劣化ウラン弾 第4部 | 乖離のぶろぐ(*´∀`)吸い込んで応援
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> 2011-05-09 03:50:00 pochifxの投稿
> 福島の癌予想、千葉に劣化ウラン弾
(゚ω゚)1~2μSv/hは劣化ウラン弾に相当すると書いたが、
(゚ω゚)もう少し、劣化ウラン弾を調べてみる。

(゚ω゚)全文ではなく、部分的にコピペしてあります。


第4部 同盟国の重荷 [英国]

http://www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/england/000602.html
http://megalodon.jp/2011-0511-2226-04/www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/england/000602.html
 ロンドンから北へ約三百キロ。かつて漁港として栄えたイングラ ンド中東部のハル市は、北海にほど近いハンバー川河口にあった。 人口二十五万人の市北部住宅地にレイ・ブリストウさん(42)を訪ね た。

  2ヵ月の湾岸体験

 「足がすっかり弱くなってね。随分前から支えがないと歩けない んだ」。出迎えてくれたブリストウさんは、つえを支えに居間に向 かい、ソファに腰を下ろした。「わずか二カ月余りの湾岸体験で、 自分の体じゃなくなってしまった」。ゆっくりとした口調に、悔し さがにじむ。

 高校卒業後、社交ダンスのインストラクターの資格を取って夜間 に教える傍ら、昼間は医療技術者として地元の病院の救急室で働い た。「国にも奉仕したい」と、十七歳で国防義勇隊に登録。週末など に訓練を受けた。

 イラクがクウェートに侵攻して三カ月後の一九九〇年十一月、 「医療班スタッフとして中東へ出向いてほしい」と要請があった。

 「救急医療現場での経験と軍事訓練の積み重ねを生かし、今こそ 国に奉仕する時」。妻で看護婦のデボラさん(35)に相談することも なく参戦を決意。幼かったレイチェルさん(14)とクレアさん(12)の 二人の娘を残し、九一年一月初旬、サウジアラビアへ飛んだ。

 イラク国境近くに二百床の野戦病院を設営し、負傷兵の治療に当 たった。「運ばれてくるのはほとんどがイラク兵。特に地上戦(二 月二十四日―二十八日)の間は、足が切断されたり、内臓が飛び出 した兵士などひどいものだった」。脱がせた服からは、ほこりが舞 い上がった。

 むごい光景は救急医療室で見慣れており、ショックを受けるとい うほどではなかった。「ただ戦争前までは健康だった若者が負傷を 負い、死んでいくのが悲しかった。目前の現実が、戦争の代償の大 きさを突きつけてきた」。その時の様子を思い出し、目を潤ませる ブリストウさんには当時なお、自身の健康喪失までが代償に含まれ ているとは思いも及ばなかった。

  帰国と同時に発病

 体調の悪化は、三月十五日の帰国とほぼ同時に始まった。頭痛、 全身疲労、胃腸障害…。湾岸戦争に伴う疾病について何の情報もな かった。九三年になり、病院でたまたま手にした女性雑誌の記事が 目に留まった。「一人の湾岸戦争退役兵の病状について触れてい た。まるで自分のことが書かれているようで…」

 妻にもその記事を見せ、病気の原因と治療法を探る夫妻の努力が 始まった。体調悪化で病院勤務を断念した九六年、カナダの専門家 に尿検査を頼んだ。高レベルの劣化ウランが検出された。

 「前線から離れていたので驚いたよ。きっと負傷したイラク兵の 服などに付着した劣化ウラン粒子を、体内に大量に取り込んだに違 いない」。あの時のほこりを思い出した。国防省に問い合わせても 「心配はいらない」の一点張り。何の解決にもならなかった。

  先は「スローな死」

 食事療法とさまざまな薬の摂取。それでも年々体力は衰え、関節 痛も増すばかり。記憶力の喪失も激しくなってきた。「今では死の 順番を待っているようなもの。ヒロシマ、ナガサキのスローな死と 同じだよ…」

 希望の見えない闘病生活。「妻と成長した娘が自分の状態を理解 してくれるようになったのが唯一の救い」。ブリストウさんは、学 校から帰宅したばかりの二人に笑みを送った。

http://www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/england/000603.html
http://megalodon.jp/2011-0511-2229-57/www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/england/000603.html
  「犬を連れて夫とよくこの道を散歩したわ」。長身のジュリー・ ミーンズさん(39)は、緑の小麦畑が広がる田舎道を足早に歩きなが ら懐かしそうに言った。二頭の愛犬が尾を振って寒風の中を走り回 る。「彼がどれほど苦しんで亡くなったかを思うと、今でも悔しく て…」

