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孔子も孫子も「治世救民」を天命として我欲のカケラもなかったそうです。「季布の一諾」が座右の銘として、孔子、孫子、老子、司馬懿に学んでいます。
ささやかながら幸運をお分けします。

麻生太郎自民党員の言葉「きちんと分からせた」。

この人はごまかすとき、抽象的な表現でしかいわない癖がある。

もっとも安倍自民では、森喜朗同様にその放言が危ぶまれるため、無役に位置づけられているという。

「言いたいことは、安保法案が通ってから言ってくれ。」

時すでに遅しで、麻生議員本人が麻生派の会合で、そう語っている映像がニュースで流れてしまっている。

これが、麻生議員が武藤に「きちんと分からせた」内容である。

なんともお粗末な頭の構成員ばかりの安倍自民党は、次の選挙で第一次安倍内閣や野田民主政権と同様、壊滅の危機がまっているだろう。

民主党に大敗を帰した自民党ではあるはずなのに、反省はおろか、ひどく後退した傲慢な政党と化していたことに、これまで強力な助っ人であったはずの改憲保守派の知識人たちさえ呆れ果てて見放してしまった。

安倍自民は、そのことにまだ気づいていない。

次の参院選は、大波乱となるとの指摘がある。
安倍自民を潰さなければこの国は滅ぶといった過激風な宣言も聞こえてくる。

国会前の一般民衆デモで野田佳彦内閣と同じ轍を踏んだ安倍晋三内閣。

彼らは「歴史は繰り返す」の鉄路を自身でせっせと敷設してしまったらしい。


『 麻生氏、武藤議員を注意 「きちんと分からせた」
   共同通信
    2015年08月10日 20:21


 麻生太郎副総理兼財務相は10日の参院予算委員会で、安全保障関連法案に反対する学生デモをツイッターで批判した自民党麻生派の武藤貴也衆院議員を先週注意したことを明らかにした。
 「本人を呼んで『与党議員としていかがなものか』という話をした。時間を少々かけて、きちんと分かるようにさせたと思っている」と強調した。

 一方、安倍晋三首相(党総裁)は「議員の発言(への対応)は党に任せている。問題があれば幹事長室が注意する」と述べるにとどめた。民主党の蓮舫氏への答弁。
』(BLOGOS)
http://blogos.com/article/127512/
フジTV「ワイドナショー」というバラエティ番組で、中居正広君と芸人松本人志との戦争法案バトルがあったらしい。

フジTVといえば、産経、読売をはじめとする安倍内閣広報担当と言われるキー局。
このTV局のメインキャスターは、ほぼ政権寄りの発言をすると言われる。

安倍政権の批判を口にしない芸人松本人志もその一人だろう。

その松本が「安保法制反対は平和ボケ」と言ったらしい。
が、その言葉はそっくりそのまま松本自身の認識への批判として跳ね返る。

松本は、政権批判をする人々に対して逆に批判することこそが、知的な大人の証しだと思い違いをしているように見える。

また、おそらくは松本自身、戦争法案の条文を読んだことはなく、或いは理解しないままに反批判を口にしたのではないだろうか。

彼の主張の背景には、「難しいことは、御上に逆らわなければ安泰だ。」という寄らば大樹の陰的な邪心があるようにも見える。

仮にアベノ戦争法案の各条文を真に理解していたならば、いかに多くの危険をはらんだザル法案なのか、まともなリスク感覚を持っていれば中高生でも理解できるはず。

条文を読むのが辛い(それをダメとは言わないが)のなら、法案に反対する人々の意見をネットで検索してみるといい。
そこには、どの条項が危ないのかが具体的に書かれているはずである。
が、それもしていないのだろう。

手抜きから生まれる松本の致命的な誤りは、SEALDsをはじめとする若者たちが雰囲気だけで何となく安倍に反対といっているのだろうという思い込みにある。

かれら若者たちは、チャンと法案を読んで勉強している-おそらくは松本以上に-からこそ反対していることを知るべきである。

彼らを批判するなら、彼らと議論をした上で批判するのが筋だが、松本にその度胸も自信もないだろう。
※おそらくはコテンパンにやられて沈黙するのがオチだろう。

これに対して、安倍支持派の主張内容は、ほぼ抽象的かつあいまいな雰囲気的な説明しか出来ていないのが現状である。

松本がきちんと条文を読むこともなく、芸の枠を超え、公共の電波を利用しつつ安倍政権擁護のために安倍内閣批判論への反批判を軽々しく論じているとすれば、実に軽薄の極みである。

