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孔子も孫子も「治世救民」を天命として我欲のカケラもなかったそうです。「季布の一諾」が座右の銘として、孔子、孫子、老子、司馬懿に学んでいます。
ささやかながら幸運をお分けします。

「アイドルの政権批判がどこまでゆるされる?」という言葉から、どれだけ上から目線で見ているのだろうか。
この筆者は、何か思い違いをしているのではないかとさえ感じられる。

百歩譲って、それが純粋な疑問だとして、どこから疑問をもつという発想が生まれるのか不思議である。
政権べったりの言論人ならいざ知らず、少なくともメディアにかかわる自由人の発想ではないだろう。

また、「ロックではなくアイドルが反体制を歌うことの違和感」を挙げているが、違和感の勘違いだろう。

ロックが反体制から生まれたものだが、現在のすべてのロックが「反体制」かといえば、そうではない。
反体制ではなく、「恋愛話」ばかりを歌うロックが少なくないのではないか。
ロックにも色々あるように、アイドルにも色々あっていいだろう。

この記事の筆者は、「やらされるてる感」があるように述べているが、それは。アイドルは主張をしないという先入観~色眼鏡で見ているからだろう。

私的印象では全く逆の印象である。

テレビに出ている他の商業的アイドルたちは「やらされてる感」が強いのに対し、このアイドルグループは自主的に「やってる感」が強く感じる。

前にもあげたが、そういう意味では、「ここっぴーの☆そっぴー」の藤波心ちゃんの自主性に似ているだろう。

ネトウヨの一部(バイト・ネトウヨ)が、このアイドルグループにいちゃもんをつけているらしいが、真のネトウヨは安倍政権などに擦り寄ったりはしないとも聞いている。

記事の筆者は、「本音が見えてこない」というが、見ようとしていないだろ、或いは、濁った眼で見ようとしているだけではないだろうか。

素直に聴く気になって耳をすませば、相手の本音は見えてくると、ヤメ検のボスに教わったことがある。
クリーンな気持ちにリセットできるかは、自分の心がけ次第だろう。


『反原発・反安倍政権の制服向上委員会、アイドルの主張どこまで許される?
オリコン 7月4日(土)9時40分配信

脱原発を訴えるアイドルグループの制服向上委員会 (C)De-View
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 いちアイドルグループが、政治色の強い活動をすることの意義と是否について改めて考えてみたい。

“地下アイドル”シーンの成り立ちと現状とは

◆正統派アイドルグループから政治的思想の強いグループに変化した制服向上委員会

 <大きな態度の安倍総理 おじいさんと同じ>(「大きな古時計」の替え歌)で始まる「おじいさんと同じ」という曲を歌う制服向上委員会が、いま何かと物議を醸している。
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 その後、2010年に“地デジ放送反対”の曲「TVにさようなら」を発表して再始動する。
 その後も、2011年には脱原発ソング「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」を、2012年には民主党政権批判の「野田・悪魔・TPP」を発表。
 「Ohズサンナ」という曲では、「諸悪の根源、自民党」とまで歌っている……となると、これは立派な左派アイドル・脱原発アイドルといっていいだろうが、メンバーは10代のごく普通の少女たち。
 果たして彼女たちは、本当に政治的思想を持ち合わせているのだろうか?
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◆ロックではなくアイドルが“反体制”を歌うことに違和感も
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 その他、社民党や日本共産党絡みのイベントやメディアにも、多数登場している。こうなると、もはや最近流行の“炎上商法”といえなくもないし、うがった見方をすれば、一連の騒動は、所属事務所側にしてみれば“狙い通り”なのかもしれない。

 そもそも反体制的な主張は、ロック系ミュージシャンの“お箱”でもあり、当たり前のことでもある。
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  前述した爆笑問題の発言ではないが、何か“やらされてる感”すら見て取れるのは、“アイドル”である彼女たちの“本音”が見えないことと関係しているだろうし、ある種、アイドルが抱える“宿命”なのかもしれない。
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(文:五目舎)』(yahoo news)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150703-00000360-oric-ent
このオバタカズユキ氏についてはよく知らないが、原発推進には反対らしいので、原則的に批判しないスタンスで行きたい。