  最激戦地での従軍

 ロンドンのキングスクロス駅から列車で北へ三十分。ヒッチン市 の駅で降り、タクシーで十分足らずの田園地帯に、ジュリーさんと 夫のスティーブンさんが暮らした家はあった。

 「これが夫よ」。二十分ほどで家に戻った彼女は、居間でアルバ ムを広げた。戦車の前で銃を構え、四人の仲間とイラク領内で記念 写真に収まるスティーブンさん。厚い胸板、屈強な体格。陸軍戦車 隊員として一九九一年の湾岸戦争に参加するまでは、問題ひとつな い健康体だった。

 「湾岸戦争ではいつも最前線よ。劣化ウラン弾で破壊されたイラ ク軍戦車内に兵士が残っていないかをチェックするのも任務だっ た。クウェートからイラク領内に進攻する時は、一番ひどい戦闘の あった『死のハイウエー』を通ったって言ってたわ」

 九〇年十月、駐留中のドイツの英国軍基地からサウジアラビアへ 派遣され、帰還したのは地上戦の終了(二月二十八日)から二週間 後の九一年三月半ば。ジュリーさんと知り合って日の浅いスティー ブンさんは四月初旬、休暇を利用してヒッチンの彼女の元を訪ねて求婚。その年の八月に結婚した。

  軍医「喫煙が原因」

 「結婚後は、四歳だった私の子どものマックを連れてドイツ北部 の基地内に住んでいたの。自分の子どものようにかわいがってくれ たわ」。幸せな日々の中で、中東から続く夫の下痢だけが気にかか った。

 その年の十月に三十歳の誕生日を迎えたスティーブンさんは、定 期検診の際に軍医に症状を訴えた。軍医は原因を調べようともせず 「喫煙のせいだ。禁煙すれば治る」とだけ答えた。喫煙で下痢など したことのない彼は、いいかげんな診断に憤りをあらわにした。

 「夫は戦車部隊で劣化ウラン弾を扱っていたから名前だけは知っ ていた。でも、何の害もないと教えられていたし、化学戦に備えて 取った予防薬がどんな作用を及ぼすのか、何も知らなかった」とジ ュリーさん。

 九三年三月にヒッチンに戻り、スティーブンさんは近くの陸軍基 地で、国防義勇隊の教官を務めた。一年後に長女のロクサンちゃん (6つ)が生まれたものの、喜びとは裏腹に夫の下痢は一層ひどくな り、慢性的なけん怠感や指の硬直も目立ち始めた。

 九六年に体調が一気に悪化。精神的にも不安定になり、仕事がほ とんどできなくなった。「軍医が信じられず、民間の熱帯病専門医 や精神科医にも診てもらったけど、薬が増えるばかりで一向によく ならなかったわ」

 やがて一人でトイレに行くのも困難になり、体中の関節が痛ん だ。そして九九年四月、心臓発作で三十七歳の若い命を落とした。 除隊から三カ月後だった。

 二人の子どもと夫の世話に明け暮れた日々。ジュリーさんは夫の 死後まで、多くの湾岸戦争退役兵が病気で苦しんでいるのを知らな かった。「同じ退役軍人でつくる協会もあった。夫の死後、年末ま でに心臓発作で死亡した退役兵が十二人もいたのよ」


  国の対応に不信感

 現在は政府から支給される夫の軍人恩給千ポンド(約十六万五千 円)で切り詰めた生活をするジュリーさん。「こんなお金より健康 な体の夫を戻してほしい。国防省は、病気と劣化ウランなどは無関 係ということに研究費や人件費を使うだけ。湾岸で病気になった退 役軍人らを助けようともしない」

 ジュリーさんは国防省に、これ以上犠牲者を出さないよう病気の 湾岸退役兵と正面から向き合い、治療法を確立すべきだと訴える。

http://www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/england/000604.html
http://megalodon.jp/2011-0511-2244-25/www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/england/000604.html
スコットランドの首都エディンバラ市を抜け、西北へさらに五十 キロ。人口二千人のクラックマナン市に住むケネス・ダンカンさん (31)の市営住宅に着くと、日はとっぷりと暮れていた。

