ようやく安倍晋三お抱えの論客、佐瀬昌盛防衛大名誉教授の論説がでてきた。
wikiによると、この人は、国際政治学者であって、法律家ではないらしい。
そのせいか、下の記事の論説にしっかりとした論理性がなかったのは残念である。
勝手な思い込みを前提に、論理を組み立てているので、説得力もない。
1.従来の内閣法制局の見解は欠陥品?
文末近くに「集団的自衛権は『憲法上行使不可』とした従来の内閣法制局の見解が欠陥品だ」と指摘している。
が、なぜ欠陥品と言えるのかがどこにも書かれていない。
つまりは、ただの思い込みということなのだろう。
その思い込みに沿って、「身勝手が過ぎる」「それほど・・・憎いか」などと感情を表に出している。
そのことから、この記事の論説の稚拙さが分かるだけではなく、筆者とその後ろ入る安倍晋三党首の焦りをも示すものと言える。
いろいろとかつて知ったる知識を並べてはいるものの、どれも本論との結びつきが薄いものばかりで必然性もなく、説得力がない。
唯一、事実の適示として書かれている部分「(安倍晋三の祖父)岸信介が唱えた集団的自衛権の制限的保有論」から、それこそが、安倍晋三ボンボンが執拗にこだわる集団的自衛権のルーツであることが分かる。
むろん、岸信介と安倍晋三との落差は、比較にならないほど大きいという指摘があることは、周知の事実である。
また、この記事の筆者は、法律と言うものには疎いらしく、「憲法が長命化したのは解釈による」としている。
しかし、それが成文法というものだから、長命化でも何でもなく、ごく当たり前のことである。
また、文末に「改憲して集団的自衛権が可能となれば、論理的に、従来の内閣法制局見解は 間違っていなかったことになる。おかしい。」とある。
別に改憲派の肩を持つわけではないが、だからこそ、改憲派は改憲を主張しているのである。
おかしくはない。
この文章に限らず、この記事ほぼ全体が、論理的におかしい。
防衛大名誉教授というからもう少しは、骨のある論理構成をしているのか期待していたが、ないものねだりだったらしい。
こういう状態を「ぬか喜び」というらしい。
大して思考力があるとは思えない自分ですら、大学教授の書いた記事の非論理性が見える。
こういう論説を読むたびに、やはり義務教育での思考力育成の時間は、必須だろうとの思いが強くなっていく。
どこかにまともな認容派の論客はいないものか。
待つのも楽しみの一つかもしれない。
※ぬか喜びの語源は、「米ぬか」がとても細かいことから、「僅かな」とか「はかない」とかいう意味らしい。また、一説には、「米ぬか」が「米のカス」であることから「実のない」の意味で、「実体のない喜び」という意味になったともいう。
『【正論】
井の中の蛙、昔の解釈改憲知らず 防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛
2014.7.10 03:08 (1/4ページ)[正論]
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≪いくつもの前例になぜ沈黙≫
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日本国憲法は昭和21年11月の公布以来一度も改正されていない。ただ、それでは実際問題としていろいろ不都合が生じて、柔軟な解釈が幾度も加えられた。だからこの憲法は長命化したともいえる。
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60年日米安保論争では、岸信介政権が集団的自衛権の制限的保有論を唱えた。
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一部のマスメディア、知識人とデモ参加者たちは、過去のいくつもの解釈改憲になぜ沈黙するのか。身勝手が過ぎる。それほど安倍政権だけが憎いか。
≪国連も憲章の解釈で若返り≫
目を転じて国連憲章を見よう。憲章は74年までに3回改正された。最重要なのは安保理非常任理事国数の増加だ。
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≪法制局見解の欠陥是正が先≫
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巷間(こうかん)、集団的自衛権行使容認は正々堂々と改憲をもってなされるべきだとの声がある。一見、もっとも臭い。が、この手順論はよく考えるとおかしい。なぜか。集団的自衛権は「憲法上行使不可」とした従来の内閣法制局見解が欠陥品だからである。欠陥は変更ではなく、是正こそが必要なのだ。
是正をしないまま改憲で集団的自衛権の行使は可とすれば、論理的には、現行憲法下での内閣法制局見解は間違っていなかったことになる。これはおかしい。その旨を私は本欄でも著書でも繰り返し述べてきた。この考えはいまなお不変である。(させ まさもり)
』(msn news)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140710/plc14071003080003-n1.htm