popo♪のブログ -40ページ目

popo♪のブログ

孔子も孫子も「治世救民」を天命として我欲のカケラもなかったそうです。「季布の一諾」が座右の銘として、孔子、孫子、老子、司馬懿に学んでいます。
ささやかながら幸運をお分けします。

明治時代から国家による国民の学校教育が始まりました。
これは、米国式学校制度をマネたものです。

しかし、日本では江戸時代から、子供の教育は盛んで武家の子は、ちゃんと私塾に通ったり、庶民の子供も寺子屋などで読み・書き・そろばんを習っていました。
文科省の資料によると江戸時代の寺子屋の全国総数は、推定15,000件を超えるそうです。

江戸時代、ドイツの考古学者シュリーーマンが来日した際、日本の女・子供のが読み書きができるのには驚かされたと記録にあります。

読み・下記・そろばんは、生活に必要な道具であり、ある意味、詐欺などの悪徳商人から騙されないための生活防衛の手段の意味もあったようです。

「義務教育」というと国民みんなが、大人も子供も小学校、中学校に行かなければならない「国民の義務」のように思っているようです。

ほんとうに憲法上、教育は「国民の義務」なのでしょうか。

たしかに憲法26条には、「教育を受ける権利」「保護者の教育義務」があります。
しかし、「学校に行く義務・行かせる義務」はどこにも書いてありません。

「教育を受ける権利」と「教育の義務」は、その「誰の」で区別される必要があります。
前者は、「子供の権利」で、後者は「保護者の義務」です。

つまり、憲法上、教育の義務は「子供の義務」ではなく、「保護者が負う義務」なのです。

では一つ下の学校教育法ではどうかというと、学校教育法22条に「保護者の就学させる義務」があります。
「就学」というのは、「小学校に入学すること」を言います。

一般には「就学」というと「教室で授業を受けること」と解釈しがちですが、正確には「入学すること」なので「保健室登校」「図書館登校」でもよいのです。

この学校教育法は、戦後間もない国民総貧困時代にできた昭和22年の法律です。
教育方法が多様化している現在、不都合な部分が多々あることから、憲法9条より早急に改正する必要があります。

ここで最も大事なことは、就学義務を負わせているのは、「保護者」であって「児童」ではありません。子どもたちには学校で勉強する義務はないのです。

下の記事にあるように、大津市の越市長が「学校に行かなくてもいい」という発言は、どうしても学校に行けない子供たちに向けられた特別のメッセージといえます。

まずは、多くの大人たちがもつ「子供は学校には行かなければならない」という常識が、あまりに偏りすぎていたことを知ることでしょう。

知っている人は少なくないと思われますが、007で有名なイアン・フレミングが書いた唯一の童話を映画にした「チキチキバンバン(Chitty Chitty Bang Bang)」という親子の物語があります。1968年(昭和43年)英米合作のファンタジーミュージカルです。
*ずっとディズニー映画だと思っていましたが、ディズニー映画「メリーポピンズ」と主演・スタッフがかぶっているのでよく似た作りになっています。

空飛ぶ車を作った発明家のお父さんが、学校に行きたくないという娘と息子に「行きたくない学校なら行かなくてもいいよ。」と軽く答えて、子供たちを安心させます。

舞台は堅苦しい形式張った紳士の国である英国であることから、ヴィック・バン・ダイク扮する変わり者のお父さんの思考は、貧しくても形式や慣習ににとらわれない子供たちを愛する保護者のあるべき姿として脳裏に焼き付くかもしれません。

子供は国の宝。世界の宝といえるでしょう。


『 市長が言い切る「学校に行かなくてもいい」 大津が取り組む「いじめ対策」越市長に聞く子どもたちの居場所 withnews 2019/08/29 07:00

公立学校の責任者である「市長」という立場で「学校に行きたくないと思えば、全然行かなくてもいいと思う」と言い切る人がいます。自身も小学校と高校でいじめに遭い、今はいじめ防止の政策を進める側となった大津市の越直美市長(44)です。8年前の「大津いじめ自殺問題」では「いじめ防止対策推進法」が生まれるきっかけとなった大津市。生きづらさを抱える子どもの「居場所づくり」について聞きました。(朝日新聞大津総局記者、山中由睦、新谷千布美)

