これには日本人ながらいくつか疑問点もある。
クジラは頭がいいとか悪いとかの問題とは次元が違う。
おそらくは、好き嫌いというか愛玩感覚というか、エモーショナルな理由ではないかと思われる。
だとすれば、小賢しい理屈など通じるはずもない。
もし、ある国が「食文化」と称してこれらの動物を食材として捕獲、あるいは輸入していたとすればどう感じるだろうか。
「子犬」、「子猫」、「ひよこ」
・・・姿焼き、つくだ煮、大和煮、刺身などなど想像すると。。。
そんな感覚と同じ或いはそれに近いものがあるのかも知れない。
世の中に感情論を見下す風潮もあるが、行動学からみれば、人間を動かす最強の要因が感情ともいえる。
これに対して、「卵ならいいのか」、「我が国の食文化だ」と返したところで納得させるどころか、火に油を注ぐだけだろう。
1.「調査捕鯨」といいながら裏で「販売」?・・・利権がらみ
その実は調査に名を借りた「商業捕鯨」ではないのかという指摘がある。
この点を海外の捕鯨反対派から突つかれているらしい。
おそらくはもっともな批判である。
日本には、古くから、クジラで生計を立てている地域があり、人々がいるのは事実。
その彼らからしても、「調査捕鯨」という政府の掲げる名目には首をかしげているのではないだろうか。
彼らにとって、クジラは生活の糧であり、だれに恥じることもない商業捕鯨であることは確かである。
なぜ、政治家や官僚は堂々と「商業捕鯨」を主張しなかったのか。
常日頃、陰でコソコソ進める習性が付いているため、正面からガチンコで勝負することが苦手で、つい「調査のための捕鯨だ」と言い逃れをしたのではないか。
そのズルさが、結果的にここまで問題を大きくした原因の一つではないのか。
大いに、不可解である。
2.捕鯨領域が広すぎはしないか?・・・利益主義
中でもオーストラリアは、日本に対して攻撃的な非難を行っているらしい。
どうやら、彼らは、日本の捕鯨船団がオーストラリアを通り越して南極海まで足を延ばして、クジラを取っていることに怒っているらしい。
これはイルカ・クジラ保護団体(SeeShepherdではない)が作った、南極海域でのクジラの生息域を示したマップ。
これを見ると、日本の捕鯨領域が、オーストラリア南部沿岸水域にかなり近いことがわかる。
ちなみに緯度線の間隔はほぼ均等である。
濃い青色の水域が、鯨の生息水域らしい。
二つの赤い丸は、日本の捕鯨船団とシーシェパードがぶつかった地点を表すとしている。
では、日本の水産庁が発表している南極海域での調査領域を見てみよう。
これを見ると、捕鯨域はかなり狭いように見える。
もしかすると意図的にそう見えるように作っているのではないかとも。。。
このマップを拡大して緯度線の間隔を測ってみると、中心に近いほど微妙に狭くなっている。
ズルい描き方である。
ちなみに日刊スポーツの南極マップはこれ。
こちらは、水産庁の図よりまともに見える。
南緯60度線(赤い線)から内側が調査捕鯨領域。
やはり、オーストラリアから見ると近い。
「遠く北部にある日本という小国が、自国の付近まで来て漁場を荒らして帰っていく」
そうオーストラリアが考えていても不思議ではない。
また、その不快感も理解できる。
3.クジラは日本の文化?・・・説得力に欠ける
正直、日本人にとってもピンとこない理由付けのようにも思える。
毎月あるいは毎年、鯨肉のお世話になっている一般国民がどれほどいるのか。
少なくとも、ここ十年来、近所のスーパーで鯨肉を見かけたことがない。
新聞、TVなどのメディアでは「クジラは日本の食文化だ」と盛んに言うが、ピンとこない人は少なくないだろう。
食文化を否定する気はないが、大見え切って言うほどのものでもないように見える。
4.結論・・・非難緩和策
日本の捕鯨を観察していると、どうしても既得権益を守ろうとする日本独自の利権の構図が見えてしまう。
農水省、水産庁、捕鯨関連団体などの結びつきが問題視されていると聞く。
どうしても捕鯨をやりたいのなら、妙チキリンな屁理屈はやめて、日本近海での「商業捕鯨」を主張すればいい。
それでは足りないというのなら、外国から鯨肉を輸入するのがいいだろう。
クジラは、鯨系地域の人々の生活を支えるために必要最小限だけあればいい。
『「日本のイルカ漁は野蛮」(WAZA)~頭がいいから「イルカ」はだめで、馬鹿だから「牛」や「豚」はいいのか?
木走正水(きばしりまさみず) 2015年05月21日 15:39
・・・・・・・・・・・・・・・・
太地町の「イルカ追い込み漁」はそんなに残酷なのか、「残酷」の基準は何なのか、そもそもなぜイルカは食べてはいけないのか、食していい生物といけない生物の国際的「基準」などそもそもあるのか、頭がいいから「イルカ」はだめで、馬鹿だから「牛」や「豚」はいいのか、この問題、疑問は尽きないわけです。
しかし、水族館やイルカショーははたして「文化的」と言えるのでしょうか。
本来の野生のイルカを「追い込み漁」でとらえることと、人口のプールでイルカを調教して芸を教え込み「見世物」にすること、どっちが陰湿な意味で「野蛮」な行為なのか、これは興味深い哲学的問題だとも思えます。
読者の皆さんはこの問題どうお考えでしょうか。 』(BLOGOS)
http://blogos.com/article/112605/




