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縦歩きのカニの日常

今日は珍しい図面から。

 

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暇つぶしにスマホの将棋ソフトと対局をして、大激闘の末に僕が勝った局面である。

8五金にソフトが投了したところだ。

なぜこんな図をわざわざスクリーンショットしたか。

理由がわかる人はかなりの通だと思う。

答は後ほど。

 

NHK杯やタイトル戦の中継には大盤解説がつきものである。

進行中の対局を、素人の視聴者にも分かりやすいように、別室で2~3人のプロ棋士が解説して見せる。

たとえばこんな風に。

 

「この局面、プロの第一感は4五銀なんですよ。こうやって銀交換から飛車を3筋に回った局面は先手がいいですね」

「ただ4五銀に後手が銀を3三に引いてどうか。先手もゆっくりしていると角打ちから馬を作られる筋がありますからね」

「4五銀で悪いと思えば1回受けに回っておく手もありますね」

(なるほど~)と納得する素人の僕。

しかし長考の末に先手の名人が指したのは、予想手になかった8三歩。

「まるで解説していない手が出ましたね」

「あ~、でもこれいい手じゃないですか?」

「う~む、そうですね~。一目妙手ですね」

「やっぱり対局者が一番考えてますね」

(おー、さすが!)と感動する素人の僕。

 

天才同士の極限の頭脳戦を、同じく天才の解説者が我ら素人に噛み砕いてくれる。

神々の意志を預言者が民衆に伝えていると思えばよい。

上のような場面はひとつの典型的なパターンで、こういう予想を裏切る驚きの繰り返しが観戦の楽しみなのである。

いや、楽しみだったのだ、少し前までは。

 

いまや神は消えた。

AIが消してしまった。

 

たとえば上の解説。

「この局面、プロの第一感は・・・」

とやってるそばから、画面では瞬時にAIが最善手を表示する。

僕ら素人視聴者はまずそれを目にする。

しばらくすると解説者がモニターを見てそれに気づく。

「ほー、AIは8三歩を示してますね」

「なるほど、それが厳しいのか」

 

なんと驚くことに、素人が一番先に最善手を知り、遅れて解説者がそれに続くのだ。

そして僕らと解説者は、この前まで神であったはずの名人が「正解にたどり着けるか」を見守る。

ネット観戦は「世界中で正解の一手を知らないのは、いま対局している二人だけ」ということになっているのだ。

これは異常である。

 

8三歩が最善ならいいが、「AIが示しているのは9四角だった」なんて場合もある。

そうするとAIがなければ絶賛されるはずの8三歩を見て、素人は「ああ、名人は最善を逃した~」などと思うのである。

このあたり、書き始めるとキリがない。

 

AIの示す最善手が、果たして真の正解かどうかという問題はある。

だとしても明らかに将棋観戦は変わった。

今も僕は将棋を観るのが好きだし、観れば感動もする。

しかし可笑しな言い方だが、僕は感動のツボをずらして観る必要が出てきたような気がしている。

 

藤井さんはそれでも神のようだった。

まだしばらくはタイトルを独占するんじゃないかと思っていた。

でも伊藤さんも只者じゃなかった。

 

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ということで、久しぶりに川柳が載ったというのがサゲでした。

本日も長々お付き合いありがとうございました。

 

あ、そうだ!

盤面をスクショした理由を書かなきゃ。

 

8筋に駒が9枚並んでるでしょ、縦に。

こういうのを「駒柱(こまばしら)」って言います。

珍しいんですよ。

一年中指してるプロの対局でも滅多におきない。

因みにこの対局は最後持ち駒の金を打ったので、「7五金」でも詰みだったんです。

でも駒柱に気づいて8五に打ちました。

将棋界ではね、昔から「駒柱は縁起が悪い」って言われてます。

 

だから皆さんにもお裾分けしようと思いましてね。