上村早大教授の「法科大学院はなぜ失敗したのか」論は、根本原因から目を逸らしてはいないか。 | popo♪のブログ

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孔子も孫子も「治世救民」を天命として我欲のカケラもなかったそうです。「季布の一諾」が座右の銘として、孔子、孫子、老子、司馬懿に学んでいます。
ささやかながら幸運をお分けします。

下の記事の指摘そのものは、おそらくは間違っていないだろう。

しかし、「なぜ失敗したのか」という表題の問題提起の答えとしては、的外れに見える。

記事では、法科大学院の失敗の証しとして、予備試験受験者の激増とそれによる法科大学院の受験者が激減していることを挙げている。

しかし、その法科大学院受験者が減った直接の原因は、端的に言えば、法科大学院ルートの選択が、割に合わないことがバレてしまったことにある。

この話は、制度改変の前、自民党サイドから漏れ聞こえていたらしい。

法科大学院のうたい文句である、高い合格率を実現するために卒業生の数を絞り込むことになっているという話を聞いたことがある。

いわば、毎度のことながら国民に対する政府によるダマシ行為である。

法律家を生業とするには、実務が重要だが、そのことと司法試験とは内容に格差がありすぎる。

司法試験は、あくまで資格試験である。

資格試験であるからには、基礎知識と基礎理論の習得、さらに言えば、法的思考力ができているか否かを試すもののはず。

それが実務で通用するかどうかは、次の段階の実務研修話である。

この二つを同時に習得させようとしたところに物理的な無理がある。

天下り先の確保、大学入学者の確保など、立派な建前の裏では不純な動機が多過ぎた。

かくして大学側の目論見は、もろくも崩れ去る結果となったことは自然の流れだったのだろう。

このことは、すでに改変に批判的な多くの指摘通りになっただけにすぎない。

しかし、最大の原因は、大学、文科省、法務省、最高裁、日弁連、族議員の有力者たちが、利権目当てに一方的に制度改変を進め、これに批判的な意見に全く耳を貸さなかったことにある。

多くの法科大学院経験者は、騙されたと思っているという話をしばしば耳にする。

こぞって制度改変に賛同した人々は、責任を取るのがスジだろう。

要するに、この記事で言いたかったことは、法科大学院の失敗は、自分らの責任ではないということだろうね。


『【正論】
法科大学院はなぜ失敗したのか 早稲田大学教授・上村達男
2014.7.9 03:12 (1/4ページ)[正論]

 法科大学院は当初の構想では、司法試験予備校中心の発想に代えて、対話型の思考力を養う教育により、7、8割の卒業生が合格するように設計するとされた。

 だが、現実に法科大学院の受験者数は減少の一途をたどり、募集学生数を満たさない法科大学院の撤退が続出している。他方で、例外とされたはずの予備試験への受験生が急増しており、法科大学院の存在意義が問われている。

 《構想がはらんだ二重の矛盾》
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 《理論より実務重視の果てに》
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 本物の実務家は研究や理論を重視し尊重すべきことを分かっている。だが、実務や経験という自分の土俵の知見だけで、真の法学教育者になったと思い込み、法学部など要らないといったような、驕(おご)れる実務家が大量発生した。

 《研究者養成に壊滅的な打撃》
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 以上の背景から、現在、多くの法科大学院が撤退を余儀なくされている。それは決して、現場で奮闘している教員や学生たちの努力不足によるものではない。そのことは関係者に強く訴えたい。(うえむら たつお)』

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140709/edc14070903120002-n1.htm