宗方姉妹 | 温故知新 YEBISU NOTE

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1950年、松竹の小津安次郎監督

新東宝に招かれての一作


いきなりであるが、この作品の中での名言に「新しいとは古くならないことよ」という台詞がある。


74年前のこの作品、田中絹代が古風な姉、高峰秀子がモダンな妹という設定で、妹の「お姉さんは古い」という台詞へのレスであるが

これは見事な 切返しである(笑


「新しいとは古くならないこと」

実に意味深長な台詞ではないか!


例として、戦時中、勇んで特攻隊に入ったものがいる。生き残った戦後は、アメリカさんに被れてしまっている。➡️自分の解釈を書くが、つい数年前までは、鬼畜米英の軍国青年が、戦後になると、欧米被れで遊び放題! 所謂、新し物好きとか新しがり屋は、ブームに躍らされているだけ~、そんなもの時代が変われば古くなるだけ~と言っていると解釈した!

そして、古い時代のことを言ってるようでも、芯が通っていることこそ、普遍なものであり、一貫性があるから古くなることはない!


これは、大佛次郎の原作に載っていたのだろうと思うが、、

素晴らしい言葉だ!!!

いつの時代でも、ミーハーぽい奴とか、周りに合わせないと落ち着かない奴とかが多すぎる!!

➡️まあ、商業(主義)などというものはそういうタイプをターゲットにして成り立ち、それは良い意味で経済の活性化に役立ってきたことは否定しないけどね。



早々、横道に逸れたが、軌道修正しなくては、、、


冒頭、京都大学の時計台が映り、ガンについて講義する教授が映しだされる。「ウサギの耳にコールタールを塗りつづけると癌ができる」 という、古くから聞いた伝説のような内容だった(笑


続いて、大学教授から癌について話を聞く田中絹代、場面は変わって、とある家庭の日本間、天真爛漫な娘=高峰秀子とその父=笠智衆が他愛もない会話で盛り上がっている。


 どうやら、東京から京都に単身赴任中の大学教授が笠智衆、その娘たちは東京に住んでいて、姉の田中絹代は、古風なしっかり者、妹の高峰秀子はモダンでお転婆という、好対象な姉妹を演じている、、この二人がもう最高!!!

昔の女優さんは、極めて単純な設定の中で、観る者の感性を刺激してくる!!➡️当に、時代を経ても古くならない演技である。


 さらに、田中絹代のかっての恋人で神戸で家具商を営む男に上原謙、田中絹代の現在の夫に山村総。上原は戦後間もないご時世で早くも成功者、山村は失業中、、

姉妹たちとは違う意味で対象的に描かれている。


 その4人の人物を軸に小津作品らしい一悶着があるのだが、小津作品というもの、ともすればドロドロした愛憎劇、或いは、メロドラマ好きの日本人に好まれる悲劇になりそうな題材を扱いながらも、常にからっとした後味の良いものに仕上げている。ただ今回は悲劇的結末を無理やり希望に仕上げたところもあるが、(敗戦直後だから悲劇を無理やりにでも希望に置き換えたのかも)それは当に

常に「時代を経ても古さを感じさせない」ものである。「東京物語」より以前の作品であるが、大佛次郎の原作も、小津の演出も新しい時代を意識してのものに感じられるが、同時にその作品に込められた思いは、決して古く埋もれていくものではないと思えた。


そして、田中絹代、高峰秀子、上原謙、山村聡、さらに笠智衆といった俳優さんたちの変わらぬ存在感も凄い!!


そして、京都、神戸、東京と目まぐるしく舞台が変わるが京都、東京の日本間、神戸の洋間、東京の喫茶店は舞台劇のように感じた。

ロケ地は京都大学と京都御所など

京都、奈良の観光スポットを少しずつだと思ったけど、あれ、今、

京都だったかな?東京だったかな?神戸だったかな?などとちょっと混乱したりしたw


外国映画、特にヨーロッパ映画を観てると、人物とか場所がこんがらがることがあるが、それこそ当に映画だからだ!逆にこの作品を外国人さんが観たら、場所とか人物とか混乱することがありそうな気もした。でも、映画というもの、ストーリーが単純か複雑かに関わらず、場面、場面を感じとって、立体パズルを組み立てながら観るものだから、そういう複雑さこそ映画らしいともいえる。



「午前10時の映画祭」だからこその至宝のような作品




次回の「小早川家の秋」は既に何度か観てるのであるが、これもまた楽しみである。