詩的乾坤 | やるせない読書日記

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 乾坤とは辞書でひくと、①天地②陰陽③いぬい(西北)ひつじさる(東南)とある。詩的乾坤というと


どういう意味になるのかよく分からない。奥付けを見ると昭和49年(1994年)刊行で昭和43年から


昭和49年までに雑誌等(半分くらいは「試行」)に掲載されたものを収録。吉本が44歳から49歳まで


の著作であり、「共同幻想論」は1968年に上梓され、初期から中期の吉本の仕事が完成し、時代は


連合赤軍事件の勃発により新左翼運動が飽きられ始めた頃で、吉本隆明の絶頂期ではないかと思う。


 この本、若いころ読んでまた再読。晩年、文章に緊張感がなくなってしまうがこの頃はキレがある。


何回も書くのだが、私は吉本の「共同幻想論」や「言語にとって美とは何かを下地になっているマルクス


やヘーゲル等を読解してから読んでみるという正統派読者ではない。(一回、ヘーゲルの入門書を読


んだが、難しくて挫折してしまった)まあ雑文や短い文章でその人となりや思想を勉強させていただく


とういう読書ではある。


 自分の分を考えてそれでいいんじゃないかと思う。この歳で無理をしてもしょうがない。


 この本には最初、「試行」掲載の「情況への発言」が収録されている。三島事件の感想などから


三馬鹿罵倒までである。まあ言い過ぎといったところもあるが羽仁五郎(確かにインチキな奴で、もう


こんな奴の書いたものなんか誰も読まないが)に対する批判なんかは的を得ているし、吉本がいなか


ったら、大学解体を叫んで後にはちゃっかり大学教授になってしまうような人種がのさばって「新左翼


運動」はお終いになっていただろう。


 三島より吉本は一つ上だが確か学年は同じ、「共同幻想論」をだしたころはまだ特許事務所に勤務


して二足のわらじをはいていた。筆一本の生活になるのは三島が天馬空を行くような文学的営為を


なし終えて自裁してからなのだ。46歳からだから遅咲きと言える。まあ文壇とか出版業界とは別個に


「試行」という自家出版を発表の場として知る人ぞ知るという人であったのだ。インディーズの帝王ヨシ


モトリュウメイがいよいよメジャーデビューしたのが1970年代になってからだ。この本にはメジャー


にはないパンクっぽい殺気がある。でまあ20年、トップをはって「アンアン論争」や「ハイ・イメージ論」


などでトンデモ化してくるのが1990年ころからだろうか。


 吉本は人格的にもごくごく健常の人といえる。三島由紀夫や谷崎潤一郎、川端康成を鑑みると作家


はどっか変なところが作家たる必須の条件だと思えてしまうが、(例えば何かの欠損が彼をして文学や


思想に向かわせるような気になるが)吉本の場合、地味な普通のオヤジで知的な渇望だけがが吉本を


文学的営為に駆り立てたように思える。


 でまあ、この本で何が面白かったかというと「実朝論断想」でめったに語られることのなかった母親


について記述され、それも多くのごくごく普通の健康な母との関係であったことが了解される。そして


今では身辺雑記ばかり書いている吉本だが(私は吉本と澁澤だけは自分の幼年時代はどうのこうの


家族はどうのこうのだけは絶対に書かないとおもっていた)その当時はそんなもの書いたことがなくて


「わたしが料理を作るとき」という短文を読んだときは少し驚いた。


 これは吉本の細君が体の具合が悪く、吉本が家事をおこなっていっておもしろくもなんともなく、ただ


淡々と日々、仕事として料理をしているという出だしからはじまり、「ある固有な感情をよびさまされる」


レシピを紹介している。


(一)ネギ弁当


 (イ)かつ節をかく。カツ節は上等なのを、むかしながらの削り箱をつかってかく。


 (ロ)ネギをできるだけ薄く輪切りにする。


 (ハ)あまり深くない皿に、炊きたてのご飯を盛り、(ロ)のネギを任意の量だけ、その上にふりまき、


   またそのうえから(イ)のカツ節をかけ、グルタミン酸ソーダ類と醤油で、少し味付けして食べる。


その他、ソース・じゃが芋煮つけと白菜・にんじん・豚ロースみずたきが紹介されている。


当時、料理なんて私は作ったことがなく吉本がまさか料理をつくるとは思わず、こういいう身辺雑記も


新鮮な印象を受けた。グルタミン酸ソーダ類とはなんだろう、今でも分からない。


 グルタミン酸ソーダ類。



如何にも吉本らしい。