ヘイトスピーチ、ヘイトデモが、政権にょって規制される方向にあると言う。
公権力が、表現方法について規制をするというのは、歴史的に見てもファシズム・独裁政治の兆候と言っていい。
そのスピーチ内容が、今回のヘイトスピーチのようにいかに下世話なモノであっても、特別法によって公権力が規制すべきものではない。
なぜなら、言論によるデモ行為なら、刑法の適用で対応できることに加え、
最も重要な懸念は、政府批判、権力批判のデモがヘイトスピーチ、ヘイトデモとして処理される可能性を作ってしまうことである。
言論に対する権力による規制は、どんなによさそうな規制であっても排除されるべきだろう。
今回のヘイトスピーチ、ヘイトデモがいかに稚拙で下劣で聞くに堪えないものであるか、ほとんどの国民が感じているところである。
だとすれば、公権力ではなく、国民の視線や批判が最大の規制効果をもつだろう。
今回のような市民・国民に反感を持たれるようなヘイトスピーチ、ヘイトデモの類は、結局のところ、民衆の支持を得られることもなく、長生きできない。
まさにヘイトスピーカーたちは、天に唾する者たちという次第である。
『2014.09.23
ジャーナリズム ジャーナリズム
ヘイトスピーチ規制、なぜ難しい?曖昧な規制基準、公権力がお墨付きを与える危険も
文=大石泰彦/青山学院大学法学部教授
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ヘイトスピーチ・デモの現場を取材すると、隣国の民族や国民に対して「死ね」「皆殺し」などと叫ぶ団体が公権力のお墨付きを得て、警察に守られつつ白昼堂々とデモを打っているようにみえる。
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8月28日に開かれた自民党の「ヘイトスピーチ対策プロジェクトチーム」で、高市早苗政調会長(当時)が、国会周辺のデモ・街宣とヘイトスピーチを混同しているようにも受け止められる発言を行い批判を浴びたが、為政者が表現の自由に対する「形式規制」であるデモ規制と、基本的に「内容規制」であるヘイトスピーチ規制の区別すらわきまえていないような「素朴すぎる」状態では、先が思いやられるというのが正直な感想である。
●曖昧な規制対象と線引き
実際、本気でヘイトスピーチを規制しようとすると、そもそも規制すべき「ヘイト」とは何かですら、実は曖昧であることがわかる。
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●比較的安全で賢明な対処法とは
それだけではない。ヘイト規制法制定・運用の任にあたる為政者の顔ぶれはどうか。政権トップの安倍晋三首相自らが、自分に不都合な人物には簡単に「左翼」のレッテルを貼り、それを「恥ずかしい大人」として切り捨ててしまうような“乱暴な”人物である(2013年6月、東京・渋谷での演説)。
また、麻生太郎財務相は、特定秘密保護法の制定にあたって「ナチスの手口に学んだら」と言ってのけた“とてつもない”人間であり(同年7月)、さらに首相の対抗馬と目される石破茂前与党幹事長(現・地方創生相)も、ブログで「デモ」を「テロ」呼ばわりするような思想の持ち主である(同年11月)。
このような政治家によって主導されるヘイト規制法がどのような内容のものになり、どのように運用されるのか。不安が期待を大きく上回ってしまう。
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まずは、政策の指針となる「反ヘイト基本法」を制定し、他民族・外国人の生活を脅かす行為に政府が手を貸さない、つまり公権力がヘイトスピーチ・デモ(集会)を許可できない状態を迅速に作ること。
そして、メディアに対しても、一定期間で改善が見られないならば流通・販売の方式等の面で自重を求めること。まずこれらを行ったうえで、刑罰によって規制すべきヘイトスピーチの内容・形式を画定する作業をあせらず、慎重に進めることが、現在の国の現状を鑑みると比較的安全で賢明な対処法ではないだろうか。ただし、諸外国の趨勢からすれば、このレベルでは甘すぎることはいうまでもない。
(文=大石泰彦/青山学院大学法学部教授)
』(biz-journal)
http://biz-journal.jp/2014/09/post_6107.html