安保法制の危険性が分かっていない松本人志や石原良純などの賛成派こそが『大いなる平和ボケ』といえる。

下の記事にもあるが、ニュースで流されている情報だけを見聞きして、SEALDs批判をする松本こそ、自分で自分の批判をしている愚に気づいていない。

また、松本のいう対案の問題は、また、憲法違反とは別の次元の問題である。

簡単に手順を時系列でいえばこうなる。

1.法案は違憲だ。
2.了解。
3.どこをどう修正すれば違憲ではないのか。
4.ここをこう修正すれば違憲問題は解消される。・・・対案

4.の段階で初めて対案の話が出でくる。
今は、1.の段階でモメており、「違憲ではない」といっているのだから、対案の話には至っていない。
これは、安倍晋三は、法案の違憲性を素直に認めていないから、維新が出した対案を門前で蹴飛ばしたのである。

松本はこの審議の手順が全く理解できていない。
深い考えもなく、なんとく雰囲気で賛成と安倍一派に組しているようである。

これに対し、中居正広君の感覚は、ダテにSMAPのリーダーをやってはいないだけあって、他人を思いやる気配りというか、その対人感覚には鋭いものがある。

「若者が政治に関心があり、声を上げるのはいい」
「70年もの間、戦死者がいないのは日本の誇り」

という中居くんの言葉は、松本のいうワンパターンの賛成説よりずっと説得力がある。

やはりSMAPの中居正広君は、日本の好漢の一人だった。


『中居正広(くん)が松本人志の「安保法制反対は平和ボケ」に敢然と反論!「日本人が70年間戦争で死んでない意味を考えるべき」
リテラ / 2015年8月9日 19時30分

 本日放送された『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、またしても松本人志がトンチンカンなことを語り出した。

 きょうの放送でテーマのひとつとなったのが、先週日曜に渋谷で開かれた高校生を中心とした5000人デモについて。

 VTRが終わって最初に口火を切ったのは、石原良純。
 良純は"安保法案を戦争法案と言うのがそもそも間違っている"と批判し、「何を大人たちは話しているのかっていうのは伝えないと」と発言した。
・・・・・・・・・・・・・・・
 いかにも父・石原慎太郎にしてこの息子といった感じだったが、この流れで松本は、良純と同調し、「ニュースに誘導されている感じはあるんですよね~」と深く頷いた。

 しかし、このなかで中居正広は、「若い子が声をあげるのは、ぼくはいいことだと思う」と切り出した。
・・・・・・・・・・・・・・・
「いま、安倍さんがやろうとしていることに対して、反対だー!って言うのって、意見って、これ、意見じゃないじゃないですか。単純に人の言ったことに反対してるだけであって、対案が全然見えてこないんで、じゃあ、どうする?って......まあ、前も言いましたけど、このままで良い訳がないんですよ」
・・・・・・・・・・・・・・・
 本サイトでも以前から指摘しているように、芸能人のプライバシーの問題でも、少子化の問題でも、こうした"強者の論理"を振りかざすのは、いつもの松本の特徴だ。
 そのため、きょうの放送でも、「もしこのままで良いと思っているのであれば、完全に平和ボケですよね」「(対案を出さないのは)それはズルいと思うな~」としたり顔でまとめようとし、MCの東野幸治もその流れで進行していたが、やはりここでも毅然と割って入ったのは、中居だった。
 「でもね、やっぱり松本さん、この70年間やっぱり、日本人って戦地で死んでいないんですよ。これやっぱり、すごいことだと思うんですよ」
・・・・・・・・・・・・・・・
 奇しくも昨日、東海テレビで放送された番組で、笑福亭鶴瓶と樹木希林も中居と同じ意見を口にしている。
 まだテレビの世界にも正常の考えをもっている人がいることに安心も覚えるが、この際、はっきり言っておこう。
 「ニュースに誘導されている」のは、デモを行う若者たちではない。松本人志、あなたのほうだ。
(水井多賀子)
』(infoseek news)
http://news.infoseek.co.jp/article/litera_2611/?p=2
百田尚樹氏と言えば、ネトウヨの正統派からは嫌われているが、思考はネトウヨ系そのものらしい。

1.民間人がどこで何を言おうが言論弾圧にはならない?

