イノクニタンケンタイ雑用係の日月ホトトギスです。
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山門(ヤマト)
抱柏紋
三角縁神獣鏡あるね
我々は南の海から来た のかもね
讃岐で役行者が感じた霊鷲山につながる妄想の刳抜式石棺
鉄
五角形の台座 地神さん(阿波の秘羽女神社)
讃岐のヒミコ(又は妹)が祭られる神社
元の神社地には松平家の法然寺
法然さんは稲飯命(飯依比古?)の末裔であり鰐の尾と妄想した。
絹の蚕繭を抱く狛犬
えへ
長尾は何のしっぽ?⑯のつづきです。
長尾寺はしっぽ関係では気になりまする
![流れ星](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/114.gif)
![うーん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/069.png)
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![グラサン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/036.png)
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まだ千葉氏の白井氏探検が続いています。
繰り返すようですが、前回、
城下町白井、のちの市場町白井宿。白井は、吾妻川と利根川の合流点にある河岸段丘上にある。白井城の廃城後、白井町は「城下町」から「市場町」(在郷町)へと変化する。なんとなく吾妻川と利根川で思った、「吾」とは、良寛の「・・・吾(あ)はうたひ 吾(あ)がつけば 汝はうたひ つきて唄ひて 霞(かすみ)立つ 永き春日を 暮らしつるかも」、「妻」とは「・・・(糸=絹=)皇后「琉球十三マーイ」つく 十種神宝の霊力で死者を蘇らせる 河南省の嵩県から淮水に流れる「汝水(ジョスイ)川」がつけば、神のお告げを汚れから守る歌をうたい 汝水川が神のお告げを汚れから守る お互いに呼応し 龍・天村雲命現れる 長く続く天孫降臨の警護三十二神の一神で武蔵の秩父国造らの祖・天下春の日に照らされて 暮らすでしょう」と妄想してきた。これは、沖縄経由で、河南省の嵩県から淮水に流れる汝水川の地域と関係の皇后なのではないか。つまり、吾妻とは、天皇と皇后ではないか
そして、利根川を妄想。利根とは戸根、戸は瀬戸や八戸の戸、(山門=ヤマト=山戸かも)おフナト(クナト)さん=道祖神=猿田彦大神=庚申塔=阿波神山=フナト=船戸=これ以上くな!との結界=オフナトさんは1神+12子神=13(とみ=富)
根は、根の硬す国=黄泉(予見)=予の国が見える伊の国
白井町の六斎市。市場は、天界や冥府といった他界と俗界の境界領域で、過去探検で鰐と妄想し、讃岐の国は「国柄か見れども飽かぬ神柄かここだ貴き天地日月とともに 満りゆかむ神の御面と継ぎ来る・・・」ところだと申している柿本人麻呂さんが、亡き妻を想って「軽の市」に行き、妻をしのぶ歌を作っている。『枕草子』では「おふさの市」。中世の書物や貴族の日記にも、虹の立つところに市を立てなければならないという観念がみられ、虹が天と地の懸け橋という考え方に基づいていると思われる。虹は神々が降りる場であり、それを迎える行事としての市。虹は、他界と俗界の境目、そして虹は龍であり神との約束として現れる。
讃岐の難破の富田茶臼山古墳から阿波へのびる古・那羅街道にある徳島県の市場町境目には、祖谷ともとれる熊野権現がありその目の前のイチョウの樹の下で生駒氏は自刃。さらに、市場町には天二上命(天叢雲)を祭る伊笠山がある。
生駒氏で思うのが、村上天皇の血筋と妄想の静御前の母・幼い長町磯が摂津江口へ旅立った補陀落山志度寺の志度寺縁起の海女(天)の玉とり伝承の真珠島には、清和源氏につながる生駒氏が、「弁財天」、「吉祥天」を祀りなさいと定めている。