ただ、下の記事では若者の反戦デモには違和感を抱いているという表題に、やや違和感を感じたので、読んでみた。

終局的には、若者の反戦デモに反対の立場ではないらしいので、このデモを擁護するに必要な部分だけにとどめておいた。

彼の言いたいことは、「反戦運動に関わるからには、リアルな死を前提に声をあげてほしい」というこだろう。
いわんとすることは、分からないではない。
が、始める動機は何でもいいとも思える。
重要なのは、反戦の意思を表示することであり、目的は戦争のリスクを止めることにあるのではないだろうかか。

渋谷などの都心を始めとして、全国で広まりつつある若者たちの反戦デモに対しては、違和感はなく、むしろ好感を持って見ているというのが正直なところである。

今回のデモには、少なからず、香港の学生有志たちの民主化運動が影響しているような気がしないでもない。

若さがもつエネルギッシュさに羨ましいとさえ感じる。
ネットにゲームに遊びに明け暮れるだけの世代と見えていた若者たちが、反戦デモに参加している真摯な姿を見ると、日本の将来も案外捨てたものではないと思てくるのは不思議な光景でもある。

1.危険が高まるのは「若者」ではなく、「日本の自衛官」である?

 オバタ氏は、「日本の自衛官」は、オッさんやオバさんばかりと考えているのだろうか。

 自衛官にも若い自衛官はたくさんいるだろうし、真っ先に危ないのは彼らだろう。
 
 自衛官の知人、友人や恋人なども反戦デモに参加しつつ、みんなひっくるめて「僕ら」といっているのではないだろうか。 

2.民間人が徴兵されて戦争に駆り出される可能性は極めて低い?
 
 オバタ氏の認識は、安倍自民や安倍子飼いの知識人が挙げる反論に近い。

 この認識は、戦闘行為のもつ必然性を知しれば、誤りであることがわかる。

 これから起きる戦争は、ハイテク戦であり、戦争のプロによる殺し合いだという反論は、安倍政権にへつらう言論人が共通していうことである。

 確かに、一部分は当たっているが、ハイテクは単なる道具の1つにすぎない。

 戦闘がある程度時間が経つと、戦闘員に肉体的にも精神的にも支障が出始めることが少なくない。そこで、早い時期に戦闘員の交代が不可欠となる。
 この点では、原発作業員の交代システムと似ている。

 戦闘員不足はいつでも起こりうる、戦争自体がもつ宿命ともいえる。

 戦闘員が不足すると、第一次的には、志願者を募り、次には強制徴兵となる。
 太平洋戦争での学徒動員制などがその例である。

 現在なら、ISと戦っているクルド人部隊もその例に漏れない。
 成人男子では足りず、志願兵だが女子も戦闘員として戦い、IS兵を駆逐しているという。
 むろん、彼らは戦闘のプロではない。

 戦争というもの、今も昔も、「頭脳戦と肉弾戦」がその基盤なのである。
 ハイテク機器やプロの戦闘員など、その一因にすぎない。
 ハイテクだからプロだからといって勝てるとは限らないのである。

 これらは、戦闘に詳しい知人からの又聞きにすぎないが、戦争未体験の我々も知っておいて損はない情報ともいえる。

3.「自衛官の命がかかっていることを忘れないでほしい」というのは、右翼の論客ばかり? 

 そんなこともない。
 戦争法案に反対している論客でも、いい回しは少し違っても自衛隊員の生命身体を按ずる声は少なくない。
 
4.警察官や消防官は命の危険性の高い仕事を拒否する自由がある?

