背景の記憶 | やるせない読書日記

やるせない読書日記

書評を中心に映画・音楽評・散歩などの身辺雑記
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吉本隆明はこの本で主に自分の身辺のこと少年期、青年期について語っている。色々な主題が


あるが多くの人は吉本の出自の階層に対するほろ苦い感慨をかぎ分けることができる。ようする


に自分の階層から乖離した人生を送っている人間だという多少居心地の悪い意識である。せんじ


つめれば佃島の食い詰め船大工の倅が詩を書いたり文学を論じたりする人間になってしまったこ


との負い目のようなものか。この感慨は僕には良く分らない。現在のように階層に関する差異があ


まりない時代では発生しえない感覚のような気もするが。例えば、僕は東京の街を散歩するが自分


が懐かしい感じに浸れるのは谷中や本郷よりももっとすがれた情緒のただよう浅草、千住、青砥


三河島といった地域であり、世田谷区や杉並などは歩いて面白いが自分の街ではない感じがす


る。これはまあ僕の生まれが板橋区なのでで閑静な住宅地よりモール屋根に覆われた下町の商


店街に愛着を覚えるのは自分が子供のころから慣れ親しんできたものだからだろう。だが吉本が


随筆で書いたり芥川龍之介に仮託して論じた「階層意識」を醸成させるほどのものではない。


  やがて小学四年生を終わった頃、親たちがどこからともなく、そんなに遊びほうけていては


  上級学校へいけるものではないというようなことを聴き込んで来た。担任の張り切った先生


  は、本校は東京二十三区の小学校では学業成績程度が最下位にあるといっていいと、親た


  ちにガリ刷りの通信を渡して、発破をかけはじめた。わたしは五年生になると早速、親たちか


  ら知り合いの先生の私塾に行けといいつけられた。なぜ素直に応じたのかよくわからない。


  勉強机とか勉強部屋などという気のきいたものはなく、宿題は畳に腹ばいで片付けるとい


  った環境だったから、親はとくに受験を意識したわけではなく、人並みに勉強しろという意味


   で塾に追い払ったのかもしれない。


  わたしはあの独特ながき仲間の世界との辛い別れを体験した。別れの儀式があるわけでも、


  明日からてめえたちとは遊ばねえよと宣言したわけでもない。ただひっそりと仲間を抜けて


  ゆくのだ。もちろん気恥ずかしいから勉強に行くんだなどとは口に出さない。すべては暗黙の


  うちに了解される。昨日までの仲間たちが生き生きと遊びまわっているのを横目にみながら


  少しお互いによそよそしい様子で塾へ通いはじめた。わたしが良きひとびとの良き世界と別れ


  るときの、名状しがたい寂しさや切なさをはじめて味わったのはこの時だった。これは原体験


  の原感情というべきものになって現在もわたしを規定している。


                                                     「別れ」


  吉本隆明は大正十三年(1924年11月25日うまれで翌年昭和に元号が変わり昭和に一つ


  足せば吉本の歳になる。そして生まれは佃島という所謂下町というよりもっと辺境の貧しい


  地域ということになる。今では伝説になってしまった深川門前仲町の今氏乙冶の私塾に吉本


  は通いはじめ「良きひとびとの良き世界」の住人とはことなった路を歩きはじめる。吉本の異端


  意識は詩の中では次のように唄われる。



    少年時


  くろい地下道へはいってゆくように


  少年の日の挿話へはいってゆくと


  語りかえけるのは


  見しらぬ駄菓子屋のおかみであり


  三銭の屑せんべいに固着した


  記憶である


  幼友達は盗みをはたらき


  橋のたもとでもの思いにふけり


  びいどろの石あてに賭けた


  明日の約束をわすれた


  世界は異常な掟てがあり   私刑があり


  仲間外れにされたものは風に吹きさらされた


  かれらはやがて


  団結し  首長をえらび  利権をまもり


  近親をいつくしむ


  仲間外れにされたものは


  そむき  愛と憎しみをおぼえ


  魂の惨劇にたえる


  みえない関係が


  みえはじめたとき


  かれらは深く訣別している


  不服従こそは少年の日の記憶を解放する


  と語りかけるとき


  ぼくは掟てにしたがって追放されるのである




また別の詩では俺はただ生きて結婚して子供を生んで死んでいくだけの生活が怖ろしいと独白し


ている。書くことは他の人間(吉本の場合は出自の階層からの離脱)との乖離を招くほどのもので


あるか僕には良く分からないが、「芥川竜之介の死」で吉本はこの問題を痛切に突き詰めている。


「芥川竜之介の死」は昭和三十三年、吉本が三十四歳の時に書かれた。やや性急ともいえる筆致


の論稿ではあるが芥川の自殺に対するひとつの見解として説得力はあると思。


芥川の文学的な原質が「ひょっとこ」や「大川の水」のような下町の情緒に密着したものでありなが


ら作家としてはそれらを捨て「形式的構成」よる作品群、「羅生門」「鼻」「孤独地獄」「父」から「手巾」


「戯作三昧」「或日の大石蔵之助」など芥川の本領として評価されている作品は



   かえって、芥川が自己の作家的資質を捨て、おそらくは出身コムプレックスに促されながら


   爪先立って人工的な構成の努力を支えた苦痛な作品であった。



としている。そして芥川の文学的な死は


   