  自分で服着られぬ

 「遅いので心配したけど、私たちなら時間は大丈夫。あすは日曜 だから」。地元の小さな運送会社でトラックの運転士を務めるダン カンさんは、強いスコットランドなまりでこちらを安心させるよう に言った。

 妻のマンディーさん(32)、父と同じ名前をもらった長男のケネス ちゃん(5つ)、二男のアンドリューちゃん(4つ)、長女のヘザーちゃん (2つ)も居間で迎えてくれた。

 「ケネスは統合運動障害という脳の病気のために、自分で食事を したり、服を着たりできないの」。ほかにも、両足の指が折り重な って痛みを伴うため、二年前に手術を受けた。

 ベッドに行こうとせず、飛行機の模型や戦車、トラックなどのお もちゃで無心に遊ぶ子どもたち。ケネスちゃんの足は、術後もなお 指の重なりが残っていた。


 「一年七カ月後に生まれたアンドリューも、腸やぼうこうが正常 に機能していないんだ。ぜんそくもあるし…」。ダンカンさんはそ う言って二男を見やった。トイレ訓練を始めて分かった。腸の働き が弱いうえ、ぼうこうのコントロールが利かず、おむつがはずせな い。

 ヘザーちゃんは左耳がやや難聴で、尿に血液が混じるという。

 夫妻が、子どもの先天性異常とダンカンさんの湾岸戦争体験を結 びつけて考えるようになったのは、二男の異常に気づいた三年ほど 前のことだ。

  尿の検査でも検出

 十六歳で陸軍に入隊したダンカンさんは、一九九一年の湾岸戦争 ではトレーラーで戦車などの武器を前線近くまで運んだ。戦時や戦 後は、劣化ウラン弾で破壊されたイラクの戦車から自軍の兵器、機 材までサウジアラビアの港まで運搬。六月まで滞在して後始末をした。

 中東から帰還した直後から、気管支の異常や関節の痛みが徐々に 始まった。同じ基地に勤務していたマンディーさんと、除隊三カ月 後の九三年五月に結婚し、ダンカンさんの故郷クラックマナンへ。 慢性疲労に悩まされながら運送会社に勤めた。

 「自分の体調異変は湾岸戦争が原因だと思っていたよ。カナダの 核化学者に調べてもらった尿検査でも劣化ウランが検出された。で も、まさかそれが子どもにまで影響するなんて考えてもいなかっ た

  将来へ高まる不安

 夫の言葉にうなずきながらマンディーさんが言葉を継いだ。「で もね、今から思うと結婚当初からおかしかったのよ。セックスのた びに私は下腹部に燃えるような痛みを覚えて…」  最近になり、同じような体験者をインターネットで知ったという マンディーさん。米国での湾岸戦争退役兵の取材で、何組ものカッ プルから聞いた話である。

 九五年、ダンカンさんの勤務先の会社が倒産して家のローンが払 えなくなり、市営住宅に移った。現在の運送会社では以前のように 全国は走らず、近郊回りだけをしている。

 「給与と戦争年金を合わせても月額千五百ポンド(約二十四万七 千五百円)程度。今はぎりぎりの生活ができているけど、自分の健 康や子どものことを考えると、将来が不安でね」

 ダンカンさんもマンディーさんも、兵士として「国に奉仕」する ことに誇りと生きがいを感じてきた。しかし、障害を持つわが子の 原因を知るにつけ、「国への失望と怒りがこみ上げてくる」と口を そろえる。

 「結局、われわれは消耗品でしかなかったのだ」。ダンカンさん の言葉が、米国の湾岸退役兵の言葉と重なり合った。

http://www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/england/000606.html
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戦争年金 資格なし 腎透析で命つなぐ

  「このひもを引っ張ると看護婦に連絡できるんだ」。一九九一年 の湾岸戦争に民間人として加わったポール・コナリーさん(37)は、 生活保護世帯のお年寄りや病人らが住む集合住宅の一室で、天井か ら下りたひもに手をかけ、弱々しい笑いを浮かべた。

  通信業務で湾岸へ

 「昨年の九月から週三回、近くの病院で腎臓(じんぞう)透析を 受けている。でなければ、とっくに死んでいただろう」。二の腕の 浮き出た静脈の注射痕が、痛々しい。

 ロンドンの中心部から南西へ車で約一時間。市営の集合住宅があ るセント・ジョーンズ市は、彼の故郷である。中学を卒業し、十六 歳で通信関連会社に入社。軍事関連の通信システム技術者として腕 を磨いた。