弁財天は、河の女神、吉祥天は、北方の毘沙門天の妻もしくは妹、毘沙門天は、多聞天で金毘羅大権現、金毘羅大権現=鰐積=祖谷を北で守護、松尾寺の鎮守である金刀比羅宮、松の尾=伊邪那美の尾と妄想。
伊邪那美の尾(=金刀比羅宮)が北で南に位置する祖谷を守護なんだとあらためて妄想する。
盂蘭盆(うらぼん、お盆ともいう)の行事で父母や祖霊を供養したり、亡き人を偲び仏法に遇う縁とする行事の六斎念仏。
今日では偽経とされる『盂蘭盆経』、『報恩奉盆経』などに説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説に由来。
元々旧暦7月15日を中心に行われていたが、新暦8月15日や旧暦の7月15日のまま行っている場合に分かれている。父母や祖霊を供養したり、亡き人を偲び仏法に遇う縁とする行事のこと。
沖縄のハイビスカス、お盆のホズキ(鬼灯)に通じる。
ほおずき市は、東京都港区芝の愛宕神社の縁日に由来するといわれている。
「愛宕」イ探的には、「阿多子」、神阿多都姫の尾。
城下町白井、のちの市場町白井宿
白井は、吾妻川と利根川の合流点にある河岸段丘上にある。
「吾妻」とは、天皇と皇后ではないか
「利根」とは、予の国が見える伊の国
市場町白井(群馬県渋川市白井)の地は、
予の国が見える
イの国の尾
気になったのが、白井町の六斎市からの六斎念仏のお盆。
今日では偽経とされる『盂蘭盆経』、『報恩奉盆経』などに説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説に由来。
「餓鬼道」?!
餓とは、うえる
鬼道(きどう)とは、「三国志」魏書東夷伝倭人条に記述の邪󠄂馬臺國の女王卑弥呼が国の統治に用いたとされる。
『三国志』魏書東夷伝倭人条における記述
倭国には元々は男王が置かれていたが、国家成立から70〜80年を経たころ(漢の霊帝の光和年間)倭国は乱れ、歴年におよぶ戦乱の後、女子を共立し王とした。その名は卑弥呼である。女王は鬼道によって人心を掌握し、既に高齢で夫は持たず、弟が国の支配を補佐した。
妄想が活発化
これって、偽経とされる「盂蘭盆経」の「お盆」行事。
それは、主に男が執り行うもので、餓鬼道に堕ちた亡母への供養。
邪󠄂馬臺國の女王卑弥呼が国の統治に用いたとされる鬼道。弟が女王の国の支配を補佐。
餓鬼道に堕ちた亡母とはかつて鬼道で国を治めた女王卑弥呼のことではないかい!?
まさに、鬼道に餓えた卑弥呼だが男の支配権となり落ちたでは?にゃいのか!?
そして、りまりまさんのブログの「ブーゲンビリア」「蔓」から妄想がスパークしてコメントさせていただいた。
エビス様の蔓柏紋。柏に蔓はない。
そのことは柏葉+蔓。
柏紋といえば思いつくのは、社伝には天照大神の葬儀が伝わる式内大社・阿波国一宮論社 天石門別八倉比売神社(あめのいわとわけやくらひめじんじゃ)の神社紋は抱柏。
はじめは気延山(標高212.2m)の山頂にあったが、後に気延山南麓尾根の杉尾山の標高110m付近に鎮座。
1773年に書かれた文書には、鎮座から2150年、逆算すると紀元前378年となるそうだ。
御神体は、杉尾山
杉の尾
つまり、素戔嗚尊の尾
で、蔓は?
とりあえず脇においとこ
なんやかんやでたどりついた妄想で、
餓鬼道に堕ちた亡母へのお盆の供養とは
かつて鬼道を使って国を治めたヤマト国の亡き母
日巫女の供養の尾だ!
え~、テス、テス、マイクのテスト中ー
ホンジツハ セイテンナリ
あー あー
我がイの国探検隊員の諸君!
ついにイ探は、「三国志」魏書東夷伝倭人条の邪󠄂馬臺國の女王卑弥呼にたどりつきもうした!
宴は、たけなわ(竹縄)
門松は門竹でも
御三唱願いたいと思います。
バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!
本ブログはフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありませんといいたい。
虫の心臓なので、
御批判はノーコメントでお願いします。
ではまた。