  芥川竜之介は、中産下層階級という自己の出身に生涯かかずらった作家である。この


  出身階級の内幕は、まず何より芥川にとって自己嫌悪を伴った嫌悪すべき対象であった


  ため、抜群の知的教養をもってこの出身を否定して飛揚しようとこころみた。彼の中期の


  知的構成を具えた物語の原動機は、まったく自己の出身階級に対する劣等感であった


  ことを忘れてはならない。かれにとって、この劣等感は、自己階級に対する罪意識を伴


  ったため、出身をわすれて大インテリゲンチャになりすますことができなかった。また、


  かれにとって、自己の出身階級は、自己嫌悪の対象であったために「汝と住むべくは


  下町の」という世界に作品的に安住することもできなかったのである。芥川はおそらく


  中産階級出身のイテリゲンチャたる宿命を、生涯ドラマとして演じて終わった作家であ


  った。彼の生涯は、「汝と住むべくは下町の」という下層階級的平安を、潜在的に念じ


  ながら、「知識という巨大な富」をバネにしてこの平安な境涯から脱出しようとして形式


  的構成を特徴とする作品形成におもむき、ついに、その努力にたえかねたとき、もとの


  平安にかえりえないで死を択んだ生涯であった。



芥川が死んだのは1927年で吉本が三つの時だった。芥川は明治25年、吉本の生まれた


佃島の対岸、今の聖ロカ大学病院の大きなビルがあるあたりで生を受けた。繰り返して言えば


今日に芥川竜之介の悩みや吉本の掟にしたがって追放されるという意識が存在するのだろうか


という疑問が僕にはある。階層意識というのは希薄なのではないかと思うが、ちゃんと勉強した


わけではないので何とも言えないが。僕は高校生の時、初めて小田急線に乗った。(なんの用


で乗ったのか全然、覚えていないが。)東上線と違い駅員の制服も立派で車内もきれいだった。


そして経堂あたりで乗ってきた上品そうなおばあさん二人が語尾に「ざます。」「ざんす。」とか


つけて話しているのに驚いた。階層というものが存在し方言まで形成していたのだ。いまどき


ザンス言葉なんて漫画の中でも見ることができない。三島由紀夫は1925年1月14日生まれ


で1924年生まれの吉本とは同学年である。三島由紀夫の作品を見ると自分の階層の人間は


生きいきと活写しているがロウアークラスの人間はなんか犬とか猫とか別の生き物のような描き


方をされている事がある。(それで三島はプチ・ブル的だとか駄目な表現だとかいうつもりはない)


例えば「美しい星」(昭和三十七年)で金星人である暁子はお汁粉の小豆を近くの雑貨屋に買い


にいくとそこで底意地の悪い仕業にあう。


 村田屋は林檎箱や蜜柑箱を並べた上に板をわたし、季節の果物や玉葱や馬鈴薯や、漬物、


 沢庵、紅生姜、煮豆、駄菓子、チューインガム、即席カレーなどを並べて、夏の間にはアイ


 スクリームも売っていた。低い目覆のためにほの暗い店内は、色さまざまな漂流物に充ちた


 河口の澱みのような、重苦しい匂いを放っていた。



僕は下町の雑貨屋など雰囲気が好きだが三島にかかると随分汚いものにされてしまう。「河口の


澱みのような、重苦しい匂い」というのは見事ではあるが。



  暁子の白い顔が日覆のわれ目からのぞいて、澄んだ美しい声でこう言った。


  「あの、小豆あります?」


  「ああ、お嬢様、毎度どうも。小豆は丁度、極上のがございます」と奥からおかみさんが


  言った「どのくらい差上げましょう」


  「五合ですって」


  太郎は毎度ながら、美しい暁子のために、質や量目をごまかすことに生甲斐を感じた。


  この少年は、彼女にきづかれぬように騙すことで、却って秘密を頒ったような気持ちに


  なり、自分のにきびに対する絶望を、こんなけちくさい悪意で埋め合わせている気にな


  っていた。そして暁子の顔を見るたびに口吟む歌を、口の中で不明瞭に歌いながら、


  小豆を量った。


  ・・・・・・どうせ叶わぬ恋だもの


  おいら、マドロス浮寝鳥


   ーーーこうして暁子はしいなだらけの小豆を、一合三十円で売りつけられ、その上


  たのみもしないのに、粒の揃わぬなめこの缶詰を、倍値の二百円で押しつけられた。



家族全員が宇宙人という突飛な設定ではあるが、随分と貧乏人をひどい連中として描いている


じゃないかと感じる。他にも似たような感じで貧乏人が不意にこんな感じで三島の小説に顔を出して


くる。確かに雑貨屋の小僧と「お嬢様」の間には確固した隔てがある。今日、雑貨屋は少ないし


スーパーの店員が金持ちのお嬢様にしけた小豆を売りつけることはしない。しかしある年代まで


は階層を意識する社会的土壌があったのかもしれない。


何か取りとめなくなってしまったが、その他の感想としては母親の死に際しての記述が文学的な


粉飾を伴わず僕たちが実際に経験するやりきれなさと悲しさと同じレベルで語られているのが興味


深かった。それにしても吉本は思想や詩に手を染めなかったらどういう人間になっていたのか。工場


勤めの「おやっさん」にでもなっていたのか。それは到底、考えられることではない。 どういう経路を


経ても吉本は吉本になったと思う。