昨日の夜は永山則夫の小説を読む。一時、無期懲役になってから自伝的小説を何篇か書いている。
連作のように時系列で幼少時代、小学校、中学校、中学卒業後と書き綴られている。永遠に報われる
ことのない彷徨である。しかし殺人のことは書いていない恐らく書けなかったのだろう。多くの人が云う
ように永山は小説には才能があったかもしれない。排泄の場面がやたら多いだけで病理的に歪んだ
ところは見受けられない。むしろ寺山修司のほうが犯罪者的な語り口である。であるが、四人も人を
殺した人間が文章を書き、「作家」とか言われていたのもどうかと思う。永山の大好きな「社会主義」
だったら獄中の人物が体制批判の本を出版するなんてありえないだろう。つくづく我々の国は度量の
ある国だと思う。もっとも誰も永山の言うことを本気にしていた人などいないだろうが。
犯罪を無くしたかったら子供をぞんざいに育てなければいいと思う。アメリカでは朝食まで学校で食べる
ことができるそうだ。母親が朝食作るのを放棄するようになったら日本はもっと殺伐としてくるだろう。
まあ結構、早く来るかもしれない。めんどくさいもんね。
それはそれとして今日は図書館で本を読むはずだったが、10時頃から晴れたのでまた物置作り、
失敗続きで今日もできない。結局、俺の提案したかたちに落ち着く。はじめからそれでやればもう
終わっていた。えらい材木を損した。なんかどっと疲れた。