 法的には、上官の命令が違法、無謀な場合、自衛官も拒否する自由はある。
 そもそも、警察官や消防官とが、自衛隊員とは違うという話ではない。
 それを遂行することに意味があるかないかで判断される問題なのだから。

 警察官や消防官に対して差別ともとれる発言は、彼らに対して失礼ではとも感じる。

5.総括

 「戦争反対」を叫んでデモに参加している若者たちは、自分のことだけを心配して叫んでいるだろうか。
 プラカードや演説ーを聞いていると、そういうただ保身的な願望だけという印象は受けない。
 彼らが若い自衛隊員も含めて、当然に自分たちの仲間として扱おうとしているように思える。

 大人数が集まれば、中には、やや認識がズレていたり、語弊のある言い回しをする若者がいるのはふつうのことで、さほど問題とも思えない。
 許容範囲である。

 なにより、安倍政権の政治の影響が、他人ごとではないと気づいて行動に出ただけでも、その意識の展開を評価したいし、より高い年齢層は長い目で見てやろうという配慮も必要なことだろう。 
 
 知識や方向性に不備があれば、より多く経験を積んで学んだ人々がアドバイスをすればいい。
 ただそれだけのことである。


『「ぼく達は戦争に行かないぞ」 若者たちの反戦運動に違和感
2015.07.04 16:00

 各地で反戦集会が活発になってきた。だがコラムニストのオバタカズユキ氏は、安保法制に反対しながらも集会の声に違和感を持つ。なぜなのか、考えてみた。

 * * *
 このところ週末になると都心をはじめとした大都会の一部で、それなりの規模の反戦集会がおきている。安倍政権が成立させようとしている安全保障関連法案に対する抗議行動だ。
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<この国の法案が通れば、他の国の戦争に日本の若者が巻き込まれ、命を落としたり、あるいは人を殺してしまう危険性が高まるということです。そんなこと絶対、許してはなりません!>

 私は、この演説からしてすでに違和感を覚える。揚げ足を取ろうというわけでは決してないと断った上で言えば、他の国の戦争に巻き込まれて命を落としたり人を殺してしまう危険性が高まるのは「日本の若者」か? 違うだろう。それは「日本の自衛官」だ。細かな言葉の問題ではなく、これは大きな認識のズレである。

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長年の訓練を受けた戦争のプロたちによる殺し合いが基本。だから、民間人が徴兵されて行きたくもない戦争に駆り出される可能性は極めて低い。少なくとも、そんなことが起きるよりずっと前に、大量のプロが戦地に送り込まれる。そこで殺す/殺される場に立つのは自衛官だ。
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 改憲論議が交わされる時、「自衛官の命がかかっていることを忘れないでほしい」と訴えるのは、いつも右翼の論客ばかりだ。彼らがどれだけ本気でそう言っているのかは怪しい。靖国神社好きのポジショントークにも聞こえる。

 専守防衛に徹したとしても、事が起きて殺す/殺される場に立たされるのは自衛官だ。命の危険性の高い仕事を命じられたとき、警察官や消防官は拒否する自由があるけれども、自衛官にはない。リベラルを自認する者こそが、そういう「弱い」彼らの立場から言葉を発するべきなのである。反戦運動に関わる者は、リアルな死を前提に声をあげてほしいのである。
』(news postseven)

http://www.news-postseven.com/archives/20150704_333670.html
民間人だから何を言っても許されるという「言論の自由」をもって、百田発言擁護論が、一見正論のように語られているらしい。

辛坊治郎キャスターもその一人らしい。

しかし、「言論の自由」は、何を言っても許されるというわけではないことは、中学生でも知っている。
政権すり寄ろうとする私欲に満ちた人々には、精神の自由以外の自由には一定の制約がある。
彼らには、他人の人権を侵害する内容の言論は、憲法の保障する「言論の自由」には含まれていないことすら理解できないらしい。

辛坊キャスターは少しはましかと思いきや、勉強会にいた自民議員と知的レベルは変わらないらしい。
これに対して、当の百田氏は「歯切れがいい」と喜んでいるという。
が、「歯切れがいい」というのは、裏を返せば「中身が薄い」ことを意味する。