いじめられていること、知らなかった友達
――市長自身も、子ども時代にいじめを受けた経験があるそうですね

小学3年と高校生の時です。親に相談することもできず、休めない。学校に行くことが苦痛でした。

自分の居場所は小学校の時は家に帰ってから。学年が違う友達がいて、私がいじめられていることを知らないので一緒に遊べました。高校の時はクラスで話す人がいなくて悪口を言われても、授業が終わって所属していた水泳部に行くと違うクラスの友達がいました。放課後になるのが待ち遠しかった。

自分がクラスでいじめられている時、それ以外のコミュニティーがあるということも居場所の一つなんだと思っています。

――「居場所」で、いじめられていることを打ち明けられましたか

言えなかったです。いじめられている人間であるということが、恥ずかしいと思っていたので相談はしませんでした。ただ相談できなくても、いじめを受けていることを知らない友達がそばにいたのは良かったと思います。

いじめられた子が学校から疎外されるのはおかしい
――市立中学2年の男子生徒が自殺してから8年。子どもの居場所をつくるため、市はどんな取り組みをしてきましたか

子どもの居場所づくりはとても大事。学校以外にフリースクールをつくるとか、(夏休み明けに)学校に行きたくないと思えば、全然行かなくてもいいと思う。

いじめられた子どもの声を聞くと、「学校に行きたいけれど行けない」という子どももいます。いじめた人は学校に行っているのに。

加害者は学校に行けて、いじめられた子どもが学校から疎外されてしまうのは絶対におかしい。行きたいと思った時に行ける場所や教室を、学校内につくる必要があると考えています。
・・・・・・・・・・・・・・』 (msn news)
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%B8%82%E9%95%B7%E3%81%8C%E8%A8%80%E3%81%84%E5%88%87%E3%82%8B%E3%80%8C%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%A6%E3%82%82%E3%81%84%E3%81%84%E3%80%8D-%E5%A4%A7%E6%B4%A5%E3%81%8C%E5%8F%96%E3%82%8A%E7%B5%84%E3%82%80%E3%80%8C%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81%E5%AF%BE%E7%AD%96%E3%80%8D%E8%B6%8A%E5%B8%82%E9%95%B7%E3%81%AB%E8%81%9E%E3%81%8F%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%B1%85%E5%A0%B4%E6%89%80/ar-AAGsZf7#page=2
あの冷静な対応で人気のメンタリストDaiGo氏が、京アニ放火テロで亡くなった被害者のNHK実名報道に怒りまくっていjr。
これは興味深いというよりも人として、日本人として共感できる怒りでしょう。

DaiGo氏によると、彼が学生時代、最愛の母親をガンで亡くしている。そのときもっとお金があれば救うことができたかもしれないと悩み、今でも自分の責任を引きずっているといいます。

実名報道を受けて迷惑を被るのは、被害者の遺族であってなんの権利があって被害者の個人名を報道するのか。売名のための報道ではないのか。

その愛する人をなくした悲しみを癒やすこともできず、打ちひしがれてい遺族を始めとして親しかった人々に対してマスコミが押しかけ、その心境を訪ねたり、家・職場まで張り込みをしているなどメディア記者たちは、人の心の痛みがどれほど分かっているのかと思うと、実名報道などとんでもないことだと嘆いています。

DaiGo氏と同様、学生時代に母親をガンで亡くした自分もこのDaiGo氏の痛み・悩み・想いは痛いほどわかるし、今でも思い出すと胸のつまる思いがします。

日本人なら他人の心の痛みをわかろうとする配慮が備わっているはずですが、この最低の道義心よりも仕事・金儲けのために私利私欲を通そうというその心根は、叩き直す必要があるのではないでしょうか。

元ネトウヨの文筆家・古谷経衡氏が、「常識が溶けていく恐怖」と題してN国党批判をしているが、本当に常識が溶けているのは、N国党よりもこういうNHKを始めとする大手メディアなのではないかと思われます。
遺族の非公開申出があったにも関わらず京都府警が軽薄にも実名をメディアに流した蛮行はそれ以上の反日本人的暴走と言えそうです。