 戦場で通信システムが機能するかどうかは、軍の作戦にかかわる 生命線である。高温の砂漠地帯での実戦使用は初めての経験。陸軍 との契約下にある会社を通じて、コナリーさんに白羽の矢が立っ た。「命への不安がなかったと言えばうそになるけど、OKした よ」

 戦場で使う通信システムについては、八〇年代後半からドイツ各 地にある英軍基地で扱っており、精通していた。だが中東の自然条 件は、戸外にある通信機器にとって、予想をはるかに超えて過酷だ った。「コンデンサーを冷却するのに常にファンが回っているん だ。かぶった砂ぼこりを圧縮空気で吹き飛ばさないとすぐ故障につ ながってしまう」

  体力続かず職失う

 一日の仕事を終えると顔も体もほこりだらけ。ストームに襲われ ることもあった。戦線が拡大するにつれサウジ、クウェート、イラ クを何度も通った。「イラク兵のむごい死体もたくさん見てしまっ たよ」

 戦闘終結から約三カ月後の九一年五月に帰国。そのころから体調 を崩し、七月には元の会社を辞めた。「とにかく体が疲れてエネル ギーが出ないんだ」。その後、別会社に就職したが、頭痛が激しく なるなど体調は悪化するばかりだった。

 九三年、腎臓の生体検査を受け、腎炎と診断された。コナリーさ んが、劣化ウランという言葉に初めて接し、湾岸戦争退役兵の間に 腎臓障害が多いと知ったのは九四年のこと。「新聞記事でね。劣化 ウラン粒子を体内に取り込むと、放射線の影響だけでなく、毒性の 強い重金属汚染が腎臓などの機能を侵してしまう恐れがある。そん なことが書いてあった」

 戦場にいる間、彼は環境に放出された汚染物質はすべて吸入して しまったと思った。民間人ではあったが、国防省と掛け合い血液検 査やレントゲン検査を受けた。「医師は病気は認めたよ。でも『湾 岸戦争には一切関係ない』のひと言。冷たいものさ」

 体力が続かず、九六年に仕事をやめた。ローンが払えずに家を失 い、五年間一緒に暮らした彼女も去った。ホームレス生活を救って くれたのは、家庭を持つ姉だった。担当医の市への手紙で、三カ月 後に現在の住居があてがわれた。

 同じ年に、退役軍人との交流で知ったカナダや米国の専門家に尿 の分析をしてもらった。「劣化ウランが含まれている兆候はあるけ ど、尿にタンパクが出過ぎてきれいに分離できない。どちらからも 同じような結果が届いてね…」

  「絶望」抱えて生活

 軍隊勤務での傷害や疾病により、退役軍人に支給される戦争年金 を軍に請求したが「資格がない」と却下された。今は週七十ポンド (約一万一千五百円)の生活保護費が唯一の収入である。

 「できれば腎臓移植を受けたいし、真実を明かすために法廷でも 争いたい。でも、もう希望は抱かないことにしている」。コナリー さんは、寂しい笑い声を上げた。「ぼくは笑うほかないんだよ。で なければ泣くしかないものね…」

 心の奥深くに「絶望」を包み込んで一日一日を生きるコナリーさ んに、慰めの言葉もなかった。

http://www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/england/000607.html
http://megalodon.jp/2011-0511-2315-22/www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/england/000607.html
 「なぜ政府は真実を語れないのかって? それはね、武器使用の 影響を認めれば退役軍人らに補償せねばならない、というだけでは ないんだ。ブレア首相も国防省も、米政府の許可なしに認めるよう なことがあれば、米国がこの国からすべての核兵器を引き揚げるの を恐れているのだよ」

 英国は独自の核政策を堅持しているように見えて、実態は米国の コントロール下にあるという。「核のコロニーだね。だから劣化ウ ラン弾についても、ペンタゴン(米国防総省)のオウム返しのこと しか言えない」

http://www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/england/000608.html
http://megalodon.jp/2011-0511-2331-09/www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/england/000608.html
劣化ウラン弾使用に伴う危険について一定の認識がありながら、 自軍兵士になぜ防護のための事前警告をしなかったのか。こう尋ね ると「戦闘の展開があまりにも急で、その時間がなかったからだ」 と、ためらいもなく答えた。