 これは明らかな間違いというか、思考回路が短絡的である。

 たとえ一民間人であっても、政治権力を煽り、言論弾圧を唆したとなれば立派な(?)違法行為である。
 仮にこれが「言論弾圧」でないとすれば、「業務妨害罪の教唆」にあたるだろう。
 
 彼は、反省もせずにウジウジと未練がましく言い訳を繰り返しているが、実に男々(めめ)しい。

2.「全新聞の百田バッシング」は、集団的自衛権?

 集団的自衛権というものは、軍事同盟を結んだ同志が意思を通じてやるものである。

 各紙が一斉に百田バッシングを取り上げたのは、世間一般の共通した社会常識による反応に過ぎず、意思を通じたわけではない。

 それが理解できないのは、百田氏の見識が、世間一般からズレているということだろう。

3.沖縄の二紙はクズやな?


 ネトウヨは、よく「ゴミ」とか「クズ」とか短絡的な幼児語を好んで使うという。
 百田氏の思考もネトウヨ系であると推測される。

 名指しで公然と他人を指して「クズ」とののしるとどうなるか。
 一つは、天罰が下る。

 もう一つは、人罰が下る。
 つまり、「侮辱罪」(刑法231条)にあたる。重ねて、民事上で損害賠償責任が発生する。

 もっとも、「侮辱罪」は、親告罪なので、二紙が百田容疑者を告訴しないと刑事責任を問えない。
 告訴も興味深い。

 その昔、爺様から「人さまを口汚く罵る者は、鏡に映った自分自身を罵っているのだ。」と諭されたことを思い出した。
 百田氏は、そういう日本人の情操教育は受けなかったらしい。


『百田氏「言論弾圧ではない」 沖縄発言で
共同通信 / 2015年8月7日 21時14分

 作家の百田尚樹氏が7日、東京都内で記者会見し、6月に自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」などと発言したことに関して、「一民間人がどこで何を言おうと言論弾圧でも何でもない」と述べた。

 百田氏は「全新聞が(自身の発言を)許さんと怒って、集団的自衛権の行使や、と思った」とも話した。

 会見は「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」の主催。

 代表運営委員の我那覇真子さんらが「(2紙は正確と公正などを掲げた)日本新聞協会の新聞倫理綱領に違反している」と述べると、
 百田氏は「あらためて沖縄の二つの新聞はクズやな、と思った」と発言した。』(infoseek news)
http://news.infoseek.co.jp/article/07kyodo2015080701002286/
お笑い芸人ほっしゃん似の武藤貴也自民党議員がバカッターでツイートしたSEALDs批判。

これに対する反批判で騒動となっているらしい。

この武藤貴也なる議員は、安倍晋三子飼いの輩らしいが、安倍党首の周りには、こういったハエのような卑賎の軽輩が群がっていることがよく見える。

「きれいな花には蝶が舞い、ウ○コにはハエがたかる」
千房の中井政嗣社長の金言通りである。

それが、菅・安倍の悩みのタネでもあるという。

以下は、武藤議員がFaceBookに挙げている記事の一部だという。
なので、それも含めて彼の浅慮のナンセンスを指摘しておこう。

1.「戦争に行くのはいやだ」というSEALDsの厭戦主張は、わがまま?

 結論から言えば、武藤議員の批判は全くの的外れである。

国語辞典Weblioによれば、

「わがまま-(名・形動)他人のことを考えずに、自分のことだけを考えて行動すること」
とある。

SEALDsの厭戦主張は、他人のことを考えていない、或いは自分のことだけを考えているとは言えない。
彼らは、「戦争に行く=人殺しに行く」ことを否定しているに過ぎない。
他人のことを考えているから言えることだし、自分さえよければいいと考えていれば、こんな言葉は出ないだろう。

「わがまま」という言葉は、安倍晋三とその一派には当てはまっても、SEALDsメンバーには当たらないと言えるだろう。

むしろ、言葉の定義から考えると、SEALDsの厭戦主張は「わがまま」ではなく、その逆と言える。

2.砂川判決の田中耕太郎長官の補足意見?

