女生徒 | やるせない読書日記

やるせない読書日記

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太宰治は昭和23年(1948年)6月19日に山崎富栄と入水自殺した。三十九歳だった。


それ以前にいくつかの習作はあったが二十四歳の「列車」「魚服記」「思い出」から


職業作家としてデビューしてから十五年生きて死んでしまった。十五年であるか


ら短い作家生活であるが、停滞期も特になく作家を全うして果てた。


太宰について云々するのは資料を調べたりするのがシンドイので今回やらないが、年譜を


見ると太宰の自殺、心中の企ては意外と少ない。1929年、20歳の東大在学中にカルチモン


で自殺を図る。次の年、1930年に田部シメ子とカルチモンを飲み入水。自分だけ生き残る。


1935年、26歳鎌倉で縊死を計るが失敗。1937年、28歳 カルチモンでの心中を小山初代と


計るが失敗。そして1948年、39歳のときに山崎富栄と入水して心中。やっと自殺に成功する。


都合、自殺2回。心中3回である。もっとも公にならなかった自殺未遂もあるかもしれないが。


まあ、それでも大半の人間が自殺しないからこの数字は多いかもしれない。


昔、奥野健男が太宰治の第一人者で自殺やデカダンを時代相や出自を反映した論理的なもの


として捉えていた。しかし家が富裕なブルジョワ階級でどーのこーのでそんな事で死ぬ人なんか


いない。文芸批評が進歩しフロイトのように精神分析的な要素が参入してくると吉本のいう


ように幼児期の母の不在(愛情の不在)が太宰をして生きることが困難なあるいは「生から死への


移行が簡単な人間」として成立せしめたのだという仮説が説得力を持ってくる。


自殺の衝動は生理的、病理的なものとしたほうが妥当だ。


常人ほど生に執着がなく死に対する恐れがない人間でなければ、二三日前に知り合った女給と


服毒自殺を図りその後自分だけのうのうと生き続けられるものでもないし、普通は作家としてや


っていけないだろう。


太宰にとって文学は自分が健常の人間のように生きるための手段だったと思われる。小説を書くこと


によって「人間」に参入しなければもっと早く死んでいただろう。


奥野健男は太宰の文学活動を以下のように三期に分けている。


前期は昭和8年から12年まで、24歳から28歳、作品は「思い出」「道化の華」「晩年」「二十世紀旗手」


中期は13年から20年の終戦まで、29歳から36歳、「富嶽百景」「女生徒」「新ハムレット」「津軽」


「お伽草紙」後期は戦後昭和21年から23年の死まで、37歳から39歳。「斜陽」「ヴィヨンの妻」「人間


失格」。太宰の文学活動は結局は「人間失格」に収斂されついには自殺してしまうが、中期は比較的


安定した時期であり、作品も穏やかなものが多い。


「女生徒」は1919年生まれの有明淑という太宰のフアンの女子学生から日記(三ヶ月間のもの)を


提供され、それをもとに太宰が小説化したもの。太宰は見事な筆致で三ヵ月の日記を五月になった


ある一日にコンパクトに仕上げている。


有明淑が19歳の時の日記で、僕はずっと「女生徒」は高校1年生、16歳くらいの少女と思っていたが今


で言えば女子大生なのだろうか。


ちなみに「女生徒」が通う学校は大塚に移転する前の「御茶ノ水女子大学」である。家に松坂屋からの


ダイレクトメールが届く中産階級である。


しかし「女生徒」の処女性と純潔はいまの女子大生には望めないものだ。


有名な話なので詳しくは書かないが、コケテッシュな文学少女の一日を綴ったもので非常によくでき


ている。高校生の頃、読んだ時は解らなかったがこの小説のディティールは三十過ぎの青森から


出てきた男では書けない。放課後、パーマ屋にいく場面があり確かに16歳くらいでは当時、ありえない


ことでやはり19歳の女性でなければおかしい。


高校の初読の時はよくこんなにも哀しみを描けるなという感想だった。吉本隆明の「異神」という詩に


メロンの匂いのような寂しさというフレーズがあったが、メロンの匂いのような哀しみと言い換えることが


できる例えようもない哀しみに満ちている。今、読みかえしてもその感想は変わらない。


有明淑の「日記」を読んだことがないのでこの小説に満ちている哀しみはネタ元である「日記」にあるの


か太宰の創出したものであるかは解らないが、太宰独特の田舎臭さが鼻につくがこの「女生徒」の生きて


いく上で必然的に甘受しなくてはならない哀しみに戸惑ってしまう。


大きな哀しみは父の喪失であって、数年前にこの家では父を喪い、姉は結婚して家を出て母と女子大生


である主人公と二人で暮している。


様々な事象は父の喪失という悲しい出来事に収斂されていく。


 (略)お父さんいない。やっぱし、お父さんがいないと、家の中に、どこか大きい空席が、ポカンと


 残って在るような気がして身悶えしたくなる。和服に着替え、脱ぎ捨てた下着の薔薇にきれいな


 キスをして、それから鏡台のまえに坐ったら、客間のほうからお母さんたちの笑い声が、どっと


 起こって、私はなんだか、むかっとなった。お母さんは、私と二人きりのときはいいけれど、お客


 が来たときには、へんに私から遠くなって、冷たくよそよそしく、私はそんな時に一ばんお父さん


 が懐かしくなる。


  


 (略)こないだもお母さんは、「もうこれからさきは生きる楽しみがなくなってしまった。あなたを見たって


 私は、ほんとうは、あまり楽しみを感じない。ゆるしてお呉れ。幸福も、お父さんがいらっしゃらなければ


 来ないほうがよい」とおっしゃった。


これは、人間にとって避けられない大きな哀しみだろう。



「女生徒」にはしたたかな面もあり、下着に薔薇の刺繍をしていたり二匹いる犬のうち片輪の犬にかわいそう


だからカアと名付けてつらくあたったり、不潔な女を殴ってやりたいと思ったりする。


しかしそれにしても母親のために19歳の女の子が「クレオ」を朗読してやったりと70年もたつとかくも


人間の情緒が変わるのには驚いた。


だが後、百年ぐらいは人間は太宰の小説に心を鷲づかみにされるだろう。


太宰に否定的な心証をもったとしても。