ここで、百田発言の問題点を2つあげておこう。

1.刑法上の問題点

 ここで、問題なのは「沖縄の2紙は潰さんといかん」という百田発言である。

 この発言については百田自身が認めているらしい。
 直感的に思い浮かんだのは、
 「偽計業務妨害罪(刑法233条)」~「威力業務妨害罪(刑法234条)」の「教唆」である。

 ただ、業務妨害罪の準備行為は刑法には規定がないので、現状では処罰はできない。
 しかし、この百田発言に触発されて、自民議員やその他の誰かが業務妨害行為を行った場合、百田氏本人も処罰の対象になるはず。

 単なる謝罪では済まされない犯罪性を帯びた重大発言であることに変わりはない。

2.憲法上の問題点

 もう一つは、百田発言が、政権与党議員という公権力の行使の主体に向かって発言している点である。
 つまり、政権与党に対して言論封殺を唆しているとみられる点が問題となる。

 百田氏本人は、騒ぎの後で「潰すために経済界に働きかけるのはダメだと言った」とあわてて弁解している。
 しかし、この弁解は「沖縄人と2紙は潰さんといかん」と言ったことと矛盾するので、本当かどうかは分からない。
 もし、言ったとすれば、「潰す発言」が漏れ広がるとまずいかと思い、言い訳できるように付け加えたのかも知れない。

 ところで、百田氏自身、後のインタビューで、勉強会の時、記者の耳が部屋のガラスに当てられているのを見て盗み聞きしているのが分かったと語っている。

 であるならば、百田氏は自身の発言が新聞に書かれるだろうことを承知の上であえて語ったものだとみていいだろう。
 つまり、彼は、半分は書いてほしい気持ちがあつたのではないか。
 後で、その反響の大きさに驚いて弁解したというのが本音のところかも知れない。

 また、小林よしのり氏も指摘しているが、この勉強会で語られた自民党議員らの発言は、安倍自民の中では、普通に話されている内容と考えていいかもしれない。
 
 安倍自民という集団は、そういうチンピラ集団であることを国民は知っておく必要がある。

3.盗み聞きは卑劣だという非難

 勉強会の内容を盗み聞きして記事にした新聞に対して、「卑劣だ」という非難が出ているらしい。
 もちろんこの非難の主は、勉強会議員とその仲間らだろう。

 盗み聞きや内部の秘密を漏らすことは、原則として褒められたことではない。

 しかし、これには例外もあって、公益目的ならば、多少の非常手段は認められていいだろう。
 
 かつては、牛肉偽装、雪印問題、中国漁船体当たりビデオなど、公益に資することは確かである。
 したがって、非難は当たらない。

 それにしても、したり顔で軽薄な発言をするメディア人が後を絶たないのは、メディアの質と良識の低下を表しているのかも知れない。


『辛坊治郎氏が百田尚樹氏を擁護し毎日新聞を激しく非難
2015年7月1日 19時30分 トピックニュース

6月29日放送の「朝生ワイド す・またん!」(読売テレビ)で、ニュースキャスターの辛坊治郎氏が、作家の百田尚樹氏を擁護する一幕があった。
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6月26日の同番組で、辛坊氏は、毎日新聞の記事を取り上げ「自民党の勉強会でプライベートな人間がやってきて、好きなこと言ったことに関して、それを批判するような記事を書くのは言論機関として自殺行為」と激しく非難していた。
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なお、当の百田氏は自身のTwitterアカウントに「辛坊さん、歯切れいいなあ」と投稿し、喜びをあらわにしている。
』(livedoor news)
http://news.livedoor.com/article/detail/10297844/
一流の法学者が考えた法論理には、一部のすきもないのが常。

しかし、そこに、怪しい動機や目的が入り込むと途端に論理矛盾が生じてくるという。

安倍自民の戦争法案が合憲だと言い張る西、百地両教授の場合も然り。

彼らの主張は、その動機や目的に不純なものを感じる。
その不純な動機によって、日本の若者たちの生命身体が脅かされる「徴兵制→海外派兵」へとつながるだろうことは、想像に難くない。