「二度とNHKには出ません!」と言い切ったDaiGo氏は、意外にも日本の好漢でした。

今、日本人の常識がおかしくなっています。
若者だけでなく、いい年した中高年の暴走事件が頻発しています。

これはその根底に義務教育制度の歪みがあるからでしょう。
いまは教育改革が急務でしょう。



※実名公表・報道した京都府警と各メディアに対して、個人情報保護法違反などを理由に告訴するのもよいかもしれません。


『DaiGoが京アニの実名報道に激怒「NHKには二度と出ません」
2019年8月28日 12時20分
ざっくり言うと

    京アニ放火事件で亡くなった35人のうち、25人の実名を京都府警が公表した
    このうち20人の遺族は公表を承諾しなかったが、NHKなど各局が実名を報道
    メンタリストDaiGoはYouTube上で「NHKには二度と出ません」と憤慨した

◆DaiGoがNHKに激怒
メンタリストDaigo「NHKには二度と出ません」と激怒 YouTubeで強烈なマスコミ批判、ネットで大反響
2019年8月28日 12時20分

リアルライブ
Daigo公式YouTubeチャンネルより https://www.youtube.com/user/mentalistdaigo/videos?app=desktop

 メンタリストDaigoがYouTube上でガチギレしているという。普段はクールな彼が一体どうしたというのだろうか?

 「彼はYouTubeのオープニング、『今日はちょっとは感情的になります』と切り出し、しばらくすると、『僕、二度とテレビに出れなくなってもいいです全然。はっきり言います。NHKには二度と出ません、こういうことをするNHKには!』と憤慨したのです」(芸能ライター)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「京アニ実名報道【人の死を金としか考えないマスコミ】の正体を解説【NHKも新聞もグル】」と名付けられたこの動画。再生回数は、28日正午現在70万回を突破し、SNS上でも大反響を巻き起こしている。マスコミを相手取り、怒りの声を上げたDaigoの今後の動きに注目だ。』(livedoor news)
https://news.livedoor.com/article/detail/16994182/
表題の通り、小中学校の教職員が心の病で休職に追い込まれるケーが5000以上あるというが、実際には、給食寸前をも含めるとその3~5倍はあると推測される。

時間的なハードスケジュールに身体がついていけないだけではなく、いじめ・いやがらせによって追い込まれるケースも少なくないだろう。

学校ではないが、数年間のハードスケジュールといやがらせによってストレスが溜まり、心身のうち重度のアトピー症になやまされた経験があり、その深刻さはある程度肌で理解できるところがある。
「心の病」と言ってしまえば簡単なのだが、一括りにはできないさまざまな要因と症状で人としての人格形成が壊れていく感覚がある。

子供たちの人格をはぐくむという国家としての最も重要な教育の現場で、これを支える教職員の心が壊れる要因は、前述の教育システムといじめ・嫌がらせだが、政府はおろか一般人もこの対策にほぼ無関心であめことが問題なのだろう。

「心の病」と言えば、N国党・立花孝志氏も義心をもってNHKの闇の部分を内部告発したが、それによって壮絶な嫌がらせを受けたため、「心の病」にかかり退職に追い込まれたという。

この立花氏は「統合失調症(旧精神分裂病)とそう・うつ病」にかかり、かなり改善はしたものの今も薬に頼っているというカミングアウトをYoutubeでしている映像がある。

Youtubeにある彼の顔面についてよく観察していると、顔の筋肉の動きが緊張のためか固いように感じられるが、彼が嫌がらせを受けたという過去の体験を念頭に置くと、かれが受けたNHK内部での嫌がらせは、想像を絶するほど酷かったのではないかと推察される。

長期間にわたる想像を絶するほどのいじめや嫌がらせによって、極度のストレスが身体に及ぼす影響は、実際に体験した者にしか理解できないほど酷いものであり、その後遺症も計り知れない。

例えば、体験的に身体に異変が生じたのは、植物にそっと触れただけでその部分の皮膚がやけどのように水ぶくれになる症状だった。皮膚科の医師によるとアトピー性皮膚炎と診断され、ステロイドを投与したが、結局、在職中は直らず、退職後、徐々に改善され、現在はかなり状態はいいが、元通りにはならないようである。

