雁木通り。 | 少~し酔ってます。

少~し酔ってます。

縦歩きのカニの日常

僕の住む高田は雁木の町である。

社会科の教科書にも出てくるこの雪国独特の建築は、「この下に高田あり」といういにしえの名コピーとともに、この町をシンプルに象徴してきた。

 

image

 

(村山陽先生の絵葉書より)

 

 

先月と今月、本町の雁木通りで2件の大きな火事があった。

2月の火事では6丁目で6棟が焼け、今月は1丁目で8棟が全焼した。

雁木通りは鰻の寝床のような町屋が連なっているため、ひとたび火事が出ると大火になりやすい。

今回も最初の火事はビルで延焼が止まり、今月のほうは駐車場と駐車場の間の8軒が全て焼けてしまった格好だ。

 

6丁目の火元の古い旅館はもう営業していなかったと思う。

本来なら地元に住む僕が旅館のお世話になることはないのだが、十数年前に一度、小学校の先生方が2階のひと部屋を借りて打つ麻雀に呼んでもらった。

薄暗い廊下を手洗いから戻る時に、間違えて隣の部屋の襖を開けてしまったのだが、豆電球の明かりの下にこの家のおじいさんが寝ていて、思わず息をのんだ思い出がある。

麻雀の成績は忘れてしまった。

 

旅館の隣のレコード屋は、旅館より何年も前に店仕舞いしていた。

僕の町で知らぬ者のない老舗だった。

高校生の頃は、レコードを買うのはもちろん、文化会館のコンサートのチケットを取るために、友達と徹夜で雁木に座り込んだことも一度や二度ではない。

雁木の地面のコンクリートに、店の名前のモザイクがカラフルに埋め込まれていたのも忘れられない。

 

儀明川の橋のたもとの婦人会館には、かつてグランドピアノが置いてあった。

これも古い建物ではあったが、小さなホールは音響の良い壁で囲まれていた。

僕はここで初めて椎名のトリオの演奏を聴いた。

もう20年以上前だろうか。

ここも焼けてしまった。

 

僕自身、雁木通りの町屋で育ったので、火事の怖さは知っている。

仲町は花街で飲食店も多かったから、何年に一度かは何軒かが燃える大きな火事が起きた。

そして不思議と火事は続く。

3丁目で火事があると、半年もしないで4丁目の一角が焼ける、なんてことがままあった。

僕の家から5軒ほど下に行った路地の角も焼けたし、はす向かいの会社も焼けた。

高3の時には5丁目の親友の家ももらい火事で全焼した。

引越すまで僕の家が焼けなかったのは、只々幸運だったとしか言いようがない。

 

火事は雁木通りの宿命なのである。

大火と再生は昔から繰り返されてきた。

思い出の場所がなくなるのはしょうがない。

 

ケガ人が出なかったのが救いだが、家を失ったかたには本当に気の毒だと思う。

僕は雁木通りが好きだ。

育ったんだから好きなのもしょうがない。