと自体、私にとってはすごくチャレンジなわけで。
多分普通に就職すれば、まあ!なんと楽だろう。
決められた時間に出社し、決められた事をする。
失敗しても、怒られても、安定した収入がある。
素晴らしい事です。
でも、なんだか刺激が無い。
みんなが出来ない事をできる環境にある、そのメリットを活かした世界で活きていきたい。
ですが、自分はそういうのに実際向いてないであろう性格であるのはわかっています。
だから少しずつでいい、変わる必要があって。
「変わる必要なんてない、無理する必要は無い」と言って下さる方もいます。
でもそれは変われずに悩み苦しんで結局一歩も踏み出せない人に向けた免罪符のような言葉だと私は受け取っていて、それに甘んじてはいけないと思うのです。(思うだけなのが何とも息苦しい)
夢を叶えるためには少しずつ今の180度背を向けている自分を軌道修正していかないといけない。
真っ当な自論を真っ当に、自信を持って言えなければならない。
薄っぺらくなってテンプレートみたいになってしまった夢を自信をもって語らなければならない。
それがどうしても無理だというなら、
「無理をしなくていい」
あなたはあなたのままで、みんなと同じ道を行けばいいし、それはそれでとてつもなく楽しいはず。
いつか(人生に不可欠ではない)刺激のある道を妥協した事すら忘れて、日々必死に生きるだろう。
そして新しい刺激を見つけるだろう。
それはそれでいいんじゃないのかな。
「変われない、無理だ」などとのたまっている様ではもちろん一切変われない。
変わろうと思い行動に移す人間だけが変わる事ができる、何か成す事ができる。
当たり前のことだろう。
芸術は爆発だ!という岡本太郎の言葉があるように
何か刺々しいニュアンスをもって芸術は成り立つんだろう。
私は挑戦してみたい。
音楽だったりアートだったりメディアだったり
なあなあに成ってダラダラとした今の娯楽の、刺激を変えたい、もう一度盛り上げたい。
再興したい。
だから今までどんな意見も「そういう意見もあっていいと思う」と受け入れてきたものを、
勇気を出して
「そういう意見もあるだろう、だが私はこうだ」
そう言える、NOと言える人格をまずは目指したい。
20代は投資だ。投資させていただく。
色んなものを見て、感じて、考えを止める事無く、
そして今一切出来ていないが、歩みを進め、それを考え以上に止める事無く
やるしかないんじゃないのかな。
イギリスにきて、もう4ヶ月が過ぎてしまった。
焦る。
ただ焦らず自分との対話を続ける。
ここだけは焦っちゃいけない。
選択をする。
右翼だとかなんだとかいうトピックが出て、未だによく意味を理解してなかったので、調べてみた。
右翼は愛国的な思想。
左翼は革新的な思想、社会主義的、共産主義的な考え方。
社会主義とか共産主義も意味がよく理解できてなかったので調べると、私的財産を破棄してみんな平等に生きようよ、って感じらしい。
話は右翼とか左翼には触れません。
社会主義、共産主義のトピックに興味がでたので、それについて書きます。
「人類みな兄弟」とか「人はみんな平等」というワードを聞きますが、
それは資本主義の中に生きている人の言葉だ、というのが興味深いな、と。
確かに無形物というか、心の内に対して「みんな平等である」という考えはあると思いますし、苦しんでいる人が減ればいいという思いは誰しもあると思います。
与えられる機会はみな平等であるべきというか。
ですが、必ずしもみんなが平等であるわけではない。
例えばロンドンでクラブに行こうとすると、あるクラブはドレスコードがあって普通の格好じゃ入れない。
そのクラブのエントランスのすぐそばの路上には「Change Please!」とお金を恵んでもらおうとする所得に格差がある人。
何とも異様な光景でした。
これを私的財産放棄の考えでみると、多分こういう光景は激減するはず。
ただ、いくら頑張ってもみんな同じになる。
頑張る目的が無くなる。
僕はそれって面白くない世界だなぁ、と思うわけです。
色んな人の亡骸の上に立って世界を見ている今日の我々は、あまり軽々しくみんな平等だとか言えないなぁ。と思いました。
でもリスクが無くなる世界、というのはもしかしたら、ただ自己顕示欲を満足させたい人たち、クリエイティブな人間にとってはもしかしたらプラスに働くかもしれません。
どれだけ売れなくても資産は平等。
だったら思い切って面白い事をしようとする人も増えるのかも知れません。
少なくともお金をモチベーションの一つと考えてる僕にとっては面白くないです。
右翼は愛国的な思想。
左翼は革新的な思想、社会主義的、共産主義的な考え方。
社会主義とか共産主義も意味がよく理解できてなかったので調べると、私的財産を破棄してみんな平等に生きようよ、って感じらしい。
話は右翼とか左翼には触れません。
社会主義、共産主義のトピックに興味がでたので、それについて書きます。
「人類みな兄弟」とか「人はみんな平等」というワードを聞きますが、
それは資本主義の中に生きている人の言葉だ、というのが興味深いな、と。
確かに無形物というか、心の内に対して「みんな平等である」という考えはあると思いますし、苦しんでいる人が減ればいいという思いは誰しもあると思います。
与えられる機会はみな平等であるべきというか。
ですが、必ずしもみんなが平等であるわけではない。
例えばロンドンでクラブに行こうとすると、あるクラブはドレスコードがあって普通の格好じゃ入れない。
そのクラブのエントランスのすぐそばの路上には「Change Please!」とお金を恵んでもらおうとする所得に格差がある人。
何とも異様な光景でした。
これを私的財産放棄の考えでみると、多分こういう光景は激減するはず。
ただ、いくら頑張ってもみんな同じになる。
頑張る目的が無くなる。
僕はそれって面白くない世界だなぁ、と思うわけです。
色んな人の亡骸の上に立って世界を見ている今日の我々は、あまり軽々しくみんな平等だとか言えないなぁ。と思いました。
でもリスクが無くなる世界、というのはもしかしたら、ただ自己顕示欲を満足させたい人たち、クリエイティブな人間にとってはもしかしたらプラスに働くかもしれません。
どれだけ売れなくても資産は平等。
だったら思い切って面白い事をしようとする人も増えるのかも知れません。
少なくともお金をモチベーションの一つと考えてる僕にとっては面白くないです。