あくまで、痕人的な印象なのだが、立花氏の顔の表情が硬い印象を受けるのも、過去の壮絶ないじめ・嫌がらせによって統合失調症にかかったため、その後遺症として固い表情があるのではないかと推察される。

そうだとすれば、これに対して「気持ち悪い-マツコDX」「目がいってる-太田光」などの嘲笑・誹謗することは、世界の統合失調症罹患者に対する侮辱であって論外だろう。日本人なら守るべき「ヒト様の顔や容姿に関してだけは揶揄すべからず」という先人の金言を忘れてしまったのかも知れない。

話はそれたが。
全国の小中学校で「心の病」に苦しむ教職員で、誰にも相談できずに苦しんでいる人がいれば、完全ではないかも知れないが、「心の病」から立ち直った経験を持つ立花孝志氏に相談してみるのもアリかも知れない。

子供は国の宝。
国の宝を教育する教職員も国の重要な存在であることは間違いない。
子を持つ悩める母親も同様に重要である。

何としても立ち直ってほしいものである。


『心の病で休職する教職員は5077人 10年間高止まり
矢島大輔 2018年12月25日20時06分

 2017年度に「心の病」で休職した全国の公立小中高校などの教職員が5077人(前年度比186人増)だったことが25日、文部科学省の調査で分かった。10年前から毎年5千人前後で続いており、同省は教員の長時間勤務などが影響しているとみている。

 調査によると、うつ病や適応障害といった精神疾患(心の病)による休職者は全体の0・55%。休職になるまで、所属学校に勤務した年数は1年以上2年未満が23・3%と最多で、6カ月以上1年未満(19・1%)、2年以上3年未満(15・9%)が続いた。休職期間は、6カ月未満が33・4%、6カ月以上1年未満が27・3%、1年以上2年未満が26・1%だった。文科省は、教職員が担う業務量が増えたことに加え、保護者らとのコミュニケーションの困難さが背景にあると指摘し、「10年間高止まりしている状況は憂慮すべきこと」としている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・』(asahi.com)
https://www.asahi.com/articles/ASLDS4T0HLDSUTIL00L.html
目的は同じでもやり方が違う、好きではない、ここが違うとなどと些事にこだわるあまり、立ち向かうべき巨人に対して一丸となれない狭量な人たちはどこにでもいる。

その狭量の中核をわかりおすくいうと「保身」つまり「お金と地位」である。
例えば、前民主党の議員たちがよい例だろう。

下の相澤記者の記事によると、「NHKをぶっ壊す」VS「NHKをぶっ壊すな」の対立であり、N国党・立花党首の主張とは相いれないと書いているが、目的は「NHK体制の改革」という目標では完全に一致している。

ではなぜ、彼は立花氏と共闘できないのかと言えば、「ぶっ壊す」とか「ぶっ壊すな」とかの些末ではなく、立花氏に協賛することになれば、彼の属する新聞社と対立することになるからだろうことは容易に推察できる。

「なぜ支持を集めたのか」の理由の解析部分にしても、彼の思考は浅いという印象を受ける。
やはり、新聞記者の思考深度は、やはりこの程度なのかと残念ではある。

これでは立花氏の深謀遠慮を彼が理解することは困難だろう。
下の記事については論じるほどの内容はないので、批判はしないでおこう。


『森友取材でNHKを追われた記者が「『NHKをぶっ壊す』に賛同しない」理由とは
相澤 冬樹 8月12日(月)11時0分 文春オンライン

「NHKをぶっ壊す」……強力なメッセージだ。NHKには常に批判がつきまとう。権力寄りだという批判、あるいは左翼や反日に偏っているという批判、両側から批判にさらされる。受信料で成り立つ公共放送の宿命でもある。

立花氏の「N国党」は、なぜ支持を集めたのか?