なぜか新聞、TVは報じないが、危機感を感じた若者たちの反政府デモが首都圏で広がりつつあるのも、納得できる。

そこで、その論理のいびつな点がない洗い出してみようというのが、本メモの趣旨である。

前回の続き。

4.徴兵制の合憲性について

 西教授は、合憲違憲については言及せず、「徴兵制は必要ない」と言っている。
ということは、裏を返せば、徴兵制は合憲だということに結び付きやすい。

 一方、百地教授は、「徴兵制は違憲」と明言し、また、「そもそも必要ない」ともいっている。
ではなぜ違憲なのか。その理由については彼は言及していない。
 また、百地教授は、「徴兵制は『苦役』にあたるから違憲だ」という政府見解は、自衛隊員に対して失礼だという理由で「苦役」には当たらず、誤りだとしている。
 この辺りの法的な感覚は意味不明で理解しがたいものがある。 

 いずれにしても、必要性の論理と合憲性の論理は、次元が違う。
 必要かどうかは、判断する者の考え方やその時々の情勢によって異なるのが通常である。
 しかし、合憲かどうかが、判断する者の考え方や時の情勢によって変わっていては、法的安定性が保たれなくなり、社会的な混乱が生じる。
 両教授が、これらを混同して論じている点は、法律論としては疑問が残る。

5.再び侵略を起こすのではないかという諸外国の懸念について

 西教授は、「憲法上(憲法9条1項)、『侵略戦争』は絶対にしない」とするが、そう言いながら開戦する国がほとんどたったという歴史的事実がある。
 かのナチスですら「民族解放のための聖戦」としており、「侵略戦争」とはしていない。
 なぜなら、民を巻き込んで戦さを始めるにあたっては、「大義名分」を掲げることが必要とされるからである。

 ここでも両教授の「日本は侵略戦争をしない」という主張は説得力に欠けまくる。
 事実、安倍自民の戦争法案は、戦いの場を拡大している事実がある。

6.結論

 両教授の主張は、あまりに偏向すぎて一般的には受け入れられそうにない論理展開だった。
 その強引な論理展開にも無理があるのみならず、合憲とする動機にも疑問がある。

 よって、両教授の合憲論は、とてつもなく怪しいことが分かった。
 

『【詳報】集団的自衛権の行使は現行憲法の枠内~安全保障法制で、西修・百地章の両教授が会見
    BLOGOS編集部  2015年06月29日 18:00

29日、集団的自衛権の容認・"合憲"派として知られる駒澤大の西修名誉教授と日本大の百地章教授が日本外国特派員協会で記者会見を行った。
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※1:19日に行われた日本記者クラブでの会見のもよう
・【全文】集団的自衛権「合憲派」の西・百地両教授が会見~①冒頭発言|②質疑応答
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西教授:私の解釈では、今の法案は憲法の枠内ですから、憲法改正は必要ありません。もしそれを超えれば、憲法改正が必要だと思います。この法案に関する限り改正は必要ない、というのが私の見解であり、また政府の見解ということです。

百地教授:仰るとおりで、憲法というのはただ言葉に書いてあるだけのものではありません。生きた憲法、現実に対応できる解釈というのが必要です。もちろん条文の枠内の話ですけれども。
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百地教授:まさに憲法を守っているから、こんなことしかできないわけです。つまり憲法を無視すれば大々的なことができるでしょう(笑)
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最後に私の憲法改正論ですけれども、解釈としては、現在の憲法の下でも集団的自衛権の限定的行使が可能であるというのが、客観的な憲法の解釈です。
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だから9条1項は変えない、堅持する。しかし2項は改正して自衛のための軍隊を持つ。これが私の基本的な考え方です。ただしこれは理想ですから、時間はかかると思いますけれども、速やかに実現したいと思っております。 』(blogos)
http://blogos.com/article/119500/

