いづれ勉強して吉本隆明の「マチウ書試論」まではどうにか自分なりの書評を書いてみたいと思っ
ているのだがどうなることやら分らない。前にも書いたけれど吉本は自叙伝や身辺雑記の類を絶対、
書かないと思っていた。例えばランボーが自伝を書いたらしらけるだろうけどそれと同じ理由だ。まあ
それはいいとして吉本の一つの特徴として今の言葉で言えばインディーズから成り上がった作家と
言える。換言すればフリーターやりながらブログでシコシコ(こんな言葉死語か)やって大学などの
正統派の学問を凌駕し自己の思想を構築した人物なのだ。ミッシェル・フーコーが来日した時、結局対
談したのは大学で哲学を研究している学者ではなく吉本だった。色々な伝説が流布されているが記録
的な事実としては昭和22年23歳で「新聞広告でスリープ(電線塗装)をつくる町工場につとめたが、そ
こでの過酷な労働条件は三か月しか身をもたせなかった」なんだだらしないな。それから「硬化油をつ
くる小企業に就職し労働組合を作り職を追われる。この間約一年半。25歳で東京工業大学の大学院
に戻り27歳で修了。(昔、僕はそこがどんな処かとまだ見ぬ聖地のように想いめぐらした)東洋インキ
製造株式会社青砥工場に就職。31歳まで勤務し労働組合を指導し詩や評論の執筆を続ける。31歳
で退職。企業側が懐柔のために重役秘書の職を提示したというが風聞らしい。同年結婚。昭和32年、
33歳の時に東工大教授遠山啓の紹介で特許事務所に就職。37歳で「試行」刊行。46歳(1970年、
同学年の三島が文学的生活を終えて自殺した年だ)でやっと特許事務所を辞め文筆一本での生活と
なる。いろいろな悪口は言える。貧乏人の倅だとかいって大学まで行って頼まれもしないのに組合
運動やってこけたら大学院にもどってそこでも失職したら大先生の紹介で週三日勤めればいい
特許事務所なんかに就職して結構いい稼ぎがあったらしいではないか。大衆、大衆って言うが
能無しで食い詰め者の生活とは違うではないか。などは意味のない悪口なのだ。オーソドックス
に大学で学ぼうが在野で独学しようがどうでもいいことだ。(大学で研究したほうが師匠もいるし
資料もあるし基礎的な勉強方法も確立してるだろうから学びやすいと思うが)吉本が偉いのは
一つの事柄を究明するのに百の文献をあたるという作業を行なったことだろう。これは中々で
きることではない。主要作品の発表を辿ってみると、26歳から27歳までに「吉本隆明全著作集
初期詩篇1・2」に掲載された詩を約1000編を書いていた。27歳で「固有時との対話」私家版
28歳で「転位のための十編」、30歳で「マチウ書試論」、35歳「芸術的抵抗と挫折」「抒情の
論理」、38歳「擬制の終焉」そして吉本の兼業作家として時代の記念碑的作品「言語にとって
美とはなにか」が41歳だ。親から見れば大学なんかに行かせたお陰で詩をかいたり組合運動
をやったり三十過ぎてもまともな勤め人にもならず同人誌なんか出している困った息子だった
のだと思うが。大体今でこそある程度、売れるだろうが吉本の作品のラインナップを見ればと
ても一般受けするとは思われない。四十半ばまで兼業しなくては生活できなかったのは頷ける。
37歳で刊行した「試行」も画期的な出来事といえる。当初は村上一郎、谷川雁、吉本の三人で
出版された読者の直接購読による出版である。大手出版社やスポンサーを持たず、全く自力
での表現活動基盤を形成した。インディーズレーベルのようなものであり今だったらブログに
書き続けただろう。そこで吉本は「言語にとって美とはなにか」を書き続け多分、マルクスがやり
通さなかったある分野についての考察を続け(そうだと思う。この本は読んでもさっぱり分らなか
った)充分な達成を得たのだったが、このことは僕にスタイルはどうであれ中身がしっかりしてい
れば一定の成功を勝ち取るのだということを教えてくれた。ただの読者の定期購読による雑誌に
執筆したものが世界的な思想水準にまで達したのだ。もっとも「試行」は三島由紀夫も購読して
いたものだが。吉本は論争(論争というよりもボロクソにこき下ろすレベルだが)を多くした。それは
徹底していて死んだ人まで論敵になればボロクソだった。吉本と埴谷が仲違いして論争したとき
埴谷に「自分以外はみんな馬鹿よばわりするのはやめろ」と言われたくらいだった。
これはブログなんかの中傷合戦やろくに読みもしないでくさすだけの批判とは違い読むべきもの
は徹底的に読んで(それが当たり前なのだが)論戦を挑むんでいたところが違う。僕なんかも若い
頃、吉本の受け売りでわかっような顔をしていろんなことをこばかにしていたが今考えると恥ずかしい。
論駁について吉本は面白いことを書いている。
やがていつの間にかとうとう、書き言葉で喧嘩する商売にすべり込んでいたのである。
幾たびか言葉の白刀の下をくぐった経験からいえば、書き言葉の喧嘩にはひとつの
公理系が見つけられる。
(1)論理によって反駁できない論理はありえない。どんな完璧にみえても論理には、
きっと欠陥が見つけられるものだ。これはゲーデルの不完全定理とは関りなく見
つけられたものである。
(2)相手の弱みをにぎったとおもうときが、じつはいちばん隙ができる機会で、危ない
ときである。
(3) 略
(4)書き言葉は文字でのこってしまうし、また声を抑圧しているために、腕力沙汰や
しゃべり言葉の喧嘩にくらべていっそう深く傷を与え、また傷を負う。私みたいな
ものがいうと、噴きだして笑う者がいるかもしれないが、できるなら書き言葉の喧嘩
はしないほうがいい。するときはいつもいやいやながら受身で、だが本気になってや
れ。
【佃ことばの喧嘩は職業になりうるか】
なるほど大したものだ。