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『日本書紀』では日本武尊(やまとたけるのみこと)、『古事記』では倭建命(やまとたけるのみこと)と主に表記。一般には「日本武尊」の用字が通用されるとのこと。
『古事記』では
本の名:小碓命(おうすのみこと)
亦の名:倭男具那命(やまとおぐなのみこと)・倭男具那王(やまとおぐなのみこ)
のちの名:倭建命(やまとたけるのみこと)・倭建御子(やまとたけるのみこ)
能褒野(のぼの)から白鳥となって飛び、河内国志幾に留まり、そこに「陵」を起こした。これを「白鳥陵」と呼んだ。のち、またも白鳥となって飛び、ついに昇天したという。
つまり、白鳥陵は河内国志幾に営んだ「陵」である。
『日本書紀』によると
白鳥となって能褒野陵から出て、まず大和国琴弾原(奈良県御所市冨田)にとどまり、そこに「陵」を造ったと。
さらに白鳥となって河内国旧市邑にいきとどまり、そこにも「陵」を造った。
また白鳥となって天に上ったと。
最初の能褒野陵、大和琴弾原の「陵」、河内国旧市邑の「陵」と三陵を時人は「白鳥陵」とよんだという。
「ヲウス(小碓)」の名称について
『日本書紀』では、双子(大碓命・小碓尊)として生まれた際に、天皇が怪しんで臼(うす)に向かって叫んだことによるとする。
第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたる。熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄である。
近江の五十葺山(いぶきやま)に荒ぶる神がいることを知り、山に行くがそこで病気になる。
能褒野(のぼの)に着いた時に病気がひどくなる。
俘(とりこ)にした蝦夷を伊勢神宮に献上し、吉備武彦を遣わして東征の成功と余命の少なさを天皇に奏上する。
能褒野で崩御される。30歳であった。
天皇は悲しみ、伊勢国の能褒野に葬らせる。そのとき日本武尊は白鳥となって陵から出て倭国を目指して飛んでいく。白鳥は倭の琴弾原(ことひきのはら)(御所市富田)にとどまり、そこに陵を造る。また河内に行き古市邑(羽曳野市軽里)にとどまったのでそこにも陵を造る。この三つの陵を名づけて白鳥陵(しらとりのみささぎ)という。ついには、高く飛んで天に上られたとのこと。
気になったのは、白鳥と、その飛んだ先の地名
ヤマトタケルの魂は白鳥となり飛んだ
「白鳥」の痕跡
香川県東かがわ市には、その白鳥が舞い降りたとされる白鳥神社がある。
御祭神
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
両道入姫命(フタジイリヒメノミコト)
橘姫命(タチバナヒメノミコト)
拝殿
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はい、今回はあっさりとしてます。
単純ですが、旧、白鳥町です。ヤマトタケルの魂が白鳥となって降り立った伝説が残る白鳥神社
もちろんヤマトタケルさんをご祭神に武芸の神様として鎮座されております。
白鳥「鶴」の塚もありました。
伊勢能褒野から来た!来た!きたで!
倭国を目指して飛んできた!
タケルさんの魂は舞い降りられました!
つまり、白鳥神社のある東かがわ市は、倭国内だよね、だよね!
さぬき市編へつづく。
では、また。