安倍内閣の知恵袋とされる西修、百地章の両教授が、記者の質問に答えるという質疑応答で、戦争法案について合憲論を展開したらしい。

下の記事を読むと両教授は、同じ合憲論でも微妙に異なっている。
そのあたりも含めて、両教授の合憲論について怪しい点を少し、あげてみよう。

1.安倍自民の戦争法案は合憲?・・・論理的破綻

 西教授は、憲法の枠内で、憲法改正の必要はないとする。
 が、なぜ、憲法の枠内の問題なのか、彼は論理的な説明をすっ飛ばしている。

 また、百地教授は、集団的自衛権は、自衛隊の合憲性と同様、曖昧さを残すが、ある程度やむを得ないという理由で憲法の枠内の問題としているが、より明確にするために改正する必要があるともしている。
 そこでは、事実上やむを得ないから条文の枠内の問題にしたとしている。
 しかし、それは憲法の条文解釈論ではなく、立法政策論の問題にすり替えて論じている。
 これは、彼の合憲論が論理的に破綻していることを示している。

2.国際法は憲法に優先する?・・・極少数説

 両教授は「国際法(条約)は憲法に優先する」としているが、条約優先説は、通説ではなく、極少数説である。

 一般に、全面的な国際法(条約)優先という説に従えば、国際協調を超えて外国の言うなりになる植民地と同じになり、とても独立国とはいえない。
 これが、一般的に条約優先説が排斥される理由である。

 また、世界的に見ても憲法優位とする国がほとんどで、限定的に条約優位を認める国として、オランダとオーストリアがあるにとどまる。
 自国のことは自国の憲法によるという憲法優位であって初めて独立国として存在できるのである。

 木村草太首都大学准教授の喩えによれば、
 日本の法律では恋愛は禁止されていないが、AKBでは恋愛禁止というルールがある。
 AKBメンバーであるためには、このルールを守る必要がある。
 これと同じく、国際法で集団的自衛権は禁止されていないからといって日本も禁止されていないとは言えないとしている。

3.集団的自衛権の法的根拠は、国連憲章?・・・読み違い

 両教授は、集団的自衛権は国際法(国連憲章51条)上の権利であり、日本も集団的自衛権を持つことができるとしている。
 
 たしかに、国連憲章51条には、
「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」とある。
 http://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japanese/

 しかし、この51条の文言からは、両教授のいう「集団的自衛権を認めている」という解釈にはつながらない。
 これをもって「認めている」と解釈するのには無理がある。
 
 なぜなら、「固有の権利を害するものではない」という条文の限定的表現から考えると、
「新たに固有の権利を認める」と述べたものではなく、「固有の権利が国として認められている場合には行使してもいい」と制約的に解釈するのが素直な読みだろう。

(つづく)

『【詳報】集団的自衛権の行使は現行憲法の枠内~安全保障法制で、西修・百地章の両教授が会見
    BLOGOS編集部  2015年06月29日 18:00

29日、集団的自衛権の容認・"合憲"派として知られる駒澤大の西修名誉教授と日本大の百地章教授が日本外国特派員協会で記者会見を行った。
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※1:19日に行われた日本記者クラブでの会見のもよう
・【全文】集団的自衛権「合憲派」の西・百地両教授が会見~①冒頭発言|②質疑応答
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西教授:私の解釈では、今の法案は憲法の枠内ですから、憲法改正は必要ありません。もしそれを超えれば、憲法改正が必要だと思います。この法案に関する限り改正は必要ない、というのが私の見解であり、また政府の見解ということです。

百地教授:仰るとおりで、憲法というのはただ言葉に書いてあるだけのものではありません。生きた憲法、現実に対応できる解釈というのが必要です。もちろん条文の枠内の話ですけれども。
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百地教授:まさに憲法を守っているから、こんなことしかできないわけです。つまり憲法を無視すれば大々的なことができるでしょう(笑)
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最後に私の憲法改正論ですけれども、解釈としては、現在の憲法の下でも集団的自衛権の限定的行使が可能であるというのが、客観的な憲法の解釈です。
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だから9条1項は変えない、堅持する。しかし2項は改正して自衛のための軍隊を持つ。これが私の基本的な考え方です。ただしこれは理想ですから、時間はかかると思いますけれども、速やかに実現したいと思っております。 』(blogos)
http://blogos.com/article/119500/