 武藤議員には、砂川事件と最高裁判決の表面だけしか見えていないらしい。

 砂川事件の最高裁判決ほど、裁判所の威信を傷つけた裁判例はないという批判は少なくない。

 その最高責任者だった田中耕太郎長官については、その裁判手法について少なからぬ醜聞があるという。

 その一つに、GHQの要請で、右派左派を問わず、駐留米軍を快く思わない人々の言論弾圧を押し進めたのが、ほかならぬ田中耕太郎長官その人だという話を聞いたことがある。

 言論弾圧のために、突如として、文部大臣から最高裁長官に抜擢された人物である。
 また、これほど人権意識の薄い人物が、日本国憲法に文部省大臣として署名しているのも皮肉な話である。

 大臣から最高裁長官となったのも、10年以上も最高裁長官の座に居座り続けたのも、後にも先にも田中氏ただ一人。
 それだけ政権にとっては、利用価値があったということだろう。

 この手の人物は、古代中国の歴代王朝の中に必ずと言っていいほど存在している。
 政治家や官僚は、日本も中華も似たようなものらしい。

 米国政府の保管資料から出てきた文書に、「砂川判決については、判決前に田中長官とGHQとの密談を伺わせる内容が記されている」ことが分かっている。

 それにより、田中長官は、米国政府の要請に従って、駐留米軍を違憲とした第一審判決(通称「伊達判決」)を覆すことに決めた人物であるというのが、一般的な見方らしい。
 つまり、司法が行政に屈したということである。

 そのほか、

 そんな人物が、判決文の補足意見で正義を語るというのも胡散臭い話ではある。
  
 それを差し置いても、武藤貴也議員が引用する「田中補足意見」は、引用自体が的外れでもある。
 
 砂川事件最高裁判決は、「駐留米軍が憲法9条のいう『戦力』に当たるか否か」の判断に関する判決である。

 この点に関する「田中補足意見」の主要な部分をスッ飛ばして、都合のいい末尾の部分だけを引用しようとしたところに、武藤議員の小狡さ見て取れる。

すなわち、武藤議員が引用する田中惟謙の趣旨は、

終戦当時懸念されていたソ連の共産勢力拡大の防護壁としての日本列島。
ここに駐留する米軍は、資本主義圏の自衛のための戦力である。
日本はこれを排除すべきではない。

というものである。

武藤議員は、出世欲に目がくらんだのか、このことを理解していない。
あるいは、知らんぷりを決め込んでいるのかも知れない。

3.結論

そもそも、民衆というものは「まずは自分が第一」と考えるのが本音だろう。

日本国憲法は器が大きいというか。
わが憲法はそれをも踏まえた上で、すべての国民に「自由と権利」を認めている。

また、日本国憲法は、国民の権利として、自分の命と財産を自衛(自己防衛)することを認めてはいるが、自衛の義務は課してはいない。

同じく、憲法は、国家存立の前提として、国民が自国の財産と領土を自衛することを認めていると解されるが、自衛の義務は課していない。

それは、なぜか。
理由は単純明快である。

自衛とは、「自分自身の意思と力で、自分の権利を衛(まも)ること」である。
他から義務を課せられた瞬間に、もはや「自衛」ではなくなってしまうのである。

それは、日本国憲法が、唯一、例外として国民に義務を課しているのは、三大義務(教育、勤労、納税)だけであることからもうかがえる。

たしかに、国民が正義を貫くことは好ましい。
しかし、それが国民の義務として課せられているかと言えば、とんでもない思い込みだろう。

武藤議員が、「自分は正義を全うしている」と考えているとすれば、ほとんど病気だろう。

彼の国会議員としての致命的欠陥は、憲法の基本理念をほとんど理解していないのに分かったつもりでいる点にある。

安倍政権の取り巻きには、こういう浅い思考の持ち主が実に多い。

どうやら今の選挙制度の歪みを示しているようにも見える。


「国民に課せられる正義の要請」
武藤 貴也 東京外大  8月1日

 私がツイッターで、「SEALDs」は「利己的個人主義」に基づいた主張をしていると述べたことについて、様々な意見が寄せられているので、ここでコメントさせて頂きます。
・・・・・・・・・・・・・・・・
 まず、読んで頂きたいのは、砂川判決における田中耕太郎元最高裁判所長官の補足意見、以下の箇所です。
・・・・・・・・・・・・・・・・
 我々は『国際平和を誠実に希求』するが、その平和は『正義と秩序を基調』とするものでなければならぬこと憲法9条が冒頭に宣明するごとくである。
 平和は正義と秩序の実現すなわち『法の支配』と不可分である。真の自衛のための努力は正義の要請であるとともに、国際平和に対する義務として各国民に課せられているのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・
 以上述べたように、世界中が助け合って平和を構築しようと努力している中に参加することは、もはや日本に課せられた義務であり、正義の要請だと私は考えます。
』(livedooe news - FaceBook引用)
http://news.livedoor.com/article/detail/10421182/
今回は、どうでもいいけど興味深いネタ。

