悪は存在しない | 温故知新 YEBISU NOTE

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濱口龍介監督、、ほんの10年前はその名前を知る人は非常に少なかったと思う。しかし、ごく最近、「ドライブ・マイ・カー」でうカンヌ映画祭で脚本賞、「偶然と想像」でベルリン映画祭審査員大賞を受賞。それに続いて本作品「悪は存在しない」ではベネチア映画祭で審査員グランプリ受賞で

カンヌ・ベルリン・ベネチアの世界三大映画祭のすべてで何らかの賞を受賞となった。それに加えて、ドライブ・マイ・カーではアカデミー賞外国語映画賞まで受賞している。


本題の「悪は存在しない」までに前置きが長くなってしまった。


その本作だが、ラストが一気に大どんでん返しとなり、それまでのごく普通の王道のようなストーリーがひっくり返る!ラストシーンは「生と死」、そして「自然環境と人間」を強く意識せざるを得ないラストになっている。➡️自分はそう思ったのだが、「悪は存在しない」というタイトルの意味はよくわからないままだ。ただ二度、三度の観賞には耐えられるタイプの作品で次第にタイトルの意味は判ってくるのかも、、


 冒頭、主役の巧がひたすら薪割りをする場面が映しだされ、

その周りの風景は清流と山々が長閑さと静寂を演出している。そこに芸能プロダクションが宿泊施設を建設するという。地元へも利益誘導しますなどと言ってはいるが、実はコロナの補助金をせしめるための隠れ蓑なのである。そんなんだから大して煮詰めているわけでもなく、住民側は当然の如く猛反発。企業が送りこんだ住民側を説得する役の男女と住民側のオピニオンリーダー的存在の巧との間になぜか友情に似た関係が芽生えてくる。➡️なんと言ったらよいだろう、、、平凡なストーリーであるのだが、映像が地味に渋いという感じで引き付けられる。

そしてラスト10分くらいで今までの平凡なストーリーをひっくり返してしまう 、、、




といってもラストシーンの持つ意味がまだ判らないガーン


「悪の存在はない」というよりも、主役の巧はとんでもない

「悪」であり、自然と人間社会の関係を知り尽くしているように思えた。➡️というか、巧とその娘は

何かの「化身」であったのだろう

Wwwwww 

逆に生き馬の目を抜くような大都会で生きている人こそ、意外と「純粋無垢」のような気がした。


もう一度言うと、テレビドラマ程度のストーリーが、ラストで一気にひっくり返された、、、非常に哲学的な作品だがどういう哲学かはもう一度みないと判らないwww