「自信喪失」は、受験時代にイヤというほど体験した。
その状況は、案外、日常でも身近な問題のような気もする。
「自分一人が動いても状況は変わらない」という諦めの気持ちは、自分の微力ではどうにもならないという喪失感があるのかもしれない。
この感覚はどこかで感じた覚えがあると思って記憶をたどってみると。。。
ゼミで、被災地でのボランティア活動について話題になったことがあった。
「できればボランティア活動に参加したい」
これに対して、意見が飛び交った。
「ボランティア活動に参加しても、素人が行っても邪魔になるだけ。」
「一人で行っても何もできない。行くだけムダ。」
「専門家に任せとけばいい。」
「本来、救援は国がやるべき。」
などなど。
はたして、単独でボランティアに行ってきたという友人がいたので「どうだった?」と聞いてみた。
「ああ。ダメ元で行こうと思ってね。現地のおばさんが『よく来てくださったぁ』って涙ながらに喜んでくれた。何もできなかったけどね。」
アカの他人が遠いところから顔を見せてくたというだけで、元気をもらったいうことらしい。
その友人は、予想外に喜んでくれたと感激したという。
よくよく考えてみると。
人が何か行動するということは、自分の意図したこととは別に、何かしらの意味を持つことがあるのかもしれない。
別の言い方をすれば、自分の存在が分かってもらえるということかもしれない。
ムダだと思ってやったことが、人の役に立つことは案外多いような気がする。
その効果が、目に見えることもあれば見えないこともあるのかもしれない。
もしそうなら、選挙でも似たような効果があるとみることもできる。
行かないよりは、行って何も書かない白紙投票のほうが影響力はあるだろう。
何も書かない白紙よりは、1つでも賛同できる意見を持つ党に入れるとさらに影響力は大きいだろう。
十人十色。ましてや政党内部でも十人十色の考えがある。
全面的に賛同できる政党などほとんどないといってもいいだろう。
が、自分の投票行為が、自分の目に見えないところで誰かに何か影響する可能性は、否定できないようにも思える。
今年も、ダメもとで投票所に出かけて-一応-意見を述べてみようと思う。
これが自分の選択意思だと。
自分の存在感を感じるためにも。-結-