女性画家 10の叫び   堀尾 真紀子 | やるせない読書日記

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 二年位前、マリー・ローランサンのことを調べて

 

いて何冊か読んだ本の一つ。十人の女流画家をとり

 

あげている。前は無理して全部、読んだり時代

 

背景を調べるとか分に合わないことをやって息切れ

 

したが、もうそういう事はしません。単なる感想とい

 

うことで。

 

  この本で取り上げられている画家。

 

 三岸節子、小倉遊亀、フリーダ・カーロ、レディオス

 

バロ、ニキ・ド・サンファル、ケーテ・コルヴィッツ、

 

桂ゆき、いわさきちひろ、マリー・ローランサン、メアリ

 

カサットで19世紀から20世紀の画家。

 

 わたしが興味をもった十九世紀から二〇世紀

 

にかけての女性画家たちの作品には、共通して

 

ある種の勁さがあるからです。それは彼女たち

 

が生きてきた時代が育んだ強靭さといえるか

 

も知れません。今は一人ひとりの個性が尊重さ

 

れ男女で差別されることも少なくなっています。

 

しかしほんの少し時代を遡ると、国家のために、

 

あるいは家父長制のもとに、個人が犠牲になり、

 

女性が虐げられていた時期が長く続きました。

 

そんな時代にも世間が求める女性像に満足し

 

ない、自立心ある女性は当然いたはずです。

 

長い歴史をたどると、女性の芸術家が圧倒

 

的に少ないことに驚かされますが、それは

 

時代の状況が彼女らの生まれもった才能を

 

開花させることを拒んだとしか思えません。

 

しかし自分の裡に突き上げる欲求を、それ

 

を押しつぶそうとする時代の状況にもめげ

 

ず花開かせた女性たちがいます。

 

 ということである。

 

 マリー・ローランサンは別稿で書くから省略。

 

フリーダ・カーロ以下の外人はメアリー・カセット

 

以外、面白くなかったのでパス。桂ゆきは内容、覚

 

えていない。

 

 いわさきちひろは今でも有名で女性なら好きな

 

絵だが、僕は興味ない。ただ、いわさきちひろが日本

 

共産党員で夫が松本善明という共産党の議員だとは知ら

 

なかった。そういえば、赤旗日曜版などでいわさきの絵

 

を見たことがある。いわさきちひろに関しては、この

 

くらいの感想しかない。

 

 三岸節子(1905~1999)

 

 

 三岸節子は1905(明治38)年、愛知県に

 

大地主の四女として生誕。股関節脱臼により

 

生来的に足が不自由。家に大勢人の集まる

 

催し事の際は「家の恥」として蔵の中に入れ

 

られたといいます。今では考えられない逆境

 

である。

 

 その後、生家は没落。妹はそのショックで

 

病床につきましたが、節子は逆に「よおし、

 

何者かになってやろう」と奮起したといい

 

ます。何者とは画家。

 

 今の時代とは異なり、女性が己の権利を主張できな

 

い時代であったのだ。

 

 三岸節子の絵がいい。この美少女は節子の十九歳の

 

自画像である。

 

 この時、節子はお腹に小さな命を宿していました。

 

世間体を重んじる当時にあって、結婚前の娘が身ごもる

 

とは、あってならない一大事でした。相手は同じ絵の

 

仲間として知り合った三岸好太郎でした。

 

 可憐さの中に勁さがある素晴らしい自画像だと思う。

 

でまあ、天才肌の画家三岸と一緒になり、子供を三人

 

授かるが、絵に描いたような破滅型の天才は、結婚後

 

も女遊びを続けて三十過ぎたあたりで死んでしまう。

 

 ああ、面倒くさい。その後、節子はフランス帰り

 

の画家と結婚するが五年後離婚。フランスに渡り

 

画家として大成する。という苦労話。

 

小倉遊亀(1895~2000)

 

 フランスの印象派や象徴主義のゴッホに浮世絵など

 

の日本画が影響を与えたと常套句のように言われるが

 

セザンヌは興味なしだったし、ピカソは嫌いだった

 

ようだ。よく覚えていないが、人間の内面を現して

 

いないというのがピカソの弁だったと思う。

 

 僕に関しては、日本画は上村松園くらいしか知らない

 

確かに日本画って奇麗だが、それだけで何も描いてない

 

かもしれない。と思っていたが、小倉遊亀の絵は違った。

 

 

 

 

 

  二枚ともアプローチの方法が洋画と変わらない。

 

 この人の生涯も変わっている。

 

  遊亀はゆきと呼ぶ。亀が手足をゆったりと動

 

かし遊んでいるような、大らかな人生を歩んでも

 

らいたいと父親がつけた名である。

 

 父親は土木関係の役人、単身満州に渡り、母子は

 

母の実家で暮らす。幼いころから絵に長じていた。

 

女子美大への進学を進められるが、奈良高等女子師範

 

に進学。総代卒業。教師の職を得る。25歳で日本画家、

 

安田靫彦に師事。31歳で院展に入選。37歳、日本

 

美術院同人。

 

 ここら辺りまでは普通だが、43歳の時、山岡鉄舟

 

の高弟、小倉鉄樹(1865~1944)当時73歳と結婚

 

した。

 

 絵とは形を写さず感動を描くことと心得ていた

 

遊亀にとって、それはすなわち人間としての修行

 

の道でもありました。人間として真実に近づこう

 

とする気迫が、いい絵を生むとわたしも思います。

 

絵の上での師と共に、彼は精神修養の師を常に

 

もとめていました。その修行の道で彼女は山岡

 

鉄舟門下にあった小倉鉄樹と出会います。

 

 なんだけど、73歳の人と普通は結婚しない。

 

結婚生活6年、79歳で鉄樹は死去する。

 

 この本は青少年向けであるから、詳しく

 

書いていないが、俺のような人間には変じゃね

 

という記述にぶつかる。鉄樹が亡くなった後、

 

五十を超えて小説家を目指す東大生、典春を

 

養子に迎える。そうなった事情は一切、

 

記述なし。

 

 俗な視点だと男女関係あったのか、だが

 

そうでもなさそうだ。なんで孤児でもない

 

東大生が養子になったのか。多分、昔、

 

旧家名家にあった家督をつがせるためだろ

 

うか。ネットを調べても小倉遊亀に兄弟が

 

いたか否か分からない。

 

 養子と養親の仲はとてもよく、典春は

 

結婚しても同居。なんか気持ち悪いけど

 

ね。子供も四人生まれ、実の孫のように

 

接する。なんか無理矢理、聖家族を作り

 

あげた気もしますがな。

 

 こののち若い夫婦には、新しい命が

 

次々と誕生、遊亀は四人の孫に囲まれ

 

ます。小倉家はこれまでにない賑やか

 

な声につつまれました。(略)この頃

 

描かれた家族像の一つに「径」があり

 

ます。

 

  

 「径」

 

 確かにいい絵だけど、なんだかねえ。

 

 1992年、典春は64歳で癌で死去。遊亀この時、97歳。

 

悲嘆のあまり五年間、筆を断つ。1997年、102歳で「

 

マンゴウ」を描き復活する。

 

  

 「マンゴウ」

 

 その後、2000年105歳で死去。

 

 ぶっちゃけ言うと、あんまり大した感想はなか

 

った。実子でもないのに亡くなったら筆を折ってし

 

まい、さらに病に臥せってしまったというのは俺のよ

 

うなひねくれた人間には信じがたい。

 

 成人した人間に「親」」って必要とは」思え

 

ないし、そんなに容易く親子の絆が形成される

 

んだろうか。

 

 画家は長生きというのは分かった。