サドは有罪か         ボーヴォワール | やるせない読書日記

やるせない読書日記

書評を中心に映画・音楽評・散歩などの身辺雑記
礼儀の無いコメントは控えてください。そのようなコメントは
削除します。ご了承ください。

団鬼六に「蛇の道は」という自伝がある。SMの大家として有名な団ではあるが、文中意外な事に自のサディズム


についてはほとんど言及していない。少年時に衝動的に友だちを川に突き落としたことがあるのと、和服の


令夫人と話していたら加虐的な妄想が頭に渦巻いて勃起してしまった。というものだけだ。後はごく普通の人間


としての人生があるだけで、サディズムは一つの性癖にしか過ぎないのだ。人格的にも団鬼六はなんら陋劣な


ところはない。サド侯爵の場合も同様で四六時中そんなことばかり考えていたわけではないだろう。時々、SMパ


ーティを開いたり、娼婦相手に変態プレイを楽しんでいたとしても子供も三人いたし普通の人間としての生活があ


っただろう。騎兵隊の将校として仕事に従事し、時々不道徳な性を楽しみ下手な戯曲でも書いていればフランスの


田舎貴族として一生が終わり、歴史にも残ることはなかったが、幸か不幸かサドは捕まって牢獄に入れられた、


牢獄という日常生活のないところでは畢竟、非日常的な妄想が跋扈せざるをえない。かくして閉じ込められた逆恨


みと己の変態性欲の捌け口の昇華としてとんでもない文学と文学者が誕生することになる。


団鬼六は自分の風変わりな性の趣味を満足させるために小説を書いたので、いわゆるズリネタ小説であって哲学


がどうのこうの思想がどうのこうのこ難しいことは誰も言わないがサドの場合はどうもそうはいかない。澁澤龍彦は


じめとしてボーヴォワール、ロラン・バルト、ジャック・ドゥルース、ロラン・バルト、モリース・ブランショ等々が論じて


いるものすごい文学であるのだ。僕の何冊か大家の書いたサドについての評論を読んだのだが、それはそれで


大したものだとは思うが、単なる読書としてサドはどうかというとまあどうなんでしょと思ってしまう。情景描写は稚拙


であるし自然や性欲は根本的に破壊、嗜虐、悪が本質であると言われてもねえ。どの小説だったが忘れてしまっ


たが近親相姦で子供を生んでまたその子供と性交を交わすというパズルのような場面があった。人間の存在を


性による繋がりに純化してしまうというアイデアは面白いが気持ちが汚れるような読後感がある。サドの監獄生活は


大きく分けて二回ある。マルセイユ事件等の変態性欲の実践(今ではSMクラブで行なわれている程度のもの)に


より度々、世間をさわがせた不始末と妻の妹までに手を出したことに腹を立てた妻方の母親に手を回されての


捕縛。これは三十八歳から五十歳までの十三年であり、膨れ上がった性的妄想、義母、世間への恨み、怒りの発露


としての奇妙な文学が生みだされたのだ。生前には刊行されなかった「ソドム百二十日」「ジュスティーヌ」「アリーヌ


とヴァルクール」その他短編が執筆されたが、獄中では無論のことサドの書いたものが出版されることはなかった。


フランス革命でサドは牢獄から解放されるがすでに五十歳で妻から離婚され、劇作家としても当たらず貧窮した状態


のなか出版されたのが「ジュスティーヌ」でありエロ本としてかなり売れた。ここで重要なのはサドが「ジュスティーヌ」


を穢れた作品とよんでいることだ。後世、聖侯爵とか云って祭り上げられたが、自分でもけがらわしいと言わざるをえ


ない代物であることは確かだ。二回目の捕縛は六十歳のときで「ジュスティーヌ」の作者として精神病院に入れられて


しまった。本人も捕まるときに「ジュスティーヌ」の作者であることを否定した。「家畜人ヤプー」の作家が正体をさらさ


ないようにこの小説の作者であるとは恥かしくて言えない。多分、牢獄にでも入れられて後先考えられない状態でも


なければあんなひどいものは書けないのではないかと思う。


長い前置きになってしまったが、この本は実存主義の皇太后、シモーヌ・ド・ボーヴォワールがサドについて書いたもの


1961年、現代思潮社刊行で当時の値段が300円だがアマゾンで1500円だった。これは余計か。


自分の力量ではボーヴォワールの言っていることを理解するのはかなり難しい。


  しかし、彼はまさしくどこに位置するのか。われわれの関心をひくだけの価値はなんにあるのか。サドの賛美者


  たちでさえ、サドの作品は大部分が読むにたえないものであることを、たやすく認めている。哲学的に見ても、そ


  の作品が月並みを脱しているのは、支離滅裂に韜晦しているからにすぎない。彼の淫蕩に関していえば、それが


  人を驚かすのは、その淫蕩の特異さによってではない。この領域では、サドはなんらの発見もしなかったのであり


  精神病理学の論説のなかに、サドのものと同程度に異様な場合は、やたらとお目にかかるのである。事実、サドが


  こんにちわれわれの注意をひくのは、作家としてでも、性的異常者としてでもない。それはサドが彼自身のこの二つ


  の面のあいだに創造した関係によってなのだ。サドの異常さは、その異常さを生まれつきの性質として耐え忍ぶの


  ではなしに、自分のものとして主張するために、サドが巨大な体系を仕上げるその時に価値をあらわす。


何箇所か難解なところがあるがサドの作品は大部分が読むにたえないものであるというのは確かだ。そして、自分


もしくは自分の異常さを認めさせるために巨大な体系を作りあげるというのは慧眼ではある。サドは、その精神生理学的


な宿命を、一つの倫理的な選択に変えようと試みた。のである。そしてサドは了解不能な物語を我々に理解させようと企て


ているのである。


ボーヴォワールの論考は縷々続くが今のところ理解できるのはここら辺までである。