(゚ω゚)日本政府の行動に似てるような気がする。

http://www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/england/000609.html
http://megalodon.jp/2011-0511-2337-16/www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/england/000609.html
湾岸退役兵を支援

 「一九七七年のことだ。四人の退役兵が私の研究室を訪ねて来 た。働き盛りの一番元気な年ごろの若者がつえをついてね。どこか ら見ても病人だった」。彼らの症状を聞き取りながら、自分の専門 性を生かすことで退役兵らを支援できると考えた。

 ロンドン大学で薬の開発、薬による病気など医化学分野で博士号 を取得。その後も生物化学、毒物学などの研究を続けてきた。

 「湾岸戦争は西洋の軍事史の中で最も毒性に満ちた戦争だった。 劣化ウラン弾の使用、イラク軍の化学兵器庫の爆破、油田火災、化 学・生物戦に備えて兵士が取った安全性も確認されないさまざまな 薬剤…。どれを取っても人体に無害ということはあり得ない」

 フーパーさんは、劣化ウラン弾を「無差別相互確証破壊のための 新兵器」と形容する。「政府や国防省は、劣化ウランは天然ウラン より放射線レベルが低くて無害と主張しているけど、それはごく一 面を見ているだけ。特に兵器として使われた時は、とてつもなく危 険が高い」と指摘する。

  排出には2万4000年

 主要な危険性は砲弾が戦車などの物体を貫通した際に生まれる劣 化ウラン粒子である。その時、劣化ウランの弾芯(しん)に使われ る貫通体は、英国防省がいう一〇~―二〇%ではなく、最高七〇% までは煙霧状の酸化微粒子となって大気に放出される。千分の一ミリ のマイクロ単位、特に五マイクロメートル以下だと肺に着床。半永 久的にそこに止まるという。

 「微粒子の多くが高熱でセラミック状になっており、吸入した量 の半分が体外に排出されるまでの生物的半減期は十~二十年。食物 などに含まれる天然ウランだと溶解可能で、二十時間もすれば尿と一緒に体外へ排出される。が、溶解不可能なセラミック状だと、完 全に排出されるまでに理論上二万四千年かかる」

 劣化ウラン粒子は、血液を通してリンパ節や骨にもたまり、免疫 システムや血液をつくる骨髄にも影響を与える。尿と一緒にわずか ずつ体外へ排出されているのが、退役軍人らの尿検査から検出されているのだ。

 「九年もたってなお検出されるのは、体内のいろいろな部位に劣 化ウランが残っている証拠だよ。精子にも含まれることが分かって いる」

  遺伝子へも悪影響

 フーパーさんは退役軍人と交流するようになり、妻たちが性交時 に覚える「バーニング・センセーション(燃えるような激しい痛 み)」についても多くの訴えを聞いた。彼はその原因をこう説明す る。

 「劣化ウランのもつ化学的毒性や、兵士が摂取した他の化学物質 による影響で、精子をつくる代謝の際に異常が起き、非常に強いア ミン物質、例えばアンモニアのような物質が多量に含まれてしまう のだ。塩基性のアンモニアは強い刺激性を有している。そのために 女性たちは、下腹部に燃えるような激しい痛みを感じるのだよ」

 劣化ウランの持つ放射性と毒性、その他の毒性物質による遺伝子 への影響も否定しない。湾岸戦争退役兵の家族に、先天性異常のある子が目立つのも不思議ではないという。

 「劣化ウラン弾が多国籍軍の兵士だけでなく、イラクの兵士や市 民の健康と命を奪い、まだ生まれてこない生命にまで影響を与えて いる。だから私は無差別相互確証破壊兵器と呼んでいるんだよ」

 自国の湾岸戦争退役兵の依頼で、チーフ科学アドバイザーも務め るフーパーさんは、最近ヨーロッパ各地に出かけ劣化ウラン弾の危 険を訴えている。

http://www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/england/000610.html
http://megalodon.jp/2011-0511-2342-26/www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/england/000610.html
 湾岸戦争で中東に派遣された五万三千人のうち、戦闘地域で活動 したのは約三万人。その中の約六千人がさまざまな健康障害を訴 え、約三千人が戦争年金受給者である。戦争終結後、今年四月末ま での死亡者は五百人に上る。