「お疲れ様」は、上から目線か。

ビジネスマナーでは、「お疲れ様」はも下から上への、「ご苦労様」は上から下への、それそれねぎらいの言葉だとされているらしい。

これに対して、下の記事では、タモリ氏は「お疲れ様」は、上から目線の言葉としてとらえているという。
彼はうんちくが大好きなタイプ。

もっとも業界用語では、上下に関係なく「お疲れ様」が主流になっていると聞いたことがある。

いくつか国語辞典を見てみると、

「ご苦労様」は目上の人から目下の人に使うのに対し、「お疲れ様」は同僚、目上の人に対して使う。
という点で共通している。

これに対して、「あいさつ研究家」の倉持益子女史(中央学院大学法学部非常勤講師)の論文がある。
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★「あいさつ言葉の変化」 倉持益子

 「御苦労」は、「ご苦労様」の形で、上位者にも親しいものにも、見知らぬ者にも、すなわち、
だれにでも使えた。
 明治から昭和 50 年頃まで、「御苦労」系の全盛期といってよいだろう。

 「お疲れさま」等の「お疲れ」系は、古くからあったようが、主に名詞での使用で、感動詞と
しては、上方・江戸等ではほとんど会話で見いだせない。中部地方等の方言として使われていた。
 芸能界(特に歌舞伎界)、放送業界にあいさつとして使われていた。
  別れのあいさつとして広がるのは、映画や放送業界が盛んになってからのことであるから、昭和に入ってからではないか。
 労いとしては、昭和の終わりまで「ご苦労様」とうまく使い分けられていた。
 この語は、1980 年代、御苦労以上に便利な労いとして認識されるようになり、1990 年代には、非常な広がりを見せ、意味の拡大を見ている。 」
http://www.urayasu.meikai.ac.jp/japanese/meikainihongo/18ex/16_kuramochi.pdf

**********************

一般に言われるビジネスマナーやタモリ氏の説には、何となく違和感が残る。
しかし、倉持氏の論文の内容は、すんなりと自分の懐に入ってくる。

言葉は、時代や環境によって意味・用法が変化する。

ここでは、「お疲れ様」も「ご苦労様」もどちらも相手をねぎらう日本人ならではの和語。

あまり硬いことを言わず、ねぎらってくれたんだなあと柔軟に解釈し、その気遣いに感謝するのがいいだろう。

 それにしても、事なかれ的に「こんにちは」にしたという会社もあるらしい>
 が、ねぎらいの言葉を会社が決めてどうするんだろう。もっと違和感がある。

おかしな人たちが増えてきたらしい。


『タモリ口火の「お疲れ様禁止」 「こんにちは」導入の会社も
2015.08.04 07:00

「子役が誰彼かまわず『お疲れ様です』といって回るのはおかしい」──タモリのこんな発言が大きな波紋を呼んでいる。

 きっかけは7月26日放送の『ヨルタモリ』(フジテレビ系)。タモリが、「『お疲れ様』というのは、元来、目上の者が目下の者にいう言葉。これをわかっていないんですね」と力説し、民放連(日本の民間ラジオ・テレビ業者が所属する団体)が子役に「お疲れ様」といわせないよう申し入れをすべきだとまで提言したのだ。

「我が意を得たり」と声を上げたのが中高年世代である。

「先に帰る若手社員に『お疲れ様です』といわれるとカチンとくる。そこは『お先に失礼します』だろう!」(50代男性)
「後輩に上から目線でいわれているようで、嫌だ」(40代男性)
・・・・・・・・・・・・・・
 結局、「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」と、時間帯によって使い分ける“普通の挨拶”に落ち着いたというが、「なんか、よそよそしい感じで、しっくりこないんですよね」と女性社員は首をかしげる。

※週刊ポスト2015年8月14日号』(news postseven)