祖父と曽祖父の軌跡 | 自分に正直に生きていこう

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紆余曲折ありましたが、バレエの講師をしています。
日々感じたことをカッコつけず正直に、日記として残そうと思って書いているブログです。

さて今回も母が実家で断捨離中に出てきた写真やらを色々見せてきたのだけどキョロキョロ


まずコレは旅券かなあ?

よく分からないけど



1910年アメリカ生まれの母方の私の祖父
カズオじいちゃん

上の写真は、1925年4月14日に15歳で日本に帰国するという書類かなあキョロキョロ ほぼ100年前〜
サンフランシスコ港から横浜港までタイヨウ丸に乗ります的な事書いてある





おじいちゃんはアメリカ国籍を持ってたのだ



それからおじいちゃんのお父さんとお母さんのもあった泣き笑い

つまり私の曽祖父と曾祖母






1905年6月3日にカナガワ丸でやってきた?
カリフォルニアのマウンテンビューという街に住んでいた
同じく1925年に帰国
音吉じいちゃん
同行者は妻イツヨと娘と息子2人となっている
、、、多分キョロキョロ

上の娘2人?は現地でもう結婚してたから帰国しなかったみたいだけどキョロキョロ



音吉じいちゃんはサンフランシスコで日本人学校の校長先生をやってて
結構何度も日本とアメリカとを行き来してたそうだけど



そんな音吉じいちゃんの子供時代の教科書?写本?


算数の文章問題かなあキョロキョロ
明治17年だって
全部和紙に墨で手書きだった

先生になるくらいだからきっと級長とかやってたんだろうなあ〜知らんぷり知らんけど



それから地理の本


明治7年文部省刊行

出版人の住所?何故か私のOL時代の会社の辺りあんぐり偶然?笑えるんだけど

でもちょっと保存状態が悪すぎる、、、
こんなのでもなんか価値があればいいんだけど

断捨離でただ捨てちゃうのも

かと言って、要らんし




南アメリカ州とな?



こっちは北アメリカの説明?
マゼラン海峡?パナマって文字も読める

英語よりか楽ねちょっと不満





それから
カズオじいちゃんが戦後通訳として働いてた時の写真も出てきた



黒縁メガネの長身のおじいちゃん

ハーフばりの容姿にネイティブな英語
かなり重宝してもらったそうだ
主に広島の岩国で何年も働いてたけど時々東京の裁判にも行ってたそうだ




なんかね、テレビ番組の芸能人みたいなそんなすごい内容でもないけど

自分のルーツって(知ってたけど写真や書類で)知れると嬉しいもんだったおねがい