 だが、元NHK職員の立花孝志氏が「NHKから国民を守る党」(N国党)の党首として掲げた「NHKをぶっ壊す」というスローガンは、これまでの批判とはまったく異なる意味合いを持つ。具体的な公約としてはNHKの放送のスクランブル化を掲げているが、それは公共放送ではなくなることを意味するので、事実上、公共放送NHKの解体と同じである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 放送法を改正し、人事とカネを政府与党から独立させるべきだ。そうすれば、NHKにいる、志と意欲と能力の高い記者やディレクターやその他大勢の職員たちが、いいニュース、いい番組を出し続けてくれるに違いない。それしか道はないと思う。そうしないと本当に「NHKをぶっ壊す」ことになりかねない。
』(news.biglobe)
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0812/bso_190812_5601879244.html
河村市長の知友詩申入れを憲法違反と批判した大村愛知県知事だが、下の記事を読んでみると大村理論で行けば、河村市長よりも大村知事の方が表現の自由を侵害している可能性が高い。

そもそも私人の表現の自由は、公権力による介入を禁止する条文である。保障するというのは、公権力からの規制を禁止するという意味であり、公権力が特定の私人に対して表現の自由を公金を投入して積極的に支援・保護するということではない。

第一点は、大村知事が記者会見で述べた表現の自由に関する「公権力による積極的庇護」という考えの間違いはここにある。

第二点は、下の記事にあるように「一部作品を展示しないよう企画者に要望した」というのが事実なら、大村知事は検閲行為を自ら行っていたことになる。

そもそも「検閲」とは、「行政機関が、思想内容等の表現物の発表の禁止を目的とし、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの」をいう。(ざっくり実務理論) むろん学者によって諸説あるが。

ここで、大村知事は、「強い要望・希望は申し上げたが、それを超えると憲法21条(表現の自由の保障)の話になる」と述べたという点が問題である。

それが事実ならば、展示物撤去の決定権限を持つ実行委員会会長である大村知事が、展示物をしないように「強い要望・希望を申し上げた」行為自体がまさに「検閲」にあたるのである。


この大村知事は、「表現の自由」「検閲」をただ漠然と知っているだけで正確に理解していないということになる。
問題なのは、河村たかし市長よりも大村秀章県知事の行為の方が問題であり、憲法違反の疑いが濃厚である。

一連の流れを見ていると、大村秀章知事と津田大介監督の浅慮が招いた騒動に、犬猿の仲といわれる河村たかし市長が噛みついたという私的バトルの色が濃いようにも感じる。

二人の軽率さが招いた騒動で、軽々しく憲法の「表現の自由」について漠然とした知識を振りかざすこと控えるのが賢明だろう。


『少女像展示前、知事が津田氏に「本当にやるのか」
読売新聞 2019/08/14 09:14

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、いわゆる従軍慰安婦を象徴する少女像などの展示が中止となった問題について、実行委員会会長の大村秀章・愛知県知事は13日の定例記者会見で、今年6月に展示内容を初めて知り、一部作品を展示しないよう企画者に要望したと明らかにした。

 大村知事や実行委事務局によると、大村知事が6月に「表現の不自由展・その後」の説明を受けた際、芸術祭の企画責任者である津田大介芸術監督に対し、少女像について、「本当にやるのか。展示はやめてもらえないか」「実物ではなく、パネルにしてはどうか」などと伝えたという。

 企画展の運営メンバーからは「それなら、この企画展を全てやめる」などの話もあり、最終的に、来場者に写真撮影やSNS投稿を控えてもらうことで、展示することになったという。

 大村知事は「強い要望・希望は申し上げたが、それを超えると憲法21条(表現の自由の保障)の話になる」と説明。「相当様々な意見が来るとは思った」としながらも、「警備の増強など、行政としてできる限りの対応はした。テロ予告や脅迫などは予想しなかった」と述べた。』(msn news)
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%b0%91%e5%a5%b3%e5%83%8f%e5%b1%95%e7%a4%ba%e5%89%8d%e3%80%81%e7%9f%a5%e4%ba%8b%e3%81%8c%e6%b4%a5%e7%94%b0%e6%b0%8f%e3%81%ab%e3%80%8c%e6%9c%ac%e5%bd%93%e3%81%ab%e3%82%84%e3%82%8b%e3%81%ae%e3%81%8b%e3%80%8d/ar-AAFL4OH